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第4話

「最初、ってことはまだありそうだなこれは」


 チリの言葉に、貫が興味深そうに言いさっさと手を離すと、住み慣れ始めている畳の部屋にどっかりと胡坐をかいて楽な体勢で座り始めた。


「そうなの。まだあるなの。でもそれには行ってほしい場所があるなの」

「行ってほしい場所?」

「そう、ここから遠いとこなの。巻物のやりとりの時には教えてなかった物がある場所なの」


 チリが説明している間、ララはチリの隣にお尻をぺたんと下ろして楽そうに座った。

 どうやら説明役はチリのようで、ララはあまり言葉を発さない方のようだと楠葉は感じた。


「巻物のやりとりでは神楽鈴とか大麻の話をしていたから、神社にあるものとはまた別のものってことね」

「そうなの。巫女、察しがいいなの。でも、それには狸と巫女が一緒にここを離れなければいけないなの。2日は必要なの」

「2日も神社を離れなきゃいけない……ていうのは、流石に私には厳しいわね。て、あれ?なんで貫も一緒なのが前提なの?」

「狸と巫女は離れちゃいけないなの。どのみち運命の糸が一定の距離を離さないようにするなの」

「なるほど。そういえば遠くに離れたことがなかったから、そんなに意識していなかったわ。にしても、2日、か」


 チリの言葉に、楠葉は難しい顔をする。

 楠葉が限界まで力を使う場合どの程度まで可能なのかという研究もまだしたいし、何よりお祓いの予約は途絶えることを知らない。

 流石に葛葉神社で重要人物として置かれている楠葉が神社から離れることは、篠宮家にとっても、葛葉神社そのものにとっても困ることであり、今日のような妖怪が来るとあれば神社の外に出るのは非常に危険とも言えた。実際、横から貫が「またあんなのが来たら誰も対応できねぇからそれは無理な話だな」と楠葉の悩んでいたことをそのまま端的に言った。


「暫くは大丈夫なの」

「何故わかる?」


 チリの即答に、貫は疑うような視線を投げかけた。

 細められたその瞳は、敵意が混ざっていた。

 本来なら幼い子どもをした姿にそんな怖い顔をするなんて、と止める側の楠葉であるのだが、妖怪はどんな姿であっても侮ってはならないと身をもって知っている身としては、貫の警戒心は当然と感じたため、チリの言葉を待った。自分よりも倍ほど大きな者から鋭い視線を向けられ、それをしっかりと受け止め、真っ直ぐと見返すチリ。その表情は動揺や焦りなどの様子は一切なく、現れた時と同じように淡々とした口調で語り始める。


「今は妖怪の時代じゃないなの。だから妖怪も準備に時間がかかるなの。妖怪も弱いのが多くて強いのは少ないなの。母様が言っていたなの。でも必ずまた来るなの。百足から感じたなの。母様が『巫女を狙う妖怪が来たら必ず守りなさい。そのためのあなたたちだから』て教えて貰った時の妖怪の気配を感じたなの。だからその妖怪にやられないために巫女たちも準備するなの。そのために、巫女と狸のかわりをチリたちがするなの」


 チリの数々の発言に息を飲んで聞き入っていた2人であったが、最後の発言には「はぁ!?お前らが?そんなの無理に決まってるだろうが!」貫が反応した。

 変化の達人としてチリの「狸のかわりをする」という言葉は捨て置けなかったのだろう。

 貫が怒りを露に立ち上がり、拳を震わせる。

 しかしそんなあからさまな怒気を受けても、チリは動じない。

 ララの方は一言も発さず、チリの横にちょこんと座ったまま貫や楠葉の反応をじぃっと見ているだけであった。

 まるで、この反応は予想通りだとばかりに。


「チリ達は特別なの。狸の意見は知らないなの。巫女の言葉が第一なの」

「おい、こいつ一回殴っていいか?」


 狐妖怪たちはどうやら巫女である楠葉の意思は尊重してくれるとのことだが、狸妖怪である貫の意見は一切聞かないという意思表示をハッキリと示した。見た目からして自分より格下としか思えない妖怪に無礼な言葉を吐かれ続けて流石に我慢の限界がきたらしい貫は、額に青筋を作りながら口角をひくつかせ、ぐっと硬く拳を握りしめ今にも振り下ろしそうな気迫を纏わせていた。


