「今日は釣りをしとったらぎょうさんの魚が獲れたんよ。せやから、絶対にお前さんへ新鮮なものを食わしたくてなぁ。ワシの畑で獲れた米をいっぱいつこうて、魚もワシが丹精込めて料理して、たくさん握り飯を作って来たんや。ワシは体力には自信があるさかいの、他の村人より金がなくとも食べ物はたんとあるからな。料理の腕も保証するで。ま、そのせいでこの腹になったとも言えるがな。ハッハッハ!自分の作る飯が美味すぎて気づけばもうこれよりお腹が縮まんようになってもうたとかアホや思うやろ!けどな、これが幸せ太りというやつや。飯が美味く食えるんは幸せの証っちゅーからな!」
そう言って、恰幅のいい男は大きなおなかをポンと叩いた。
ぼよよん、と震えると共に何故か心地よい音を奏でるそのお腹は、童話などで腹踊りをしている滑稽な狸のように見えて、楠葉は思わずフッと噴出してしまった。
それは隣にいた葛も同じようで、「フフ、いい音が鳴るのね、そのお腹は」と楽しそうにしていた。
「お、えーなえーな。そうやってよう笑うのが一番や。ほんでうまいもん食えば幸せになれる。食うて、笑う。これほど人生で幸せでええことはない。だがお前さんはどうも食事をしとらんようにしか見えんのがワシは心配でかなわんでのう。ワシのこの腹の肉をわけてやりたいくらいやぞ?ほれ、た~っぷり作ってきたからたんと食え。うまいもん食えば、辛いことなんかも吹き飛ぶってもんよ!なんなら食べながら愚痴話をしてもええぞ。今はワシとお前さんの2人だけや。行儀の悪い事してもだーれも叱らんからな!ここでくらい互いに好きなように過ごすのが一番や」
そう言って、葛の顔ほどもあるおにぎりを大きな手で差し出す男。
もし楠葉の世界であれば、泥まみれの格好をした男から素手で差し出されたおにぎりなど到底受け取れるものではないが、葛が見せる世界は楠葉の知らない世界とも言える遥か昔の時代なのだろう。葛はむしろ恐れ多いとばかりに恐る恐る手に取り、そぉっとおにぎりをかじった。
すると、葛の暗かった表情にパっと光がともったように、見違えるほど明るくなった。
「おいしい……!」
咀嚼する口元を抑えながら、感動したように大きなおにぎりを目を見開いて見つめる葛。
その姿にはそれまで大人びていたり今にも消えそうな悲壮感漂わせるものは一切なく、どこか子どもっぽい無邪気さがあって、葛のその変化に思わず楠葉の頬も緩んだ。
勿論、男も嬉しそうに破顔していた。
「せやろせやろ。ワシの料理の腕は村一でもあるんやで。ワシの醜さであんま食うてくれる村人はおらへんが、こうやって幸せそうに食うてくれる人を間近で見れるんはワシにとって最高の幸せや。ほんで、お腹もすく。というわけで、ワシも一緒にいただくとするか。いっただっきまーす」
そう言って、男は葛の一口の5倍以上の口を開けておにぎりにかぶりついた。
たった一口であるのに半分くらいなくなったおにぎりに楠葉が呆気にとられていると、同じく男の真横でその光景を見ていた葛の目も丸く見開かれていた。
「まるで、大食らいのような大きさの口ね。あなた、本当に人間?」
「むぐむぐ、ごくん。おう?アッハッハ!まぁ、正直よう言われるわな。お前は本当に人間か?と。化け物じみた体力とこの醜い容姿があるさかいに何度言われたことか!お前は人間の姿をした化け物やってな!そしたらワシは言い返すんや。おう、ほなワシと戦って勝ったら米を無償で一升やろうやないか、てな。ま、誰もワシに勝ったことないから、ワシは村一の力持ちで大食らいのバケモンてことになっとるわ。せやから、人前で食うと小さい子らが怖がるさかいに、こうして他の奴らに迷惑かけんように村から離れたここでよう食事をしとるんや。せやからあんさんみたいな別嬪さんに会うなんて奇跡が起こるとは思いもせんかったわ。しかも一緒に食事してくれるなんて、人生の運をワシは全部使いはたしたんとちゃうかあ?」
「化け物……あなたが?そんなことないわ、むしろあなたは……」
葛は何か言おうとしたが、上手く言葉が見つからなかったのだろう。
困ったように視線を下げた。
(そういえば、狐の耳も尻尾も生えているままなのに人間として接しているわ、あの男の人。ということは、葛の妖怪部分は見えていないということ?あの銀髪も、私と同じ黒髪に見えているのかな。普通の人と、私の視界の違いは、何度痛感しても慣れないものね)
楠葉がそんなことを思っていると、男がまた高らかに笑った。
「アッハッハ!遠慮せんでええよ。見ての通り、ワシは化け物と言われることに慣れとるし、むしろそれを誇りに思ってる。それよりも、あんさんの方が気になるわ。村では見かけたことない人やし、遠くから来た旅人さんやろ?こんな化け物みたいな男の傍にいて怖くないんかいな?」
「怖くないわ!」
葛は言葉と共に勢いよく立ち上がった。
今まで見た過去の情景の中で葛がここまで声を張ることはなかったので、男と一緒に楠葉も驚いていた。
「お、おお?そ、そうかいな。そんな勢いのええ返事がくるとは思わんかったわ。まぁ、ひとまず、迷惑にならんのやったらよかったわ」
「ええ、むしろ、私は……あなたの隣が、この世で一番落ち着くわ」
そう言って、葛は再び座ると先ほどよりも男と距離を詰めた。
そして、男の肩に小さな頭をのせた。
狐耳が恥ずかしそうに垂れ下がっているのを見て、それが葛にとっての精一杯の好意の表しなのだと察した楠葉は、その光景に思わず頬を染めてしまう。
そんな楠葉よりも真っ赤に火照った男は、妙に慌て始めた。
「お、おお、おおおお
「そんなことない。あなたからは、自然と一緒に溶け込んだような、いい土のにおいがするもの」
「ま、まぁ、毎日畑におるさかい、土いじりはしょっちゅうしとるからな!殆どの村のもんは肥料の匂いもうつってるからと臭い臭い言いおるんやが、あんさんはやっぱ違う村の人やからか感性が違うんやなぁ。あ、そういえば名前聞いとらんかったな。いなり寿司を渡した時は1個も食わんとただワシの話を聞いとるだけであんまり喋らへんかったから、喋るのが苦手やと思ってあえて聞かんかったんよ。やから怖がられへんためにもワシのこともあんま話そうとは思わんかったが、今日は同じ握り飯を食うとる。やから、お互い自己紹介してもええやろ。あ、ちなみにワシん名前は篠宮タンタや」
「タンタ……」
「おうよ、タンタやで」
タンタの自己紹介を聞いて、葛は噛みしめるようにつぶやく。
それに対し、タンタはニカっと欠けた歯を見せながら笑った。
しかし、このやりとりに楠葉は雷に落ちたような衝撃を受けていた。
「篠宮……!?」
それは、自分と同じ苗字であり、タンタという名前は、葛葉神社を伝説の巫女と共に作り上げた由緒正しき篠宮家の先祖の名であった。