「巫女は神楽鈴を毎日腰に挿すなの」
「これ?」
巫女術の説明のためにと、巫女像の地下にある部屋に入った瞬間、チリがそう言った。
部屋は書物や謎の壺、巻物、骨董品のようなものが多くあり、4人で入るとほとんど身動きがとれないぐらい狭かったが、テーブルやイスを動かせるところまで端っこに寄せることで、中央で輪になれる程度のスペースを作った楠葉は、お祓いの時に腰に挿している神楽鈴を取り出した。巫女装束にはまるで武士のように刀を挿すような帯や穴がいくつかあり、その中でも挿しやすい左の骨盤に少しあたるぐらいの箇所に楠葉は神楽鈴を挿していた。
「それなの。それを振りながら狸に唱えたら力の消耗はマシなの。簪はお家に帰る時だけの方がいいなの。神楽鈴には母様の力の媒体が中に入っているなの。だから巫女術を使う時、普段は神楽鈴を使うといいなの」
「その母様って、篠宮家の誰か?」
「今は言えないなの。母様に言っちゃだめと言われてるなの。巫女にチリとララのことは出来るだけ教えちゃいけないって言われてるなの。とくに狸には言えないなの」
チリの言葉に引っ掛かりを覚えたらしい貫が「その母様ってのは今生きてんのか?」と尋ねた。
妖怪は人間の寿命とは全く違う。
実際、貫は不死身でいつが寿命なのか不明だ。
チリとララも、妖怪であるからにはかなり昔から生まれた可能性が大きい。
貫の疑問は最もだと感じた楠葉は、同じ問いを投げかけるようにチリへ視線を投げた。
「いないなの。母様は……あ、言っちゃダメなの。狸、余計なこと言わないでほしいなの。チリがうっかり口を滑らせちゃうなの」
そう言って両手をハッと口で覆ったチリは、目を細めじとっとした視線を貫に向けた。表情があまり変わらないので感情はないのかと思われる妖怪だったが、少なくとも全くないわけではなく感情が表情に出にくいだけなのか、と楠葉は可愛らしいジト目にこっそりクスリと笑った。
「ほーん。口を滑らせそうになるってんなら、口封じはかけられていないってことか。なら質問攻めにするのは良い手段ってことだ」
貫が悪そうに口角を上げると、チリは楠葉の方を向いて「神楽鈴を狸に向けて言霊をするなの。なんでもいいなの。何事も実験は必要なの」といつもの淡々とした口調より少し力の入った様子で言った。
「え?ええっと……じゃあ、“まて”」
いきなりチリに言われて楠葉は戸惑ったが、実験、という言葉に好奇心が疼いたため、言われた通りとりあえず適当に頭に浮かんだ言葉を呟き貫に向かって神楽鈴を振った。
瞬間、「んぐ!?」と謎の音を発して貫の口が閉じられ、手や背筋が垂直に伸び、直立になる貫。
まばたきは出来るようだが、それ以外は金縛りにあったかのように動かせないようで、直立のまま少し揺れるが、その場からもほぼ動けないらしく黒い瞳がただただ戸惑うように右往左往していた。
「わ、すごい、全然疲れないし効果が強い気がする」
「その調子なの。あとは、えっと、ララ、あれを探すなの」
「白いあれなの?」
「それなの」
チリとララの謎の会話に「白いあれ……?」と楠葉が首を傾げていると、部屋の隅の方に移動したララは、色んな骨董品が乱雑に置かれている山の中に潜り込みがさこそと漁り始めた。その間ふわふわの桃色の尻尾がフリフリと忙しなく揺れていたので、楠葉はその可愛らしさに思わず黙って凝視していた。
「あったなの。チリ、はいなの」
ララは、白い布がいくつも繋がり束になったものを掲げると、チリの隣にぴょんっと戻って差し出した。
骨董品に埋もれていたとは思えないほどの白く綺麗な布は空中に漂う幸運を引き寄せる白い糸と同じような神々しさを纏っており、実際に白い糸がその布たちに吸い寄せられるように周りをふわふわと回っていた。チリがそれを受け取ると、ふぁさふぁさと布同士がこすれ、音をたてた。その道具を楠葉はよく知っていた。というよりも、お祓いの時に必須のアイテムだ。
「
「そうでもあるけど違うなの。これは母様が作った
「はらえ、ぐし?」
「この間来ていた百足妖怪くらいなら消せるなの。あと結界を張れるなの。やってみるなの」
