「そんな……」
まるで、何もなかったのような静けさに、ぽつりとつぶやいた楠葉の声だけが通り過ぎる。
さっきまであった、可愛らしく飛びついてきた優しい子狐妖怪たちの温もりはもう手元にはない。その事実に、楠葉は信じられなくて、信じたくなくて、視界が歪んでいくのを感じていた。
気づけばとめどなくボロボロと涙が溢れ、地面に流れ落ちていた。
「やだ、いやだ、いやよぉ……なんで、なんで?」
何故2人がいなくなったのか。
何故いなくなる前に笑ったのか。
何故、苦埜と共に消える必要があったのか。
その理由がわからず、いや、わかりたくないという気持ちが強すぎて、楠葉は訳も分からず感情のままに泣くことしかできなかった。
「くそ、あいつらの気配は今までわかりやすかったのに、なんでこういう時に限って全く分からねぇんだ!」
これまでの苦埜との戦闘や、妖怪化した楠葉を抑え込むことに力を使っていた貫自身も本調子でないことから冷静な判断や考えが回らないのだろう。額に指を2本立てて押さえつけながら必死に気配を探ろうとしている姿が伺えるが、全く成果はない様子であった。
「こうなったら、一か八かだがあいつらが生み出した地獄の門付近を調べてみる」
そう言って貫が立ち上がったのに、楠葉は思わず腰に抱き着くように引き留めた。
「うお、なんだ!?」
「だ、だめ。貫までいなくなったら、私、私」
「大丈夫だ。オレはいなくならねぇよ」
「でも、でも」
「むしろお前がいなくならないようにしろ。何回もオレの前から消えやがって。もう離さねぇよ」
「本、当?」
「ああ。だってオレはもう、お前を愛しちまっているんだから」
「愛し……え、愛し!?」
まさかそんな愛の言葉が返ってくるとは微塵も思っていなかった楠葉の顔が、悲壮感から一変してボンとリンゴのように赤くなった。
「なんだよ、お前も大好きって言ってたじゃねぇか」
「そ、それはそうだけど」
「なんだ、今はもう違うってか?」
「そ、そんなことない。私だって、貫のことが、大好き、です」
「ほぉーん、愛してるじゃねぇんだ?」
「……! あ、あ、愛して、ます。て、こんなことしている場合じゃないってば! もう、貫ったらこんな時にまでふざけて――」
すっかり二人だけの甘い空気が出来てしまったことに楠葉は慌て、けれど嫌な気持ちになってはいないがために思わず同じように愛の言葉を返してしまったが鼻先が触れる程顔が近くなったことで我に返った。このまま貫のペースに飲まれたらキスをしたくなってしまう。そんな淫らな気持ちを必死に抑え込み、チリとララについて言葉を発しようとした瞬間だった。
突如、2人の間に今までの中で一番っていい程に輝かしい光を放つ金色の糸が現れた。
それは、2人が初対面の時に現れたものより眩しい程の光を放ち、貫と楠葉の全身に金色のオーラを纏わせるほどの強い光を放った。
「こ、こんなの初めて、見た」
「お互いが思い合うとこうなるのか? 運命の糸とやらは」
「わ、わかんない。こうなったこと見たことないし、なんかもう、初めてのことばかりで私の頭が追い付かないよ」
「流石に色々起きすぎてオレも大混乱中だがな……ちょっと待て、なんか周りの空間が可笑しい。楠葉、オレに捕まれ!」
「え?は、はい!」
最初は金色の糸の輝きに見惚れ、しっかりと互いの指が結ばれていることを呆然と見つめていた2人だが、貫の方が周りの異変に気付き素早く楠葉を胸の中に抱き込んだ。突然のことに楠葉は驚くものの、これまでの経験からいつ危険な状態に陥ってもおかしくないのは重々理解しているため、反射的に貫の胸元の布に顔をうずめるようにしてしがみついた。