「ちょちょ、さ、さすがにそれはちょっと待って。それで喋れなくなったら困るから、ね?」


 楠葉がなんとか苦し紛れになだめていると、そのタイミングで夫婦の部屋の戸をノックする者がいた。

 貫の気を逸らすチャンスだとばかりに、楠葉は「はい、どうぞ」と声をかけると、楠葉の母親が食事を手に部屋へ入ってきた。


「あんれまぁ。戻って来たって聞いたけどホンマに戻って来とるやないの。他の人らは全然気づかへんかったのに、声をかけてきた使用人さんは優秀さんやったんやなぁ」


 そう言いながら、暖かい湯気を立ち昇らせるお鍋をテーブルの中心に置く楠葉の母。


「2人で食べるには多いとは思うんやけど、若い2人やし、体力もつけなあかんしな。たぁんと食べて力つけてな。ほな、2人のお邪魔にならんようこれで失礼するさかい、食べ終わったもんは楠葉が持ってきてや」

「う、うん、わかった」


 楠葉は母の言葉に応答しながらも、テーブルの淵にしがみつき涎を垂らして狐の耳をぴこぴこ動かしているチリとララが気になって仕方がなかった。母にはその姿が見えていないことは今の言葉から明らかで、改めてこの2人が純粋な妖怪だと楠葉が認識を改めていると、母は去り際にぼそりと告げた。


「にしてもあの使用人さん初めて見た顔やったなぁ……いつ雇った子やろ。まぁ、ええか」


 独り言ではあったが、その言葉は楠葉の耳に届いた。

 思わず楠葉がバッと貫の方を見ると、貫はドヤ顔をしながら、いつから持っていたのか、大きな葉っぱを顔の横でひらひらとさせていた。


「ただの人間を操るのはオレにとっては楽勝ってこと」

「狸、やるなの。いい食事持って来させたなの。早く食べるなの」

「お腹ぺこぺこなの」


 先ほどまで貫に対し冷たい言葉を吐いていたチリが貫を褒めたたえ始め、その隣でララも首を縦にこくこくと何度も振りながらお腹を減ったアピールをしていた。


「もっとオレを敬え、子狐ども」


 褒められたことで気を良くしたのか、どや顔で鼻を高くする貫。その姿に「どっちが子どもだか」という言葉が喉まで出かかった楠葉だが、妖怪は自分の感情や欲求に素直であると貫が前に言っていたので、そういうものなのだろうと飲み込んだ。


「それじゃあ、まぁ、ひとまず、ご飯を食べましょうか」


 貫の怒りも、2人の狐妖怪に褒められたことから収まったようであるし、2人は話どころではなくとにかく食事をしたいという姿勢であったので、パンっと両手を叩いて場の空気を切り替えると共に提案し、楠葉はテーブルにつくことにした。

 同タイミングで貫もテーブルに着き、皆でテーブルを囲み「いただきます」と手を合わせ、食事が始まる。

 鍋を囲み、取り皿にわけていく。

 丁度箸も皿も4セットあることから、これも貫の幻惑によって母が持って来させられたのだろう、と段々とこの不思議な体験に慣れ始めていた楠葉はチリとララにそれぞれよそってあげる。鶏肉のだしが香る冬野菜たっぷりの鍋にはうどんも入っており、2人だと多いが、4人で食べると丁度いい量で、野菜のエキスの入った汁を飲み干すぐらいまで4人で食べつくした。その姿はまるで家族の様だ、と妙なくすぐったさを感じた楠葉は、そのくすぐったさを表に出さないようにし、温かな食事にひたすら集中することにした。

 そうして一通り食事が終わり、満腹になったらしいチリはポンポンと満足そうに自身のお腹をたたいた後、楠葉の方へ視線を向けた。


「チリとララ、どっちが女の子なの?」

「へ?」


 突然の質問に驚くも、2人とも中性的な顔をしている。性別の判断は難しい。だが、桃色の髪をしたララが女の子に見えてしょうがなかった楠葉は正直に「ララが女の子に見えるかな」と殆ど間を置かずに答えた。


「わかったなの。説明するより見せる方が早そうだから見せるなの。ララ、巫女になるなの」

「え?」


 楠葉が疑問の声をかけると同時に。

 ララが立ち上がり、くるっとその場で踊るように回った。


 刹那。

 ララの姿は変わる。


 背がぐっと伸び、狐耳も尻尾も消え、髪色は黒髪に。

 服装は神社に相応しい巫女装束。

 三十路を迎えた大人の女性へと姿を変えたララの手首には桃色の糸が絡まっており、その糸はまるで童話や絵本で出てくる天女のようなベールの形を模すかのようにララの背後で波打っていた。

 そうして、大人の女性へと完全に姿を変えたララは、ピタリと動きを止めると上品にお腹の前あたりで手を重ね、ニコリと微笑む。


 その姿は桃色の糸がなければ、楠葉そのものだった。


 目の前で見事な変化を見せたララに、楠葉はポカンと口を開けたまま、思った。


 今日は一体何度驚けばいいのだろうか、と。



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