小さな狸の目が赤いことから、貫に関する何かだとすぐ察した楠葉だが。
まず最初に出た言葉はこれだった。
「か、可愛い~~!!!」
持って帰りたい、という欲求が擽られる可愛らしいフォルムとサイズに楠葉は両手に頬を当てうっとりと狸を見つめる。
いつも貫の口調で喋る狸ばかり見ていたので憎たらしいイメージばかりが残っていたが、狸はなんだかんだで可愛らしい見た目をしている動物だ。それが小さくなって、目だけ大きく、モフモフの手足を目いっぱい広げて空中でふよふよと浮いている様子は、キーホルダーかぬいぐるみにして持ち歩きたいと思ってしまうほどの愛らしさがあった。
いっそ本当に自分でそういった類のものを作ってしまおうかと真剣に考え始めた楠葉に、チビ狸が口を開いた。
「やべぇのきた。すまん、オレの力では対応が無理だ。すぐ神社に来い」
「え」
その声は、可愛い見た目には全く似合わない憎たらしい貫の声色だった。
しかもその声は珍しくどこか焦った様子を帯びていて、楠葉の気も思わず引き締まる。
「何があったの?」
即座に楠葉は問い返したが、返事はなかった。
どうやら一方的に言葉を伝えるためのようなものだったようで、楠葉に言葉を伝え終わったチビ狸は、ポフン、と音を立てて灰色の煙を纏って最初の葉っぱに戻った。そのまま、葉っぱはひらひらと机の上に落ち、すぅっと空気に溶けた。
十中八九、今のは貫の術によるもので間違いないだろう。
すぐにそう確信することが出来た楠葉は素早く立ち上がると、「またお邪魔します」と誰もいない部屋に向かって言葉を残し、神社に戻るべく階段を駆け上がった。
***
隠し階段から出て、鉄の棒をぐいっと上げて通路もしっかりと閉じたのを見てから社を出ると、外は真っ赤に染まっていた。
楠葉が隠し部屋に入ったのは午前だ。
まさか食事もせずにこんな時間まで自分は熱中していたのかと思わず楠葉は驚いたが、同時に外の色の意味を知る。
「逢魔が時」
妖怪が活発化するとも言われるこの時間帯に貫がSOSとも言える伝言を楠葉に飛ばしたということは、簡単には祓えない糸を纏った人間が現れたか、もしくは妖怪の呪いを背負った人間が現れたかのどちからの可能性が高い。
楠葉はすぐに神楽鈴を構えると、シャラシャラと音を立てながら普段のお祓い部屋としている別の社へと足を向けたが、全く気配を感じなかった方向から声をかけられた。
「どこ行くの?」
その声は知った声だった。
慌てて向きを変え、思わず楠葉は神楽鈴を構える。
「ああよかった、今度は本物だ」
そう言ってにっこり笑ったのは、楠葉の従兄弟、浩太だった。
しかしその姿はいつもの彼ではなかった。
黒い糸が束になったものがムカデのような形になっており、それが左足から右腕にかけてぐるぐると巻きついているのだ。虫類が得意なわけではない楠葉は思わず「う」と顔を歪めて後ずさった。纏う空気もひんやりと冷たく、先日痛めた右手がひりっと疼くのを楠葉は感じていた。
「すまん、呼ぶ場所指定すりゃ良かった」
頭上から声がしたかと思うと、黒い煙を纏った貫が楠葉の目の前に落ちてきた。
下駄が砂利とこすれあい、黒い袴がふわりと揺れる。
「変化はどうしたの?」
「あいつが近づいた瞬間解かれた。幸い周りに誰もいなかったからバレてねぇが、あれはてめぇの親戚だろう?流石に殺すわけにはいかねぇから呼んだ」
「そんな気遣いしてくれるんだ。案外いいとこあるじゃん」
「一応夫婦だからな。だがヤバい場合は殺す」
「でしょうね。私を呼んでくれたのは正解よ。ああいった類は何回も祓ったことあるから」
「そういや間近で妖怪を祓う姿は見たことねぇな。面白そうだからVIP席で楽しませてもらうぜ」
「どうぞご勝手に。私の力に恐れ慄くことになっても知らないからね」
