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第13話

 楠葉が瞬きをすると、今度はボロボロの社の中だった。

 空っぽの本棚に埃塗れの床、壁からは蔦が伸びていて、まるで自然と一体化したようなその部屋の構造は、楠葉の記憶の中にある巫女像の地下部屋に似ていた。


「いつか、私の血を濃く引いた者があいつに狙われた時、そして、自分の存在に疑問を抱いた時。この記憶と日記が道しるべになりますように」


 独り言を呟きながら、古びた机の上でペンを走らせるクスコ。

 そのペンが進むごとに、楠葉の脳内に言葉が響いた。


『私は、生まれた瞬間から金色の糸に縛られていた』

「え?」


 あまりにも衝撃的すぎる一文に驚愕しながらも、言葉は続く。

 楠葉に直接言い聞かせるように。


『九尾として生まれた私は同じ時期に生まれた雄の九尾に見初められた。

 そして、雄の九尾の方が力が強かったがために、強引に黄金の糸で結ばれた。

 生まれたばかりであったがゆえに、その糸で結ばれる意味が分からなかった私は為されるがままだったが、後に知った。

 雄の九尾の思惑と共に。

 彼は私を金色の糸で結ぶことによって最強の妖怪として君臨するために。

 九尾の雌に強い子どもを産ませ、食らうことで、力をつける方法を知ったのだ。

 だから、私は強引に糸で結ばれたのだ。

 でも何故、生まれてすぐ彼は糸を結ぶことだ出来たのか。

 それは、どの九尾も人間の赤子と同じような姿で生まれる中、私とその雄の九尾は生まれた瞬間から成人した姿だったからだ。

 今まで生まれた九尾の中で異形として生まれた私たちは、先に存在していた九尾よりも強い力を持っていた。

 だから、私を黄金の糸で縛った雄の九尾はすでにいた九尾を食った。

 そして私より強くなってから、糸を結んだ。

 それが、苦埜』


 あまりにも恐ろしい文章が、その頃の映像と共に頭に流れ込んでくる。

 映像はとぎれとぎれではあるが、九尾たちの悲鳴や、黄金の糸により無理矢理連れまわされる葛の悲鳴も合わさって聞こえ、楠葉は震えた。

 恐ろしくて涙があふれ出てきていたが、言葉は容赦なく頭の中でまだ続く。


『私が産んだ親を見る前に、苦埜は全ての九尾を食らいつくしていた。

 だから私が意識を持った時に初めて見たのは、地面に広がる血だまりと、指に無理矢理結ばれた金色の糸だった。

 苦埜は私にその辺にあった草木の名前、葛、と名付けると、私をただ子どもを産む機械のように扱った。

 子種を植え付けられ、不死身の身体を利用して強引に私の体内で成長させて、腹を裂いて取り出す。

 私の手に抱くことなく、苦埜の一部となる子どもたち。

 知能が私の方が先にあればこの状況を打破することは出来たはずだった。

 けれど、何もかも、苦埜の方が上手で、逃げようとすることすらも叶わなかった。

 それも全て、金色の糸で縛られているため。

 金色の糸が、互いがどこにいるかを指し示してしまう。

 逃げることなどできない。

 その中で私が出来る抵抗は、苦埜が強くなりすぎないために、自分の体を弱らせて強い子が生まれないよう、廃れた神社の鳥居に妖力をバレないように注ぐことだった。

 そうすることで、私を食らうほどの力を苦埜がつけてしまわないようにするしか、私が生きる道はなかった。

 しかし、繰り返されるこの苦痛に耐えきれず、一度命を絶とうとした。

 けれど、私は唯一無二の雌の九尾であったがために、命を絶つことを許されなかった。

 そして金色の糸の呪縛は、私が雄をどれだけ憎もうとも、私が雄を殺そうとすることを許してくれなかった。

 同じく雄も私を食らおうとしたことがあった。弱い子どもしか生まれないから。

 けれど、金色の糸がそれを阻んだ。

 それは苦埜にとっても予想外だったようで一度金色の糸を切ろうとしたが、それでは力を付けるための食い物が減ると判断したらしい。

 故に苦埜はその後も私が産む子どもを食らい続け、私を食える力をつけようとしていた。

 唯一無二の九尾になるために』


「なんてむごい……」


 壮絶な九尾の状況に、楠葉は心を痛めずにはいられなかった。

 同時に、自分が相対していた苦埜という妖怪の恐ろしさを改めて知り、また対峙することになるかもしれないことを思うと震えを抑えることができなかった。

 恐怖で気が遠くなりそうな中、まだ言葉は続いた。


『私はなんだろう?

 何故私は生きているのだろう?