そう言ってチリは楠葉に祓串を手渡した。渡された楠葉は、一旦持っていた神楽鈴を腰に挿し、受け取った。掴むと、棒の部分が白木となっていて非常に艶々とした触り心地の良いものであるという印象を楠葉は受けた。そして何より、手に非常に馴染むので、楠葉は両手で握りしめることでどのように使うかが頭に浮かぶのを感じた。
まずは左手で握りしめ、床につきそうな位置まで下ろす。
そこから、左手で円を描くように上に持っていき。
頭上で右手に持ち替えて、再び同じように円を描くように下ろす。
最初の位置に戻した所で、楠葉はつぶやく。
「かごめ」
刹那。
祓串の布たちがカッと強い光を放ち、天へと上った。
その光は巫女像を突き抜け、葛葉神社の社の天井を抜け、天高く上る。
そして神社全体を見渡せるような上空まで上ると、パッと離散し、いくつもの白い光の糸が葛葉神社全体を覆う。円形に囲むように広がった光の糸は、鳥居までを囲い終えるとそのまま消えた。
「ぷはっ」
それまで呼吸を無意識に止めていた楠葉は息を大きく吐き出すと両膝をつき、そのまま正座で座ると深く息を吸い込み、再び大きく吐いた。が、それでも息苦しさはなくならないようで「これはちょっと、しんど……」と、零し、スーハーと何度も深呼吸を繰り返していた。額にも、少々脂汗が滲んでいた。
「今のは力みすぎなの。もっと軽くでいいの。でも、今ので弱い妖怪はもう二度とここに入れなくなったなの。ついでにここに入ってきた妖怪の術は弱くなるから結果オーライなの。だから狸もああなるなの」
そう言ってチリが貫を指す。その指につられて楠葉が視線を動かすと、結界を張っている間に言霊の術が解けていたらしい貫は、膝をついて呼吸を荒げており「身体が、重い……なんじゃこりゃ……」と苦しそうに呻いた。
「狸ならすぐ慣れるなの」
「なのなの」
「なんで同じ妖怪のてめぇらは平気なんだよ!」
「巫女と同じだからなの」
「なのなの」
ケロッとしているチリとララに貫は叫ぶが、チリはさらっと意味深なことを言った。
「巫女と同じってどういうこと?」
「あ……」
どうやらチリは口を滑らせたようでハッと口を両手で覆うが、しばしの沈黙の後、いつもの無表情のまま「似たようなものだと思っていたらいいなの」と何事もなかったかのように述べた。
「ものすご~く気になるんだけど?流石に今のは私も聞き逃せないわよ、チリ」
「母様との約束は破れないなの。お口チャックなの」
「バッテンなの」
楠葉からじとりと睨まれるが、チリにとって「母様」との約束は重要なようで、口の前で人差し指でバツを作りこれ以上の発言はしない意思を示した。隣でララも同じように口の前にバツを作っていた。
「スー……ハァ。おし、慣れてきた」
そこで貫がすっと立ち上がり、両手をグッパッと開いて閉じて自身の身体の動きを確認すると「さて、散々実験体にしやがったことについてお仕置きさせてもらおうか?」と貫は怒気をはらんだ視線をチリたちに向けた。
「大丈夫、巫女へ教えるための実験はこれでおしまいなの。ここで渡せるものは全部渡したなの。あとは巫女が自分で使い方を学ぶだけなの。悪いことしたら巫女が守ってくれるから狸怖くないなの」
「てんめぇ……!」
「“おすわり”」
貫が拳を振りかぶったのを見て楠葉が素早く神楽鈴を腰から抜いて言霊を放った。
瞬間、宙で正座状態になった貫はそのまま地面に落ちるように座った。
「……ちくしょう」
「うん、疲れない。これならもう倒れずにすみそう」
「だからといって調子にのって乱用するんじゃねぇぞ。好き勝手されてるオレの身にもなれってんだ」
上機嫌な楠葉に貫は恨みを込めた黒い瞳で睨みつけながらも、これ以上変な行動をすると痛い目に合うのは自分だと観念したのか、注意をするだけで留めそれ以降は正座のまま口を閉ざした。
「巫女は飲み込みがいいなの。流石巫女なの。だからあとは取りに行ってもらうだけなの」
そう言ってチリは天井を見上げる。
一緒になって楠葉も思わず見上げてみるが、つるされた提灯型の灯りの周りに舞う埃や糸しか見えず、すぐに視線を下ろした。だが、チリの澄んだ青い瞳は、まるで天井を見透かして外の空を見上げているような様子があった。暫く黙ってじっと上を見続けていたチリは、口を開いた。
「そろそろ行かないとだめなの」