「この場所の空間が歪んで、る? 一体何が起こってんだこりゃ!」
「浦西貫様!ここは苦埜が作り上げた空間!あの者がいなくなったことでこの空間そのものが消滅しようとしています!早くお逃げください!」
「エト族のウーの声か?お前らはどこにいる!」
「私たちは外におりまする!鳥居が現れた瞬間何故か空間の外に弾き飛ばされてしまいまして、ずっと中の様子がわかりませんが、外の枠がぐにゃぐにゃとして今にも消えそうなのです!言葉だけをなんとか送っている状態ですので、どうか急ぎそこから脱出を!」
切羽詰まった声に、貫は一瞬チリとララが居た場所に目をやるが、その場所すらも渦を巻くように歪み始めたことからこの空間に留まり続けてしまえば自分たちの存在も消えてしまうということに気づいた。
「ちくしょう、楠葉、ここを一旦離れるしかない!」
「でも、チリとララが」
「わかってる。だがオレたちが消えたら意味がねぇ。もしあいつらが自力で帰って来た時にオレたちが消えていたら喜ぶと思うか!?」
貫の指摘に楠葉はハッと顔を強張らせると、ぐっと唇を嚙んで悔しさと悲しさを飲み込むように目をつぶり「わかった、出よう、ここから」と言葉を吐きだし、そっと瞼を持ち上げた。そこに、こぼれそうなほど涙が溜まっているのを貫は気づいていたが、ひとまず脱出方法を探そうと周りへ視線を巡らせた。
だが、貫には何も方法を見つけることが出来なかった。
「くそ、何か策は……!」
「どうしよう、貫……」
「大丈夫だ、必ずお前は守り抜く」
不安げな声を上げる楠葉に、貫は楠葉の困惑した表情を覗き込むと力強く言った。
その瞬間、互いの指に絡んでいる金色の糸が輝きを放った。それと共に、金色の指輪がキラリと光るのが視界に入った。
「……そうだ、楠葉、まだ力は残っているか?」
「え?えっと、まぁ、少しぐらいなら……」
貫に突然言われて楠葉は動揺したものの、貫にもたれかかった状態のまま両手を開き自分の手を見つめた楠葉は、「うん、いけそう」と頷いた。
「あの言霊のやつはできるか?」
「言霊?」
「ああ。距離があるから力はいると思うが……すまん、オレにはこの状況が何も出来ねぇからお前に頼るしかねぇんだ。いけるか?」
必死の訴えに楠葉は困惑し「言霊って、どの……」と言ってから、貫が鬱陶しくなって部屋に戻ってほしい時によく唱えていた頃のことを思い出した。そういえば今まで苦埜と対峙していて言霊を唱えるような状態になることなど全くなかった。
けれど、貫と共に過ごしていた期間は、言霊を唱えない日はなかったと言えるだろう。
「ここから篠宮家までどれほどの距離があるかわからない、けど」
そこまで言って一度言葉を止めた楠葉は、自分と貫の指に繋がる金色の糸
と、お揃いの指輪を見遣った。
「今の状態なら、殆ど力を使わず出来る気がする」
言いながら、金色の糸が繋がる手を貫の手に伸ばす。
貫も何か察したように己の手を開くと、近付いてきた楠葉の掌と合わせ、指を絡めるように繋ぎ合った。
「いつでもいい。オレはお前の傍から絶対離れないから」
「うん」
優しく紡がれた貫の言葉と共に、そっと楠葉の額に唇が落とされる。
それだけで力が漲るのを感じた楠葉は貫の温もりを全身に、特に金色の糸が絡んだ手に熱いと感じるほどの温度に身をゆだね、一つ深呼吸をした。
失敗するかもしれない。
そんな一縷の不安もよぎった。
けれど例え失敗しても貫が傍にいてくれるならば。
(何があっても、大丈夫)
そう確信した楠葉は大きく息を吸い込み。
ぎゅっと貫の手を握りしめながら叫んだ。
「ハウス!!」