静かに呟いたチリは、楠葉へ視線を向けた。
その無表情はいつもと変わらないはずなのに、どこか神秘的で、一瞬大人の姿をしたチリが見えた気がした楠葉は思わず目をこすったが、目の前にいるのは間違いなくいつも通りの幼子の姿をした狐妖怪のチリだった。
「今日から力を注ぐ時間を30分にして、チリとララが大丈夫な日に実行するなの。ララはチリより言葉を発せない代わりに力はチリより強いから、チリは巫女と同じくらいお祓いを出来るから心配しないでいいなの。喋り方もちゃんと本人そのままになるからそこも心配いらないなの。でも、少し急がないといけないから元々の計画から急ぐなの。2人とも協力してほしいなの」
だからそろそろ帰ろう、と急かすように楠葉の手を握り、ララに手招きするチリ。
それを見て貫も大人しく傍に寄ってくるが、チリの淡々とした口調の中でいつもと違う何かを感じ取っていたようで、楠葉より先に口を開いた。
「急ぐ理由はなんだ」
楠葉の頭に浮かんだ疑問をそのまま言葉にした貫に、チリは数度の瞬きをした後、貫を見た。
「年を越したら、エトがくるなの。だから、年を越す前に取りにいかなきゃいけないなの」
「エト?」
「知らねぇ名前だな」
楠葉が首を傾げて尋ねると同時に、貫が言いながら顎をつまんで考え込むような仕草をし始めた。
「どのエトが来るかはわからないなの」
チリの言葉に貫は顔を上げ「妖怪の名前じゃなく、種族の名前ってことか。くそ、知らねぇ。こりゃ、おれが封印された後に生まれた妖怪だな」と自分の持っていない情報だとすぐさま判断し舌打ちをした。
「多分そうなの。チリとララが石になった後に生まれる妖怪だって母様が言ってたなの。見た目は弱そうで可愛いらしいなの。だから人間は油断するなの。それで憑りつかれて魂を食べられてエトのお腹にバイバイなの」
どうやらチリ自身もその妖怪の姿を見たことはないらしいが、チリが述べた妖怪の特徴は、チリが淡々と話すから何ともないような妖怪に一瞬思えたが、改めてその言葉の意味を加味すると、要するに見た目の可愛さで人間を騙しその魂を食べて生きている妖怪だということに気づき、楠葉は背中をゾッとさせた。
「種類がある妖怪ということはとりあえずオレら狸族みたいにエト族、みたいな感じか?見た目で騙すことに関しては似ているから狸妖怪の死骸を食らって似た力を手に入れている可能性もあるってことだな。……ち、封印されている間に知らねぇ妖怪が増えてんのはめんどくせぇな、くそっ」
貫の方は自分の中にある妖怪知識からその妖怪について悪態をつきながら分析を始めていた。
だがふと「あ?いや、待て」と素っ頓狂な声を上げるとチリの方へ鋭い視線を投げた。
「なんで石像になってたお前らがそんなに詳しいんだ?しかも口調からして最近出てきた妖怪も知っているようだし、そもそも、もうすぐ来るってことを何故察知できる?オレは気配を探ることに関しては得意ではなくともある程度はわかる。だが、お前らの察知能力と情報力は明らかにレベルが違う。一体なんなんだお前らは」
自分の知らないことを知っている、ということで余計に貫の疑心が深まったのだろう。
貫は少し身構える体勢をし、チリの発する言葉によっては攻撃も持さない雰囲気を纏い始めた。
「チリとララはお守りだったなの。狸妖怪と違って封印じゃないなの。だから狐像が見て聞いた情報はチリたちの頭の中に入っているなの」
チリは自分に殺意が向けられているとわかっている様子ではあるが、その表情は相変わらず読めない無で包まれており、淡々と話し続ける。
「それと、母様が色々知っていたなの。チリとララの母様は未来が見えるなの。チリはそれを教えて貰ったなの。目覚めた時に居た巫女が、チリとララが助ける巫女だと教えられたなの。だから知っていることは話して、知られちゃいけないことは喋れないなの。ただ母様は言っていたなの。チリが説明役で、ララは力になる、だから2人で1つと思いなさいって、そう言ったなの。だからチリとララはずっと一緒に巫女を守るなの」
