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第61話 『賭け』

 博徒、沈丁花じんちょうげ


 サラシを巻いた上に、帯を締めずに着物を羽織った、博徒、渡世人、あるいは遊び人といった風情の女である。

 実際、千尋ちひろらが最初に彼女に遭遇した時、彼女は四人もの『男』を侍らせていた。恐らく賭けの果てにとった男たちなのであろう。雄一郎はその見目の麗しさから『目玉』として展示されていたが、それ以外にも男を得る賭博があった、あるいは男と『遊ぶ』権利を得る賭博があった、ということだと思われる。


 現在の沈丁花が周囲に男を侍らせていないところから、恐らく『一時的な貸し出し』であったのだろうと予測される。


「チッ、イヤなヤツに会っちまったな。おい、行くぞ」


 十子とおこが沈丁花を見るなり舌打ちし、きびすを返そうとする。

 この二人、相性が悪い──というか、十子が一方的に沈丁花を嫌っているという様子は相変わらずである。


 沈丁花、にへらと笑う。


「相変わらず君はせっかちなやつだねぇ。余裕のない人生を送ってると、男の子にモテないよ?」

「うるせぇ。あたしらは宝探しに来てんだよ。てめぇがここにいるってことは、このへんの宝はもうねぇってことだろ。無駄足踏んでる暇なんかねぇんだ」

「ああ、なるほどね。じゃあ、はい」


 そう言って沈丁花が放った何かを、十子はとっさに受け止める。

 十子が握ったそれを手を開いて見れば──


「……赤い『宝』?」


 先ほど獲得したものは『白地に黒染めで宝と書かれているもの』であった

 だがこれは、そもそも地が赤い。明らかに種類が違う。


 沈丁花は「ああ」と笑う。


「『宝』ってたくさん獲得すると邪魔だろう? だからね、そのへんにいる船員に頼んで交換してもらえるんだよ。『赤』は十個分だねぇ」

「…………そんな説明はなかったぞ」

「いやいや。賭場で使うチップはさ、数を揃えたら、より高い価値のものと交換できて当たり前じゃない? いちいち説明する必要なんかないでしょ」

「……」

「でも君たち、賭け事は初めてだもんねぇ。だから、そいつは、お姉さんからのご祝儀だよ。どんな業界でも新人は大事にしないといけないからねぇ。楽しもうよ、賭場を」

「受け取れねぇ」

「お、サムライだ。敵からの施しは受けないって?」

「そうじゃねぇよ! てめぇにゃ、前科があるだろうが!」

「えー、どれだろ? 賭博船では大人しくしてるけどなあ」

「そういうのじゃねぇよ! ……『宝』を渡してどうする気だ? 『代わりに』なんて言われても、こっちには渡すモンなかねぇぞ。もちろん、千尋もだ」

「君ってやつは人の話を聞かない女だなぁ。そいつは『ご祝儀』だって言ったろう? 新人賭博師に、先達からの贈り物だよ。そいつで遊んで、賭け事の味を覚えてほしいっていう心遣いさ。どうして伝わらないかねぇ」

「てめぇがうさんくさいからだよ!」

「えぇ? こんなに親し気なお姉さんなのにぃ?」

「いきなり親し気にしてくるヤツが信用できるわけあるか!」

「それもそっかぁ。んじゃ、目的を言おう」


 相変わらず沈丁花の顔に浮かんでいるのは『にへら』とした笑みである。

 だが、千尋は察する。雰囲気が微妙に固く──否、熱く・・なった。それは、船の入り口で、十子を相手に『喉を賭ける』と述べた時の温度である。

 ゆえに、ここから語られるのは恐らく、本音であろう。


「賭博ってのはね、互角じゃなきゃつまんないんだよねぇ。知力、武力、覚悟。そういうものがそろって初めて、運否天賦うんぷてんぷってやつが問われる状況になる。運否天賦が問われて初めて博打だろう? 熱くなれるのは、そういう賭け事さ。……でもねえ、最近は、お姉さんが熱くなれる博徒ってのがいないわけさ。そこで、見込みある新人を育ててみようって思ったわけ」