「ハッ、言ってろ」
貫と軽口を叩いている内に、楠葉の心も落ち着きを取り戻していた。
もし1人で対面していたら、身内ということもあり手は自然と震えてしまっていたことだろう。お祓いだって、上手く出来なかったかもしれない。
だが、こうして貫が傍に現れてくれたことで、楠葉の心は清んだ小川のような静けさと落ち着きを取り戻し、冷静に目の前の従兄弟を見つめることができていた。
「浩太君。もしかして、最近どこか古い所に行った?」
「ん?例えば?」
見た目は異常だが、会話は普通にできるようだ。
そう判断した楠葉はさらに問いかけを続ける。
「じゃあ、肝試しとかいって度胸試しで遊んだことは?」
「あー……それは確かにあるな。ダチに誘われて、使われていない墓場に肝試しとかいった」
「その後不幸になった友人は?」
「なんか事故ってるやつはいたけど、今はそんな話どうでもよくない?」
「そう。友人のことをそんな風に言うなんて、浩太君らしくないね」
「えー、そうだっけ?」
会話を交わしている間、浩太はずっとへらへら笑っていた。
それが不気味さに拍車をかけており、楠葉の背筋に冷たいものが走った。
(性格が変わるほど何かの妖怪に呪われたか、それかあれそのものが妖怪か)
とにかくあまりいい状況ではないことを今の会話で十分理解した楠葉は深く深呼吸をする。
「楠葉。あれは多分百足だ」
「知ってるの?」
「見たことある。百足の妖怪で間違いない。ただ、いつもと違う」
「違うって、どういうこと?」
「百足なのに、纏ってる雰囲気がもっと強い何かの妖怪のもんだ。そっちの正体がわかんねぇ」
「とにかく、あの妖怪を浩太君から剥がせばなんとかなるわね」
「多分それでいいと思うが、気を付けろ。オレも初めてのパターンだ。なんだこの違和感は……」
妙に考えこみ始め、眉間に皺を寄せる貫。
その様子が気になりはしたが、妖怪にとり憑かれているとわかったとあればひとまず引き剥がすのが一番だ。
楠葉は持っていた神楽鈴を天高く上げ、シャラン、シャラン、とリズムよく鳴らしながらくるくると回す。
イメージは、綿菓子を作るように甘い綿を集める感じだ。
「集まって、力を貸して」
楠葉がそう願うと、白い糸たちがあつまり、神楽鈴にふわりふわりと寄り添うようにくっつき始める。
数秒で十分集まったと感じたところで、楠葉は神楽鈴を浩太に向かって力強く、シャン!、と鳴らしながら向けた。
「離れなさい!」
楠葉の言葉と共に、神楽鈴に寄り添っていた白い糸が束となり黒い百足の胴体に絡みつく。
しっかりと絡みついた手ごたえを感じた楠葉は力いっぱい引っ張り――すぐに百足妖怪が浩太から剥がれ――
「え」
百足は、楠葉の狙い通り確かに浩太から離れた。
だが、それは楠葉が引っ張ったからではなく。
楠葉が引っ張る瞬間と合わせるように、むしろそれが最初から狙いだったかのように。
楠葉に向かって、勢いよく飛んできたのだ。
楠葉の目の前に、百足がいくつもの足を広げる。
よけなければ、と楠葉は頭では思うものの、こんな場面に出くわしたことのない楠葉の足は驚きと怯えで咄嗟に動いてはくれなかった。
「楠葉!」
「きゃあ!」
すると、貫が叫ぶと同時に楠葉へ突進した。
乱暴気味に横へ押し出された楠葉はバランスを崩し、砂利の上に滑り込むように倒れこんだ。
頬が擦り切れ、膝や腕が砂利にぶつかる。その痛みで恐怖から解き放たれた楠葉は「ちょっと、せめてもう少しやさしく……」と文句を言おうと、痛む頬を抑えながら起き上がって貫の方を見た、が。
楠葉はの言葉は、途中で止まった。
「あー、くそ、久々だわこれ……ゴフッ」
「貫……?」
楠葉の視界には。
百足の足に貫かれ、血を吐く貫がいた。