「磨きも研ぎも、できているようだが」
十子が疲れ果ててぼやけた目を向けた先では、
十子の目の前には……
研ぎを終え、仕上がった刀がある。
「……今はいつだ。どのぐらい経った?」
声は老婆のようにかすれていた。
千尋は「んー」と悩むように声を発し、
「まあ、ちょうど約束の四昼夜といったところか。夜明けは近いがな」
「……里の状況はどうなってる」
「
「…………そうか」
「動じる力も残っていない──わけでは、ないな」
「……最初から、わかってた。誰かは死ぬ。その『誰か』を選べる立場なら、まず自分が死ぬだろう。そういうばあさんだ」
「気持ちのいい御仁であった。好ましい、すっきりしたお方であった。親しくさせてもいただいた」
「……」
「だが、俺はやはり、報復をしようという気持ちがわかぬのだ。……否、少しぐらいは、あるのかもしれん。だが……だが。俺はな、今、その刀で早く、人を斬りたい。そう思ってしまっている。それのみを、思ってしまっている」
「そうか」
「俺は『剣客』か、それとも、『外道の人斬り』か、どちらだ?」
十子は、長く、細く息を吐いた。
そして、
「頭が回らねぇ。面倒くさいことを聞くな」
「……そうか」
「今さらくだらねぇことを聞くんじゃねぇよ。お前が何か、もうあたしは知らん。お前は
「…………そう、か」
「剣客であってほしいとは思うが、今さら外道の人斬りだってわかったところで、打った刀はここにある。……こいつは、お前の刀だ。お前はそれを受け取る。それで、刀鍛冶と人斬りの関係は、終わりだ」
「……そう、だなぁ」
「けどなぁ」
十子は研ぎのための低い木の椅子の上で、だらんと両腕を下ろし、天井をあおいで息を吐いた。
彼女の体が熱いのか、この日の空気が冷たいのか、吐息は白くけぶっている。
「……けどな、千尋。やっぱりよ、
「……」
「銘を切るってのはよ、我が子にするってぇことだ。想いを込めて仕上げたモンがよ、粗末に扱われてりゃあ、
「そうか」
「
「わからん」
「じゃあ、まだ少し、お前の旅を見ててやらねえとな」
十子は立ち上がる。
それから、ふらつく足で後ろの戸棚へと行き、一番左上の引き出しを開けると、中から純白の布にくるまれた何かを取り出す。
それは、『
別な場所には鞘もある。まだ革は張られていない木のままの鞘だが……
その拵えは。
十子が完成させる刀をあらかじめ見ていたかのように、今、研ぎ上がったばかりの刀にぴたりとはまると、ただ見ただけでわかる──
器用な仕事だった。
「あたしの手癖も、鋼の形も、あのばあさんにゃあ、お見通しだったらしい」
「……そうか」
「……もともとあったモンの再利用だよ。けど、見事な調整だ。こんなモンをさ、あの老体が、戦いながら仕上げたんだ。……元岩斬って言うがよ、こういう仕事じゃあ、あたしは、ばあさんに、永遠に敵わねぇだろうよ」
「……」
「そのばあさんがさ、鞘だけは、新しく作ろうとした。……あのばあさんが革を張ったなら、きっと、もっといいモンになったろうな」
「……」
「なぁ、千尋。あたしは、一世一代の仕事をした。……これからも『一世一代』を更新し続けるが、これが、今のあたしの最高傑作だ」
「ああ」
「そんで、たぶんだが……ばあさんもな、この拵え、最高傑作だ。あたしが一世一代の仕事をするかたわらで、とうに引退したババアが、同じぐらいの熱意で仕事をしたんだ」
「……」
「受け取る覚悟はあるか。この刀を不幸にしやがったら、許さねぇぞ」
千尋は、
「もちろん、ある」
「そうか」
十子はそこですぐには渡さず、三太夫の作った柄を、鍔を、はめこんでいく。
「千尋」
「なんだ」
「鞘は渡さねぇ。まだ革が張られてないんでな。……あのばあさんにゃ及ばない仕事になるだろうから、あたしがやっておく」
「そうか」
「だから、納めに帰ってこい」
「……」
「刀は鞘に納めて初めて『完成』する」
十子岩斬の異形刀。
人を殺しに導く殺人刀。
そのほとんどは──
鞘に納められることを想定されていない、造りだった。
「ピタリとハマる鞘の中に刃をしまえることは、刀にとって最高の幸福だ」
十子岩斬は、吐息を吐くように述べて、
「幸せにしてやってくれ」
あまりにも乱暴に、刀が千尋へ放り投げられた。
受け取る。
柄巻が手に吸い付くようだった。握りの太さは、生まれた時からこの刀を抱いていたかと錯覚するほどだった。
刃の美しさは──
「……ああ」
言葉にならない。
千尋はしばらく、刃に耽溺した。
そして、笑う。
「では、行くか」
こうして最高の刀が、最強の剣士の手に渡る。
外道の人斬りが──
剣客が、解き放たれた。