『君、楠葉じゃないね?』
そう声をかけてきたのは、宴の時に妙に楠葉へ近づいてきていた野郎だった。
そいつがオレに近づいた瞬間、オレの変化は解かれたから反射的に楠葉に報せを送ってしまったオレは、目の前の男をすぐに殺そうとしない自分に疑問を持った。別に目の前の男は楠葉の親戚であってオレには害があるなら殺しても何ら問題がない。
だが、オレは殺すことをせず、冷静に男を見据えながら楠葉を呼んだ。
勝手に殺したら、楠葉が悲しむと思ったからだ。
(別にいいじゃねぇか。オレはこいつのことはむしろ嫌いだ。なんで楠葉に気を遣って殺すのを躊躇ってんだ)
百足妖怪が楠葉を襲った時もそうだ。
楠葉が死ねば、金色の糸は消える。
晴れてオレは自由の身だ。
なのに身体は勝手に動いた。
久しぶりに血を吐いた。
ああ、昔はこうやって体を貫かれてばかりだったなと笑いそうになるほど痛かった。
どうやってこいつを殺そうか。
オレの女に手を出しやがって。
(オレの女?おいおい、さすがにそれはねぇんじゃねぇのかオレ。金色の糸の影響を受けすぎだろうが)
身体と心が分離したかのような自問自答がオレの頭の中で飛び交う。
そんなオレの前に、不死身で死なないオレの前に、黒髪がひらりと舞い白い光を帯びて百足妖怪に神楽鈴を振り下ろしていた。
『いらないのはお前の方よ!』
腹の底から叫んだ楠葉の瞳はいつもより赤く染まり、怒りに燃えていた。
(お前にとって、オレはいらないはずじゃなかったのか?)
楠葉にとって、オレは厄介者の筈だ。
言うことも聞かねぇし、好き勝手動き続ける、面倒くせぇ妖怪。
それがお前にとっての、オレという妖怪だろう。
なのに楠葉は、オレを守った。
オレが必要だと、言わんばかりに。
オレを守るように、百足妖怪に盛大な巫女術を放った。
そんな勇ましい姿を見せておいて、百足妖怪が小さくなったらトドメをさすことはせずオレの後ろに回り込んだ。心底気持ち悪いからなんとかしてくれと懇願するようにおれの背中を押す楠葉は、巫女でもなんでもないただのか弱い女だった。
(意味わかんねぇ。強くなったり、弱くなったり。なんなんだよお前は)
百足妖怪が纏う妖気はかなり嫌な感じがしたからもう少し調べたかったが、それをする余裕もなく今度は狐のガキどもが現れた。
オレには生意気を言うが、巫女を何やら連呼するから楠葉の味方であるのは間違いなさそうだった。
だが、ガキどもはオレも守る対象だと言った。敵じゃないと。
しかも、しれっとオレが楠葉の隣にいて当たり前のようなことばかり言いやがる。
(おまえらわかってんのか?オレは唯一無二の狸妖怪だぜ?不死身なおれは、いつだって楠葉を食う隙を狙っている妖怪だぞ?なんでお前らは、てめぇらは)
オレを、家族みてぇに大切にしようとしてるんだ
やめてくれ。
このままじゃオレはお前らを食えなくなるじゃねぇか。
お前らを失いたくないと思うじゃねぇか。
(いや、もう遅いか)
もうオレは、この場所を。
こいつらがいる場所を。
居心地がいいと思っている。
だから、狐のガキどもが別の妖怪が来ると言った時、おれは焦った。
この居心地いい場所を奪わせてなるものか。
(もうここは、オレの場所だ)
狐のガキどもの言葉に従うのはおれのプライド的に許せなかったが、従った方がいい気がした。だから大人しく言うことを聞いてやることにした。オレにしては、本当よく我慢できるようになったもんだ。これが忍耐強くなった、というものだろう。
そうして、オレと楠葉は神社の外へ出かけることになった。
(そういや、神社の外に出るのは初めてか)
金色の糸と言い、楠葉の言霊と言い、色々と縛られていたオレは封印が解けてから初めての外出に好きなもんを食えるだけ食うと決めていた。ガキどもが言った場所は、すでにいい匂いが漂っていたからだ。ただ、そのまま行くなんて面白くねぇ。折角だから、楠葉をいつもと違う格好にしてやった。オレの好みだと言ったら顔を真っ赤にして恥ずかしがっているのは新鮮で面白かった。
だが、思った以上に他の男どもが楠葉を見やがる。
(オレのだっつの)
楠葉の腰を抱いて睨んで牽制したが、視線はすぐに集まる。
(わからせてやる)
こいつはオレのだ。
オレの嫁だ。
誰にも渡してやるか。
団子を嬉しそうに頬張る唇をおれは食った。
どんな団子よりも甘くて、柔らかかった。
オレの行動に、慌てたり、真っ赤になったり、怒ったり、表情をころころ変える楠葉。
だが、拒否はしなかった。
オレの行動をすんなりと受け入れていた。
(あー、外じゃなかったらもっと食いやすいのにな)
楠葉を視界に入れていたい。
オレの傍から少しでも離したくない。
だが、オレは妖怪で不死身で。
お前は寿命に限りのある人間。
例え金色の糸で結ばれていようとも、ずっと共に生きる事なんてできねぇのはわかりきっている。
だから楠葉、強くなれ。
オレを殺せるぐらいに強くなれ。
そしたらオレは、お前の脅威となる妖怪を道連れに安心して地獄に落ちてやれるから。
ああ、だからオレもそれなりに強くならねえとな。
不死身の身体に甘えず、オレも術を磨かねぇとな。
でも、おかしな話だよな。
オレはお前を食って、最強の妖怪になるつもりだったはずなのによ。
今のオレは、お前が今手に入れた小刀で、妖怪としての生涯を終えてもいいと思っちまってるなんてよ。
これも全部金色の糸の力ってやつか?
運命の糸の力ってやつは、怖ぇもんだよな。