「お戻りになられたんですね!」
「ああ、よかった!」
「一体どこへ行っておられたのですか?」
「服もこんなに乱れて、一体何があったのですか!」
「お仕事もかなり溜まっております。今日は何卒休んで、明日からどうかお戻りくださいませ」
「お二人とも何をそんなにお急ぎで!?」
「え?楠葉が返って来た?旦那君も?て、え?まさか今門を走り去っていったのが2人だとか言わないわよね!?また行方不明だなんて私耐えられないわよ!?」
「一体全体何がどうなっているんだ~!」
貫と楠葉の2人が部屋から出たのを仕事途中の使用人に見つかった瞬間、篠宮家にいる人々があらゆる引き戸を開けて現れてどやどやと集まって来た。それに対し「う、やばい」と楠葉が貫にしがみつくと、貫は懐から1枚大きな葉っぱを出してフッと息を吹きかけ、紫色の煙をその場に充満させると人では絶対にできない高い跳躍をして篠宮家の門から脱出した。
その様子を数人が見ていたようで篠宮家からは阿鼻叫喚の声が聞こえてきたが、貫が起こした煙により混乱しているのか、はたまた何か別の幻惑を見せられているのか、中々派手に門から出たというのに楠葉たちを追いかけてくるような気配は一切なかった。
「人間程度の相手は簡単で助かるな」
クク、と喉を鳴らし、いつものイタズラ大好きな狸妖怪のにんまりとした悪い顔をする貫に、楠葉もつられるようにクスクス笑った。楠葉は今お姫様抱っこをされている状態であり、貫の温もりを感じながら勢いよく駆け抜ける彼に身を預けていた。様々な道を走り抜けるたびに頬に当たる風が妙に心地よく、緊迫した状況であるはずなのに思わず頬が緩んでいた。
チリとララを探しに行くために急いでいるのに、この瞬間を幸せだと感じてしまうのは罪深いことだと頭の隅では感じていた。それでも、久しぶりの貫の温もりが心地よくて、嬉しくて、頼もしくて。楠葉は、その逞しい腕からこぼれ落ちないように貫の首に両腕を回しぎゅうっとしがみついた。
「一気に葛葉神社まで行くぞ」
「わかった。でも、結構人がいるんじゃないかな?」
「居たとしてもたかが人間だろ?任せろ。オレの得意な術はお前がよく知ってんだろ」
「それもそうね」
いつものように仕事をする場合であれば叱るべき発言を貫はしているが、今回ばかりはそれが頼もしい。
そして流石不死身妖怪と言うべきか。
一度かなり体力を消耗しているはずなのに、篠宮家に帰ってからというもの、見るからに生き生きとし始めた貫は楠葉をしっかりと抱きかかえたまま片手を前に出すと何もない空間から数枚の葉っぱを出現させた。
「ちょっとばかし、この辺の天気を変えさせてもらうぜ、人間どもよ」
どこか楽しそうにそう言い放った貫は、葛葉神社に着いた瞬間タッと地面を蹴って軽々と鳥居の上に乗った。そして持っていた葉っぱを神社全体にばら撒くように鋭く投げると「ボォン」と言って指をパチンと鳴らした。
刹那、ばら撒かれた葉っぱたちは神社を訪れていた人々の視線の高さまで落ちてからポンっと軽い音を立てて白い煙を発生させた。その様子を貫の腕の中で見下ろしていた楠葉は、葛葉神社がどんどんと真っ白な霧に包まれるという不思議な光景に目を丸くしていた。
「天気を変えるって何かと思ったけど、こういうことね」
「霧が充満すれば視界が悪くなるのは必然。ついでに不快感を覚えるようにべったべたの湿気たっぷりの霧に感じるようばら撒いた」
「うわぁ。それは、私も居たくないな」
「所詮幻惑だ。オレと楠葉にとっては何の害もねぇ白い煙だ」