「あぁ? なんだそりゃあ……?」


 十子はいぶかしげであった。

 当然だ。熱くなれる──苦戦する相手がいない環境をわざわざ自ら崩そうなどというのは、理解されない。


 ……その理解されない感情に。

 千尋は、痛いほど覚えがあった。


「十子殿、受け取ろう」


 気付けば言葉を発していた。

 十子が不審そうな目を向けて来る。


 千尋は、沈丁花に向けて話しかけた。


「賭け事は門外の者ゆえ、あなたに並べるかどうか、そう成長できるかどうかはわからん。だが……俺は、あなたの『敵』となってやりたいと思う」


 沈丁花は一瞬、奇妙な物を見る目を千尋に向けた。

 だが、次の瞬間には、また芯のない、にへらとした笑みを浮かべる。


「……そっかぁ。そっか。いや、理解されると思ってなかったから、お姉さん困っちゃうな。千尋くん、君、魔性だねぇ。才能あるよ」

「なんの才能かは知らんが、見出されたからには期待に応えるべく精進しよう」

「真っ直ぐでいいねぇ。若いねぇ。いやぁ、罪の意識を覚えるよ。君みたいな無垢な子を博徒の道に引きずり込んじゃうのは、罪悪感があって──わくわくするねぇ?」

「……ふ」

「うふふ」

「ふはははは……」

「ふふふふ」

「はははははははは……!」

「うふふふふふふ……!」


「なあ、何笑ってんだあいつら?」

「あたしに聞くな。わかんねぇよ」


 雄一郎と十子が会話をする中、沈丁花と千尋は、笑い続ける。

 それは二人も理由のわからぬ、とめどない笑いだった。


 のちに思い返して、わかることになる。この笑いは──


 ……人生で初めて、理解者を見つけた。その嬉しさからこぼれた笑いであった。



 船室内に戻ると、場の雰囲気が変わっていた。


(『暇つぶし勢』は駆逐されたか)


 早くも飽きて『遊び』を始めた連中特有の気配が消えている。

 ハスバを始め様々な者と一騎打ちをしてきたことからも明らかだが、この賭博、やはり暴力を禁止していない。さすがに殺しはご法度ということだが、それは逆に死なない程度なら何をしてもいいということでもあるのだろう。浮ついて他者に絡むような邪魔者は、真剣な者たちにすっかり『動けなくされた』というわけだ。


 そして周囲をただうろつく者というのもおらず、みな、どこかを目指して動いている様子が見える。


 推理か、あるいは神籤みくじか。もしくは仲間からの連絡などか、他の理由か……

 今残っている者、『宝』の場所にある程度のあたりをつけて動いている者ばかり、といった様子である。


 ゆえに千尋、十子に提案する。


「なぁ十子殿、我らにはいわゆる『カン』はなく、『運』の方も……せいぜいが人並み、といったところであろう。それゆえに、宝集めの進捗状況はよろしくない」

「そうだな。『自力で獲得した』と言えるモンは、一個もねぇ」


 ハスバが罠として仕掛けていた一つ、そして沈丁花から譲り受けた十個分の赤球が一つ。これが千尋たちの持っているすべてである。

 雄一郎どころか、異形刀をとるのにもまるで足りない。


「……俺は、最終的に終着地点で待ち構えて野盗のようなまねをすればいいと思っていたが……それは、賭場に対して礼儀を失する考えであった。十子殿、宝を集めるため走り回ろうと思う。いいか?」

「そりゃまあ、あたしに『否』はねぇが……手がかりももうねぇぞ」

「手がかりはある。……宝を探して走り回る連中の目的地に、先回りしてしまえばいい。意識の向きから動線を読むことはできるゆえにな」

「……それができたとして……雄一郎に走らせる気か?」

「うむ。そこはな、頑張ってもらおう」

「んじゃあたしよりも雄一郎に言えよ」

「そういうわけだ、いいか?」


「男の僕に対して事後承諾とは、本当に面白い女だな、お前」


 雄一郎は不満そうであった。

 だがそれは、『本気で気に入らない』というよりは、『拗ねて見せている』という様子である。


 実際、雄一郎はこう答えた。


「……お前たちの足手まといになんかなってたまるか。男は──弱くないし、女に保護されなきゃならないほど……僕は、情けなくない。それに……」

「それに?」

「……千尋がやる気なんだろ? だったら、この僕がお前を助けてやるよ。お前は…………お、面白い女、だからな」

「そうか」

「ふん」


 ここで十子が『おいおい』みたいな顔をしたのは、雄一郎から千尋に向けられる視線に、男女特有の熱っぽさがあったからである。

 当然ながら千尋、そういう視線については気付かない。


 こうして、一人の少年をいけない道に引きずり込みながら……


「では、これより、『宝探し』を始めよう。


 ようやく、千尋たちの『賭博』が始まった。

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