『あなたが生きる時代は今じゃない』
楠子はそう言って、黒かった瞳を真っ赤に煌めかせてオレに両手をかざした。
それを見て、反射的にヤバいと感じたオレは咄嗟に両手を前に出して妖力を込めたが、楠子の行動を見てから動くのは遅かったらしい。
気づけばオレは、何かに閉じ込められていた。
手足はおろか、口も動かせない。匂いも感じない。
そして、異様に瞼が重くなる空間だった。
『時が来たら自然と出れるわ』
楠子のその言葉だけ聞こえた。
つまりは、オレは封印されたということだろう。
なら、媒体がある筈だ。楠子と対峙する時に傍にあったものは、何だったか。
(ああ、そういや、鳥居があったか)
楠子の背景のように神社があったのは覚えている。
なら、オレの背後にあるのは人間どもが神社の入り口として認識している鳥居だろう。
オレは全身に妖力を込めて手足を動かそうとするが、動かない。
オレの妖力は何かに吸い取られるように消えていく。
これが封印か、と最悪な状態に舌打ちをするが、それすらもできない。
ただ意識があるだけの状態、という何とも気分の悪くなる状態だった。
そもそも自分の妖力、いや、存在自体も段々と朧げになっていっていて、自分を感じることが出来なくなりはじめていた。
(あーあ、これはやられたな)
オレは早々に諦めた。
なんせ、どうしようもない眠気がオレに襲い掛かり始めていたからだ。
(つーかなんだよ、生きる時代は今じゃないって)
実に理不尽極まりない言葉だ。
どうせ、オレが不死身で倒せねぇから、苦肉の策で封印したんだろう。
(ひでぇよなぁ、オレの存在を否定するなんてよ)
妖怪だから否定されることは日常茶飯事だ。
実際、オレのような不死身な妖怪と目が合った者どもは怯え、泣き、逃げる。
もしくは、オレを厄介者扱いし、団体となって倒しにこようとした奴らもいるが、全て返り討ちにしてきた。
次第に、オレが自分の気配をばら撒くように過ごしていたら、誰も近づかなくなった。
その中で突然近づいてきたのが九尾だった。
九尾は強かった。
オレは不死身だから時間を稼げば勝てると思ったが、向こうも不死身だった。
力の差が九尾に軍配が上がっていた為、オレはただただやられるだけという状態になるのがすぐ目に見えた。
そうなれば手段は一つ。
逃げるが勝ち、という言葉だってあるからな。
だからオレは逃げることで勝った。
その逃げた先が神社だった。
そこに、楠子はいた。
赤と白の着物に身を包んだ女は後ろで髪を簡単に結った人間だった。
ただ、妖怪とは違う気配を纏っていた。
そして、そいつの指には金色の糸が伸びていた。
珍しい、と思った次の瞬間に、楠子は『私は楠子。この神社を守る巫女。故にあなたを見たからには放っておくわけにはいかない』と言って黒い瞳を赤くさせた。
妖怪かと思ったが妙に人間じみすぎている気配で、オレは楠子と名乗る女の存在がよくわからなかった。
だから、行動が遅れてしまった。
いくつかの術は避けたが、全部フェイクだったらしい。頭のいい巫女だと気づけなかったことがオレの敗因ってとこか。
(あー……ダメだ、ねみぃ)
『生きる時代は今じゃない』
その意味を知りたかったが、オレは眠気に負けてそのまま意識を手放した。
そして、何度も夢を見た。
人間の声が常に聞こえていた。
誰もが何かの願いを抱えてオレの下を通る。
静かに通ることの方が多かったが、時に騒がしい日もあった。
眠たいオレはあまりにも五月蠅い時は頭の中で「うるせぇ!」と叫ぶこともあったが、そのたびに頭から出た何かをチョキンっと斬られるような刃物の音と共にまた意識を手放していた。
そんなオレが意識をいつもよりハッキリと取り戻したのは、逢魔が時だと気配で感じる時間帯のことだった。
オレの下を楠子と似た気配が通った。
もう一度通ってくれれば、オレはオレとして存在できると肌で感じた。
(もっかいこい、こい!)
念じたら、その気配は再びオレの下にきた。
瞬間、オレは閉じ込められている場所から押し出された。
封印が解けた、と肌で感じた瞬間だった。
手足が動く。
空気の感触がする。
木々の匂いも香る。
「よっしゃきたぁあああ!」
叫んで、着地する。
すると、目をまん丸にした楠子がいた。
まるでオレを見るのが初めてといった表情でいるのが気にくわなかった。
ざけんじゃねぇ、てめぇがオレを封印したんだろうが。
油断している内に喉を掻っ切ってやろうとオレは構えながら女に近づいたが、よく見ると来ている着物と背格好は似ているが、大人びた雰囲気を纏った楠子と違い何か幼さを感じた。
それに、封印する時の楠子の瞳は赤かったのに、この女は目の中心だけが赤い。
それを覗き込むと、女は顔を赤らめ、瞳は黒へと戻った。
(あ?ただの、人間?にしては……楠子に気配が似すぎている)
名を尋ねれば、女は楠葉と名乗った。
名前も似ている。けど、別人だ。
それを証明づけるように、オレと女の小指に金色の糸が結ばれていた。
運命の糸と言われている金色の糸。
「え、え!?えええええ!?」
楠葉と名乗った女はオレの小指と自分の小指を何度も見て驚きの声を上げる。
その瞳の中心はまた赤くなっていた。
つまり楠葉は、楠子と似た力を持っているということだ。
そんなやつが、オレと運命の糸で結ばれている?
なんだこの面白い状況。
オレが不死身である限り、オレより先に死ぬ人間がオレと運命の糸で結ばれる?
なんだその変な展開。
この運命を利用しない手なんて、ありえないだろう。
折角封印が解けたんだ。
オレは存分にこの女を利用してやるつもりで幻惑をかけて結婚式を挙げた。
顔も悪くないし、何よりいい匂いがしていた。
唾液を味わってみたところ、生娘だと分かった。
だからいい匂いがしたのだ。
人間としては中々の年を重ねているだろうに、それまで生娘で居続けていたということは貯えられている力もさぞ濃いことだろう。
こいつを食らえばオレは封印すら出来ないほどの妖怪となれる。
まさに、オレにとっては運命の相手だ。
オレに食われるために目の前に飛び込んできた獲物。
誰にもやるもんか。
――そう、ただ、そのためだけの、オレ専用の道具になるはずだった
なのにオレは楠葉の力に逆らえなかった。
身体が勝手に動く。
わけわからねぇ力がオレを縛る。
負けてたまるか。絶対食ってやる。
そう思っていたのに。
何故オレは、気を失う楠葉を見ると放っておけなくなるんだ。
オレが近づくと顔を真っ赤にしてあたふたする間抜けで
無意識にオレの前で着替えるほど無防備で
自分の限界なんぞ考えずに力を他の奴らのためにばっかり使って
すぐ倒れて、他の男に触られそうになるバカ女
倒れたら放っておけばいい。
そうすればオレが思うように楠葉を操れる。
それなのに何故オレは助けてしまうんだ。
何も教えず放っておけば、勝手に死んで、金色の糸だってなくなるのに。
何故オレは、楠葉に『仲が悪くなれば糸が消える』なんて嘘を教えているんだ。