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第13話

「あー……」


 その光景を見て、そうだこいつは人間を惑わす化け狸だったんだっけ、と改めて最初の頃の貫を楠葉は思い出していた。

 幻惑が得意な貫は、女性たちに囲まれていて騒がれているせいもあり、楠葉がトイレから出てきたことにはすぐには気づかなかったようで誰もが思わず見とれてしまうような美しく爽やかな笑顔を浮かべながら何か言葉を発しているようだった。一体何を言っているのか聞こうと少し近づいて耳を傍立ててみたが、囁くように言っているのか、貫が何を話しているのかは楠葉がいる場所からは聞こえなかった。

 ただ、楠葉は女性たちの中心でキャイキャイ騒がれるたびに美しい笑みを浮かべ、満更でもなさそうな雰囲気を醸し出していた。そんな、めったに楠葉の前ではしない表情をする貫に対し、楠葉は心の奥がもやりとくすぶるのを感じていた。


(何よ、若い子たちにデレデレしちゃってさ。そりゃ私は若くないわよ。なんせ三十路だし、若にさは敵わないわよ。若くなくて、悪かったわね!)


 心中で毒づきながら、気づけば楠葉の足は勝手に動いており、貫を囲む女性たちの間に割り込み貫の腕を掴んでいた。


「お待たせ!」


 とびっきりの笑顔と共に楠葉自身でも思った以上の声を張り上げながら、掴んだ貫の腕を半ば強引に引っ張り自分の方へと引き寄せた。


(て、私何してるのよ。これじゃあまるで)


 嫉妬しているみたいだ。


 そんな言葉が浮かんで一瞬にして羞恥心で身体が熱くなっていた楠葉だが、今は変装をしている。


(そうよ、今は年齢不詳の外国人なのだから。さっき鏡で見たじゃない。私だとはいえ、泣きそうで情けなくてぐちゃぐちゃでも、貫の術で今は外国人美女なのよ、私は。その変装に相応しい行動をしているだけ、そう、それだけよ) 


 楠葉はなんとか笑顔を貼り付けたまま、いつもとは違う自分の姿であるからこういう行動に出るのもしょうがない、と無理やり結論づけた。とはいえ、やはり中身は楠葉だ。この強烈な行動に驚いた表情を浮かべる女性たち一同の視線が痛くて、背中に冷や汗が流れるのを感じていた。

 さすがにまずかっただろうか、と恐る恐る楠葉は貫の表情を確認する。

 すると、貫はフッと表情を崩して目を細めて楠葉を見つめていた。

 それは、先ほど遠目から見ていた微笑みよりも美しくて、楠葉は体温がぶわっと上昇するのを感じた。

 瞬間、貫の腕がぬっと伸びて楠葉の肩を抱き寄せ、額に唇を落とした。

 チュ、という音が額で鳴ったことに楠葉が驚いて固まっている中、女性たちは「キャー!」と黄色い声を上げていた。

 そんな騒がしい彼女たちに向かって貫は手を上げて「Bye」と言った動作をすると、楠葉の肩を引き寄せたまま歩き出した。

 今何が起こったのか理解が追い付かなかった楠葉だが、女性たちの声が遠ざかり静かで穏やかな道を歩いている内に心が落ち着き始めた。そして、女性たちを無理やりどけるようにして乱暴に貫の腕を引っ張ったのは流石に大人気なかったな、と恥ずかしさよりも反省が勝り、楠葉は心が曇天で埋め尽くされていくのを感じていた。


「さっきのだけどよ」


 そうして反省し始めている楠葉に、貫がふと言葉を零した。

 そういえば肩を抱かれたまま歩いており、非常に密着した状態だと気づいた楠葉は慌てて離れようとしたが、それを阻止せんとばかりにぐっと肩に力が入れられ、むしろさらに貫との密着度が上がった。何故そんな行動をするのかわからず楠葉が顔を上げると、貫がこの上なく嬉しそうに顔をほころばせており、楠葉の心臓が今までにない音を立てた。