そこまで一息に言ってから、少し悩むように俯いたチリは数秒の沈黙の後、顔を上げた。
濁りの一切ない青い瞳が、真っ直ぐと黒い瞳を見据えた。
「あと、嫌な感じのしない狸妖怪は攻撃しないよう言われたなの。巫女の運命かもしれないと言われたなの。そしたら本当に運命の糸に結ばれていたなの。だから狸は味方なの」
チリの話を聞きながら、一体この子はどれほどのものを抱えて石像になり続けていたのかと、楠葉が過ごした30年程度の人生では計り知れないものがあると楠葉は感じ、ただ黙って聞き入るしかなかった。貫も、かいつまんだ説明ではあるが大体の内容や意味を理解したのだろう。すべてに納得がいったわけではなさそうではあるが「まぁ、敵じゃないっていうのはわかった。それならオレも無駄な攻撃はしねぇよ」と答えた。
「ありがとなの。じゃあ丁度いいからお願いなの。本当に早く取りに行かなきゃならないなの。だから狸にお願いがあるなの」
「ああん?」
お互いが味方であると和解できたとはいえ、信頼関係がしっかり築けているわけではない。
そんな状況であるにも関わらず、チリはぶっとんだことを言い始めた。
「チリとララに変化をかけてほしいなの。力と言葉は今までので何とかなるなの。その分、外見を狸の力でなんとかしてほしいなの」
「あん?こないだお前ら1人で完璧に変化してたじゃねぇか」
「姿を変えるだけならできるなの。でも同じ言葉を話して力を使うとなるとチリとララだけの力だけでは無理なの。だから外見は狸に頼りたいなの」
いつも無表情のチリが、どこか甘えるように青い瞳を潤ませてじっと貫を見つめる。
さすがに小さい子からここまで懇願されると貫も断れないらしく、「ま、まぁ、それぐらいオレには簡単にできるから構わねぇが……」と言って、頼られることに対してまんざらでもなさそうな様子に、楠葉はきゅっと唇を結んで思わず吹き出してしまいそうになったのをなんとか堪えた。
心の中では、これがツンデレ、という感想を抱いていたのは楠葉しか知らない。
「てか、そんなに急いで取りに行かなきゃならねぇもんなのか?前は時間をかけてもいいような言い方をしていたが」
貫は頼られた照れを隠すためでもあったのだろうが、疑問に思ったことを素直に口にした。言われてみると確かにそうだ、と楠葉も思っていると、チリの青い瞳が一瞬細まった。
「嫌な予感がするなの。予感がするだけでも、母様が予感は信じなさいって言ってたなの。もしかしたらまた虫が来た時みたいになるなの。だから協力してほしいなの」
「お前の嫌な予感っていう言葉は妙に現実味がありそうだな……わかった。協力する。変化は任せろ。いつやればいい?」
「できれば明日がいいなの。早ければ早い方がいいなの」
「オレは構わねぇな。楠葉は?」
とんとん拍子で話が進んでいくことに楠葉は瞬きしかできず呆然としていたが、話を振られたことでハッとして「え、えっと、お祓いを代わりにできるってことなら、構わないけど、大丈夫なの?」とララへ視線を向けた。
ララは楠葉と目が合うと、こくんと頷いた。
「力、できるなの。1日なら、なんとかなるなの」
チリよりはゆっくりとしたテンポで話すララ。
その言葉に、楠葉と貫で翌日神社の外に出ることが決まった。
そこで、貫が突如悪い笑みを浮かべる。
「てか、オレらも外に出るならよ」
ニヤニヤとしながら、楠葉の方を見る。
その表情をしている時の貫が楠葉にとっていいことを言う時など一度もない。
思わず楠葉は身構えた。
「誰にも気づかれねぇように、変装しなきゃ、だよな?」
どこか楽しそうに、そして、悪戯気に光らせた目を向けられた楠葉は、瞬時に察した。
(私、絶対遊ばれる)