「今更だけど、貫の術って結構便利よね」
「気づくのが遅ぇよ。オレは唯一無二の狸妖怪様だと忘れんな?」
そんな軽い会話を交わしている間に、突然の霧の発生に驚いた人たちが次々と葛葉神社から退場していった。
数秒もすれば、人の気配はすっかりなくなり、葛葉神社にいるのは鳥居の上に立つ貫と、それに抱えられた楠葉のみとなった。
「よし。まずは土台を調べるぞ」
「土台?」
「ああ。チリとララが異常な術を使っていただろ?」
「うん。書物でしか見たことないような地獄の門を出していたし、あの炎も、凄かった」
「あれを使えるようになったのは、あの2人が元々座っていた狐像の土台に触れてからだ」
「あの像の?」
「そうだ。お前を探すために力が必要とか言って、一度それに触れた。そこからだ、あいつらの雰囲気が妙に変わったのは」
「なら、それに私たちも触れたらわかるかな?」
「それはわからん。だが、何かの欠片は見つけられるかもしれねぇ。とりあえずやれそうなことからとことんやってやろう。オレはもう、後悔なんざしたくねぇんだ」
「うん。私も、後悔はしたくない」
楠葉の決意表明を皮切りに、貫は「いくぞ、しっかり捕まっとけ」と言い、ぎゅっと楠葉を抱え込み直すと鳥居の上から飛び降りた。そのまま地面に落ちた瞬間の衝撃に備えて楠葉は貫にしがみついたが、貫は何か術を使ったようで地面につく寸前でふわっと浮き、音を立てずに地面に降り立った。
「さ、さすが」
「これくらい朝飯前だ」
貫の身体能力に改めて楠葉が感心していると、貫はにっと得意げに笑った。
そして優しく楠葉の足から降ろして地に立たせると、貫は鳥居の方を見、その両側にある何もない土台を交互に見た。貫の幻惑で霧が立ち込めさせているせいか、普段幻惑で狐像がある筈の場所には、今は何もなかった。
「オレはチリが触った土台に触れてみる。楠葉はララの方を頼めるか?」
「いいけど、何か考えがあるの?」
「あいつらは確か同時に触れていたはずだ。オレと楠葉なら、この糸さえあればテレパシーのように意思疎通できる気がする。だから、あの双子のように息を揃えられるんじゃねぇかと思うんだ」
そう言って、白い霧が立ち込める中でも輝く金色を放つ糸が絡む指を貫は持ち上げた。
それを見た楠葉も自分の手を持ち上げ「うん、意思疎通は私も出来る気がしてる。何だか前より、貫と繋がってるって感じるの」と頷いた。
「よし。善は急げだ」
「うん」
2人は頷きあい、鳥居の両端に別れた。
土台の前に立った瞬間、ふと不思議な空気に包まれたような感覚を覚えた楠葉は反射的に空を仰いだ。
「逢魔が時……」
真っ白な霧に覆われている隙間から覗くオレンジ色の空。
まるで、この時間に2人が現れるのを待っていたかのような色と空気に、楠葉は貫の予想が当たっているだろうことを根拠はなくとも確信する自分がいるのを感じていた。
『いくぞ』
金色の糸が震え、貫の声が直接脳に響いた。
本来ならそれを不思議に思うべきだが、楠葉は日常的にそうやって会話をしていたかのようにすんなりと受け入れていた。
『いいよ』
楠葉も同じように返すと『触れ』と貫の返事があった。
その声を聞き届けた楠葉は素早く手を伸ばした。
手が、土台に触れる。
貫も同じタイミングで触れたのだろう。
金色の糸が一層強く震えた。
次の瞬間。
『おはようなの。目覚める時が来たなの』
チリの声が聞こえたと楠葉が感じた瞬間。
目の前に、狐像から子狐妖怪へと変貌し鳥居の前へぴょんっと飛び降りるララとチリの姿が映し出された。