「オレをとられたくなかったとか、そういうやつか?初心で神聖な巫女様でも嫉妬って感情を持ってるんだな」


 最初は幸せそうに見えた顔も、言葉を紡げば印象は変わる。

 この狸妖怪は、面白がっているのだ。

 そうわかると、楠葉は少しムッとした。

 だからといって否定出来る手札はなく、なんとかひねり出した言葉は「早く帰りたかったのよ。チリとララが心配するからね」と言うのがやっとであった。


「あ、八つ橋アイスだって!私食べてみたかったんだよね。買ってくる!」


 とりあえず色々感情を誤魔化したいのと、これ以上貫にバカにされたくないという思いから目に入ったお店をオーバーリアクションで指して声を張り上げた。とにかく貫から一度離れ、自分の体中に巡る熱や感情を冷まし、平常心を取り戻したい一心だった。

 そうして話題を無理やり逸らすことに成功した楠葉は、はしゃいでいるフリで貫から強引に離れると、少しだけ人が並んでいるお店の列に並んだ。年末という寒い時期であっても、歩いていると体が火照る人が多いのだろう。それなりにアイスは売れている様子があり、お店はそこそこ繁盛している様子だった。


(実は半ば嘘じゃなかったり。近くにあるのは知っていたけど、中々来れないお店だから気になっていたのよね。これだけ食べたらすぐに帰ろう)


 そう思いながらわくわくと列に並んだ楠葉は、ふと思う。


(貫も食べるかな?)


 甘いものに目がない貫だ。

 みたらし団子を嬉しそうに頬張っていた姿を思い出すと、もう一度あの顔が見てみたいという欲が出た楠葉は貫にそれを尋ねようと思い、「ねぇ貫」とパッと振り向いた時だった。

 そこに貫はおらず、金髪の男性二人が立っていた。楠葉と同じようにアイスを求めて並んだのだろう。振り向いた瞬間にバッチリと目が合ってしまったことで思わず楠葉はパッと急いで視線を戻して、動揺を押し殺すように視線を下げた。視界に貫は入らなかったので、もしかすると『買ってくる』という楠葉の言葉を聞いて素直にどこかで待っていてくれているのだろう。自分から離れた癖に一緒について来てくれていると思い込んでしまっている自分に楠葉は深く反省した。


「ヒュ~」

「超上玉じゃん」


 そんな声が後方から聞こえ、楠葉は肌がピリっとひりつき、嫌なものを感じとっていた。

 そして、自分の横に漂う赤と黒の入り混じった糸がねっとりと纏わりつこうとしているのを見て、思わず虫を払うように反射的に手で払いのけた。


 いくら恥ずかしいからといって、貫から離れるべきではなかった。


 貫と居るからこそ、近付きがたいと思われる容姿に変装している自分。

 だが、離れてしまえば。

 自分だって、貫のように囲まれる可能性は十分ある容姿に変装しているなのだ。

 今まで生きてきた中でそんな自意識過剰な考えを抱くことが無かった楠葉だが、今回ばかりは違う。

 なんせ、貫の変化術は完璧だと楠葉もわかっているからだ。


「ねぇ、お姉さん」


 反応してはいけない。

 そうわかってはいたが、肩をとんとんと叩かれてしまえば、誰だって反射的に振り向いてしまうものだ。むしろ、無視する方が余計なトラブルを招きかねない。


(とりあえず、私の言葉は相手に伝わらないって貫が言ってたし、私の言葉も伝わらないはず。だから……)


「何か御用でしょうか?」


 楠葉が丁寧に受け答えると、肩を叩いてきたらしい少年が面食らった表情をした。

 そして隣にいた少年と困ったように目配せをし始めていた。

 その様子から、聞き覚えのない言語となって彼らに届いたことがわかり、彼らが楠葉に接しにくくなっていると感じた楠葉は安堵する。

 だが、その安堵が笑顔として表情に出てしまったのがよくなかったのだろう。

 楠葉の表情を見た2人の青年は「えーと、連絡先、教えてくれません?」「ちょっと、あっちに、ついてきてほしいな」と指さしやジェスチャーで積極的にコミュニケーションを取り始めた。

 2人は金髪であるが明らかに日本人だ。外国語はさっぱりわからないだろう。なら謎の言語を話す外国人に寄り付かないのが当たり前と言うものだが、どうやら彼らは俗にいう肉食系タイプだったようだ。

 見知らぬ女性に声をかけ慣れているという様子がうかがえた。

 何より、2人の笑顔の後ろで、黒と赤の糸が絡み合うように漂っていた。


 黒の糸が混じる糸に碌なものはない。



(ああ、しまった)



 こんな何気ない場面でも、男性に対して耐性のない自分の抜けた行動を楠葉は呪った。




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