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第44話 賭博船・百花繚乱

 賭博船・百花繚乱ひゃっかりょうらん──


 遠目に見るそれは、丸い船であった。

 舳先と呼べる場所がなく、帆もない。下部に突き出たオールにて漕ぐ船なのであろうが、その形状もあいまって動きは大層遅そうである。

 軍艦であれば史上最悪といった形状をしている。


 だが湖上に浮かぶ一つの領地として考えれば、なるほど理に適った形状である。

 帆がないゆえに風に流されにくくその場に留まりやすく、四方八方に突き出た櫂によって位置の微調整が可能。


 ……が、宗田そうだ千尋ちひろは、検見けみしながら、気付いてしまった。


(俺の考えはあくまでも、神力しんりきなるものがない前提のものよな)


 この世界の女は神力と呼ばれる不思議な力を持っている。

 これによる身体の強化にはさんざん苦しめ楽しめられた経験があるし、これまで実戦にて使われることはなかったが、手から火や水といったものを出して攻撃するような使い手も、どうやら世間にはいるようであった。

 そうでなくとも、多くの、『神力が弱い』と分類される人さえもが、日常のちょっとした火熾しや、清浄な水を得るのに神力を用いた術を使うのを目にしてきた。


 この旅の相方である天野あまの十子とおこ岩斬いわきりもまた、旅の最中にちょっと喉が乾いた時や、少しばかり身を清めたい時などは、神力を用いて不可思議な現象を当たり前のように起こしていた。

 さらに言えば、そもそも代々『その時代の天野の里でもっとも優れた刀を打つ者』の称号たる『岩斬』、これは強い炎の術を使えねば襲名できないらしい。なぜなら、刀を打つための炉には、自らの神力で火を入れるからだ。


 神力の特定属性に強い適性を持つ者は、髪や目の色にそういった特性が現れるようだ。ゆえに、十子岩斬の髪は、温かなだいだい色なのであるとか。


(知れば知るほど、まったく面白きちまたよ。……あの船もまた、神力の賜物なのであろうなァ)


 賭博船・百花繚乱。

 近付けば近付くほど、巨大な船である。


 その全体的な大きさは、先ごろまでいた遊郭ゆうかく領地『紙園かみその』にも並ぶとか。

 つまりこれは、洋上に浮かぶ領地・・であり、その言葉は比喩でもなんでもない、ということになる。


 千尋たちを乗せた船が、百花繚乱の船着き場に到着する。


 と、同時、


「うううううええええええ……!」


 えづく声が、千尋の横合いから轟いた。

 そちらを見れば、百花繚乱と泰山木たいざんぼく湖湖岸とをつなぐ中型船、その甲板から湖へ身を乗り出すようにして、十子が胃の中のものを吐き出し終えたところであった。


 千尋は近付いてその背中をさすってやろうとするのだが、十子は気配を敏く察し、片手を突き出して千尋の接近を留めた。


 千尋にはわからぬことだが、男の子がぴんぴんしているというのに、自分が船酔いでさんざんな有様になっているというのは、女がすたる・・・・・というヤツなのだった。

 加えて千尋のような美少年にこのような状態の自分の近くに来て欲しくなく……

 十子の故郷、天野の里の里長風に言えば、『色ボケ』ゆえに千尋の助力を辞していると、そういう状態である。


「しかし、十子殿のような者でも、船酔いはするのだなあ」


 千尋がここで『女でも』という表現を使わなかったのはただの偶然だが、言いたいことは、『神力によって身体を強化する女でも』という意味だ。

 今生の千尋は前世よりかなり体が弱くなっている。肉も骨も、も満遍なく弱い。

 それでもこのような波のない湖の上、三十人は余裕をもって乗り込める船では酔いようもない──というのが正直なところだ。


 だが十子、神力があり、骨も肉も見るからに強い健康な乙女だというのに、盛大に酔っている。


「い、いや、違う、違うんだよ」


 ようようしゃべれる状態になりゆく十子、言い訳めいたことを述べ始める。


「船はまぁ、鋼の買い付けの時に乗ったんだが、人が多くて、そっちにな……」

「ああ」


 賭博船・百花繚乱と泰山木湖を結ぶこの連絡船、とにかく乗員が多い。

 三十人は余裕をもって乗り込める船である。だが、乗客はざっと数えたところ五十人はいる。

 区切りのない大きな船室が一つあるきりの船であるから、そこには当然、五十人が茣蓙ござなど敷いてひしめきあっている。

 つまり、


「十子殿は、人混みが苦手か」

「……ああ」

「…………その、これから向かう先は、この船の比ではなく人が多いと思うが、大丈夫か?」

「……………………ダメだったらすまねぇ」


 ここで強がりさえ言えないというのは、よほどのことであった。

 とはいえ人口で言えばさすがに、あの紙園より多いということはあるまい。広大な敷地を持つ巨大船とはいえ、船である。地面に直接ある領地よりも、人図制限は厳しかろう。


 が、閉ざされた空間でもある。屋根や壁といったものに囲われた中で、多くの人がひしめき合う──


(なるほど、このぐらいの人込みでも、苦手な者は苦手か)


 千尋は前世、都で暮らした経験もあるので、この程度はまだまだ、といったところだ。

 そもそもこの世界、千尋の前世と比べ、都と目される場所でも、やや人口が少ないように思われる。

 それは、男が極度に少ない人口比にも由来する話なのであろうが……


(そのようなちまたであるにもかかわらず、『男さえも景品として出す』賭場が開かれているのだな)


 天女教──

 このウズメ大陸の支配者と言っても過言ではない組織が直営する賭博船。


 男が少ないこの世界において、男を賭けの景品として出すなどという蛮行、それだけの権力基盤がなければ、到底許されまい。

 その専横とさえ言ってしまえるような蛮行を許されるだけの権力者が直接治める場所──まあ、ここは天女教総本山ではないので、あくまでも治めているのは『代官』ということになろうが、それでも、直轄領だ。


(さて、俺も、男であることがバレぬように気をつけねば)


 とはいえ、下手な演技など試みるよりは、このままでいた方がよかろう、というのが千尋と、あと十子の見解である。

 ゆえにこそ自然体。

 これでもしもバレたら……


(バレたらまァ、その時はその時、ということで)


 十子が聞いたら『お前、もうちょっと不安とか抱いたりさあ……』とあきれるようなことを思いながら、梯子タラップを上って百花繚乱へと足を踏み入れていく。


 ここで──


 賭けが、始まる。

 欲にまみれた博徒、天女教のあり方を巡る教団員たち、そして……


 男を男たらしめんとする者が、その思想、存在を巡って行う、賭けが、始まるのだ。

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