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第62話 『正義』

雄一郎ゆういちろう様、『黒』の宝を獲得しました。現在、黒が二つ、赤が三つ、白が七つで合計百三十七の宝を獲得しております」


「そうですか。引き続き、雄一郎様の御身に危険がないかどうか、監視と連絡を」


 船長室内── 石動いするぎサグメは、男性の『活躍』について報告を聞いている。


 扉の外に向ける声は穏やかそのもの。

 ただし、その内側、一人しかいない船長室での姿は、ひどいものである。


 イライラと爪を噛み、もう片方の手は握り拳になって机の上でぶるぶる震えている。

 扉の外を射貫くような視線は殺気さえ孕んだものだ。


 わかっている。報告を持ってきた船員は何も悪くない。


 だが、サグメは船員と自分とを隔てる一枚の扉に感謝した。もしもあの扉がなく、船員が自分のすぐ目の前で報告をしていたならば、当たり散らしてしまっていたに違いないから。


(……落ち着きなさい、サグメ。あなたは、天女様から石動の姓を与えられた高位神官にして、天女様のお声を直接聞く機会に恵まれた天使でもあるのです。信仰、武威、政治力、そして現天女様との思想的共鳴──すべてを持った、選ばれし女……)


 自分で自分を慰めるようにして、どうにか冷静さを呼び起こそうと努力する。


 昔からこうだった。サグメははっきり言ってしまうと『我慢』が苦手な女だった。

『こうあるべき』と定めたものが『こう』ないとすぐに頭が熱くなってしまい、その癇癪のせいで前天女からはたびたび諫められていた。


 冷静さを身に着け、我慢を覚えて懐を深くせよ──というのをたびたび言われていた、暴れん坊にして聞かん坊。現在の穏やかさからは想像もつかないほどのトゲトゲした心と姿の持ち主こそが、サグメの本来の姿である。


 だが、天女が代替わりしたことで、サグメの正しさは証明された。


 女に奉仕すべき種族である男を、サグメの望んだように天女様は一括管理し始めた。

 それだけではない。弱いくせに政治が得意というだけの者、賢いのではなく悪知恵が回るだけの者、あるいは強さしかないくせに奇妙に慕われる者──ようするにサグメが『自分より上』と絶対に認めたがらない者たちが降格され、天女様は自分を天使に抜擢したうえ、この賭博船・百花繚乱ひゃっかりょうらんの管理さえ任せてくれたのだ。


 だからこそ、天女様に選ばれた自分が天女様の名を穢すような振る舞いをしてはならぬ、と強く己を戒め、落ち着いて、穏やかで、部下に優しい、いわゆる『度量のある女』たらんと日夜努力と我慢を重ねてきた。


 だが……


(受け入れられない受け入れられない受け入れられない……! 男が……!? 己の力で自分を買い戻そうとしている!? しかも、宝が百と……!? もう半分まできてるじゃない! 男なんて女に奉仕するだけの弱々しい種族でしょう!? それが、己の力で、己を……間違えている……間違えている間違えている間違えている間違えている間違えている間違えている間違えている間違えている間違えている間違えている間違えている間違えている間違えている間違えている間違えている間違えている間違えている間違えている間違えている間違えている間違えている間違えている間違えている間違えている間違えている間違えている間違えている間違えている……! 受け入れられるわけがない!!!!)


『こうあるべきこと』が、『こう』ないのを知らしめられると、すぐに頭がカッとして、体中に怒りが満ちていく。


「正しくない」


 つとめて声を大きくしないように注意されて放たれたつぶやきは、声量を抑えただけに、怨念と呼べるほどの情念がこもっていた。

 聞かせるだけで人を呪えそうな声である。


 久々の強すぎる感情を抑えるのに難儀する。

 サグメの握ったまま卓に置かれた拳を中心に、その周囲が凍り付き始めていた。


 ……サグメには特異な才能がある。


 それは刀鍛冶の一族である『天野あまの』が、強い神力しんりきを発しようとすると、どうしてもその神力が炎の姿、特徴を帯びてしまうのと同様……

 サグメが感情の昂ぶりのまま神力を発すると、それは、強い冷気を帯びる。


 神力によって種火熾しや清浄な水を出すなどのことはたいてい誰でもできる。

 だが、刀を打つほどの炎を出したり、周囲を冷たくし凍らせたりといった不思議な現象を起こすのは、神力の量が多ければいい、というわけではなく、特殊な血統が必要になる。


 サグメはそういった血統に連なるうち一人だ。


「正さねば」


 今度の声には感情がなく、まるで童女のように無垢であった。


 幼いころから才能に恵まれていたサグメは、『世の中の人には、生まれつき備わった分がある』と強く信じていた。

 彼女が『こうあるべき』と感じるのは、『人は分をわきまえた地位にいるべきだ』というものである。

 その狂信的な想いは自分を低く扱った親族を力で分からせ、しかしそれがきっかけで親族から追放されるという結末を経ても変わらなかった。


 つまり、どういう才覚と力の持ち主が、どういう地位にいるかどうかは、サグメの極めて主観的な基準によって判断されるものであるというわけだ。


 そしてその基準によれば、男がなんらかの勝負事で勝ちそうになる、なんていうのは、絶対に認められない。


「正さねば」


 サグメは平時の穏やかさをだんだん取り戻していく。

 それは怒りを呑み下すことに成功したから──では、なかった。


『やる』と決めた。

『わからせる』と決めた。

 だからこれ以上、怒ってやる価値もない。身の程を知らない生き物。人が知性と思いやりで進むべき方向を指示してやったが伝わらない。ならば、もう、叩いてしつけるしかない──そう決めたゆえの、穏やかさである。


「『宝物遊戯』も終盤。そろそろ……当方自らが手を入れるべき時機、でしょう」


 にっこりと、鎧のような微笑を浮かべ、サグメは立ち上がる。

 足取りはいつも通り穏やか。浮かべる笑みはいつも通り優美。

 されどその気配、殺気が漏れている。


 こうして、雄一郎──

 千尋ちひろ十子とおこと雄一郎の躍進を聞き、百花繚乱船長・サグメが動き出す。


 彼女なりの『正しさ』を守るため。

 主観的な視点において、まぎれもなく、正義のための進軍が開始される。

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