 私は前世をかすかに覚えていた。

 双子として生まれた私は、要らない赤子として海に投げられた。

 その後、息を引き取った私が浜辺に打ち上げられているのを見つけた飢えた狐が私を食った。

 しかし腐っていた私を食った狐も、そのまま死に、私たちは波にさらわれ海の底に沈んだ。


 そうして、九尾として生まれた。


 だから私の記憶の中に、生きる喜びなど、なかった。

 でも――』


 ふと、楠葉の胸元がじんわりと温かくなった。

 それと同時に苦埜に抱いていた恐怖が拭われる感覚があり、楠葉は思わず胸元をそっとおさえた。

 そして頭に響く言葉にも、温かみと柔らかさを帯び始めていた。


『そんな私に生きる喜びを教えてくれたのは、ボサボサの黒髪に泥んこの着物を纏った大きな人間の男だった。

 雄の九尾しか男を見たことなかった私は、筋骨隆々の男の大きさに驚いたが、彼は私の姿を見ていなり寿司を差し出してきた。

 それが食べ物だと分かってはいても、何故私に差し出しているのかわからず首を傾げていると突然その男は話しだした。

「こんなに細けりゃ空腹でそりゃ倒れちまう!お前さん、辛かったろう?どっか別の村から来た旅人かどうか知らんけども、ここで会ったのもなんかの縁や。しかもここはワシがこっそり飯を食うための隠れ場でもある。今日からワシがたんと食料持ってきてやっから安心しいや!」

 そう言った男は、本当に何度も食料を持ってきてくれた。

「最初は食わんかったから嫌がられてると思うとったが、2度目の正直やったかいな?それともいなりは嫌いやったんか?ワシが丹精込めて作った握り飯を美味しそうに食うてくれるのは嬉しいもんやなぁ」

 男があまりにも嬉しそうに言うので、私は食べた。

 食欲が湧いたことなどそれまでなかったのに、男の声を聞くと自然とお腹が減り、米粒を咀嚼するだけで幸せで胸が満たされた。

 男のことを聞くと、男には普段女が寄って来ないと言っていた。

 見た目が醜いからと言う理由だそうだ。

 だから女は寄らない。

 差し出したものも捨てられ払いのけられる。

 けれど私が迷いなく口にしたことから、男は私のことを気に入ってくれたようだった。

「わしゃあ、よう食っちまうからよぉ。このでっかい腹も嫌がられるんよなぁ」

 男は快活に笑い、いろんな話をしてくれた。

 男は結婚を諦め、畑仕事をしている内に腕っぷしも体力も人一倍持つようになり、私に食料を上げても貯えが沢山あるほど食べ物には困らない生活を送っているとのことだった。

 しかし見た目の醜さから誰も男に寄ることはなかった。

 自分のことを卑下し続けながら語る男に私は思った。


 男は、そんなに醜いだろうか?


 私はもうこの時すでに、男に惹かれていたのだろう。

 ある日、九尾が傷だらけで私の元に帰って来た。

 狸妖怪にやられたという。

 あと一歩で殺せるというところで逃げられたそうだ。

 その妖怪も、家族を食い殺し最強の妖怪になろうとしている。

 九尾としてはなんとしてでも葬りたい妖怪だとのことだった。


「絶対に捕まえてやる」


 そう言って九尾は私の右腕を食いちぎった。

 痛みに慣れていた私は何も感じなかった。

 どうせすぐ生えてくるから。

 ただ、右腕のなくなった私を見た人間の男の反応を見たくなった。


 醜い私でも傍にいてくれるのか。

 私は男を試したのだ。

 今思えば悪い女だ。


 男は心配してくれた。

 だから私は妖怪だと明かした。

 それでも、男は言った。


「ワシの作った飯を受け取ってくれた時から、ワシはお前さんが好きでたまらん」


 嬉しいと感じた。

 暖かいと感じた。


 彼が私を恐る恐る抱きしめた。

 いつも強引に引っ張って組み敷いてくる雄とは違い優しい抱擁に私は涙を流していた。


 彼と居たい。


 だから私は、ある日名前を明かした。

 葛という名前を。

 すると男は私に名前を与えてくれた。

 楠子という名前を。


 そして、本物の金色の糸が現れた。

 これが本当の運命なのだと私はすぐにわかった。

 だから決意した。

 私は、妖怪をやめると』


「妖怪を、やめる……?」


 楠葉は思わず、そう言葉を零していた。

 それまで黙って綴られていく言葉に耳を傾け、クスコが見せた過去と照らし合わせて謎だった点と点の部分が繋がっていくのを感じていたが、最後の一文は無視できなかった。

 すると、そんな楠葉の頭の整理を待つように一度言葉が止まったので、楠葉は苦埜とクスコが見せた過去の記憶と、日記のこと、そして今までの自分の経験を照らし合わせ始めた。



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