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第115話 笑顔

 里、西の林。


 宗田そうだ千尋ちひろの前には、『何もなかった』。


「よし、これでこちらの状況は片付いたな。みな、よく頑張ってくれた」


 と、ここまで生死の際をともにした七名の女どもを見やる


 この女ども、千尋の性別については知らされていない。なので、千尋のことを女だと思っている、はずである。

 しかし匂い立つかわいらしさに脳を焼かれた七名でもあった。なので、千尋からこのように褒められれば、飛び上がって喜ぶ。そういう状態の女たち──


 の、はずだったのだが。


「……いや……その……」

「えっと、うん、まあ」

「がんばったっていうか」

「なんだろう、処刑人ってこういう感じなのかな」


 引いている。


 ドン引きだった。


 というのも、千尋のやり方があまりにもえげつなかったから、なのだった。


 この林の戦闘、最初から罠を用いて、少数で、散発的な敵の隠密部隊・斥候部隊、あるいは我慢の利かない荒くれ者への対処を行っていた。

 最初からえげつないことはしていたと言えばしていたのだ。


 だが、二日目に入り、千尋の攻め方が変わった。


 今までは『自分たちより後ろに敵を通さない』という方針であった。

 だが、二日目からは、『積極的に敵を減らしていく』という方法を選び始めた。


 そうして千尋がしたことは、『敵を生かして返すこと』なのだ。


 落とし穴の底に棘を敷く。棘に毒を塗る。

 毒、といっても殺傷能力がある薬物ではなく、触れるとかゆくなるどこにでもある草の汁だとか、あるいは炭の汚れだとか、そういう、すぐに相手の動きを止めたり、相手を殺したりはできない代物だ。


 そういうので汚して、傷病人にして、足を負傷させて、返す。

 すると敵は『治療』に人員を割くことになる。


 そういう活動を繰り返し、『こちらが通られたくない地点』ではなく、『相手が通りそうな地点』に罠を仕掛け続け、負傷させることを念頭に置いた戦いを続けた結果……


 千尋が加わってから、四日が経とうとするこの戦場。


 林の外に展開していた部隊を立ち退かせることに成功した。


「……『うまくいった』とは言いたくない感じ、だねぇ」


 七名の荒くれどもがうち一人、素手で戦う武闘家風の女がつぶやく。


 確かに、『うまくいった』とは言えない。

 負傷者を置いておき、それを助けさせるということを繰り返した。

 最初、天女教たちは、『死ぬほどでもないケガを負わせ、行動不能にする』という状態にしたこちらへと怒りを向けていた。ケガをした仲間を担いで『目にもの見せてやる!』と息巻いた。

 だが、そういうケガをする者が増えていくにつれ、口数がどんどん少なくなり、表情もどんどん暗くなっていく。


 だんだん、『救助』に来る人員が減り……


 数少ない『要救助者』を活かすために、大声で助けを求めざるを得ない状況に追い込み……


「……戦いってさ、もっと、命懸けでぶつかったり……技とか力とか忍耐力とか、気合とか、そういうのを比べ合うモンだと思ってたよ」


 その発言に、千尋が「そうだなァ」とうなずいた。


「『戦い』はそうだ。だが、目的が出来てしまったのでな。林の状況を安定させ、他の戦場に行くために、『狩り』に変更した」

「……」

「俺は、強さを示さねばならん」

「充分に示してると思うけど」

「いいや、身も蓋もないことを言えばな、この林でどれだけ勝とうが、相手にはなんにも示されんのよ。ここは主戦場ではなく、どうにも、相手はこの戦場を『捨て』ている」

「……」

「ああ、おぬしらの活躍を軽んじているわけではないぞ? 真実、この林を抜かれては困ったことになった。俺たちはみな、命懸けで、大軍と戦った。そこは間違いない。だがなァ……その程度では、敵の大将には響かん。それゆえ、林をもう警備のいらぬ状態にして……『主戦場』で強さを示す下地作りを行った、というわけだ」

「主戦場ってどこさ?」

「大軍が展開でき……そうさな、もしも『祭り』を行うとしたら、やはり、里で一番大きな道のある、三太夫さんだゆう殿の戦場になるか」

「……」

「もう、この林に敵は寄り付かんだろう。少なくとも、数日はな。これでようやく、『強さを示す』段階に至れるというわけだ。あとは……」

「あとは?」

「俺の刀が出来上がるのを待つだけだ。そうしたら、敵の大軍に斬り込んで、命果つるまで、『命懸けでぶつかったり、技とか力とか忍耐力とか、気合とかを比べ合う』戦いができるぞ」

「…………」


 そこで、七人の女どもが押し黙る。

 最初に口を開いたのは、背の高い、猫背の女であった。


「た、戦いって、もっと、華やかだと思ってた」

「そういう戦いもある」

「……そ、そう、なんだと思う。でも……こんな、えげつない戦いもあるって、知ったら……」

「……」

「……この里での戦いが終わって、生き残れたら、田舎に帰って畑の手伝いをするか、街で、仕事でも見つけて、生きていこうって、思う……」

「ふーむ……」

「な、何?」

「いやな、そなたらは剣客として見込みがあると思うのよ。だからな、できれば続けてほしい。……以前にもな、そういう、情熱を持った若い才人を見つけ、これを鍛え、導こうとしたことがある。……何度もある。だが」

「……」

「みな、おぬしらのように、『田舎に帰って畑を耕す』などと言い出してしまった……」

「…………」

「俺は、強くなって、『敵』になってほしかったというのに、その試みがうまくいったことが、一度もない。……やはり俺は、誰かを導くのに向いておらんのだろうな」


 本気でそう語る千尋に『こいつマジか』みたいな視線が集まった。


 彼女──女どもの知らぬ真実において、『彼』の『戦い』は、えげつなさすぎて、それから、圧倒的すぎた。

 彼の行う『本気の殺し合い』は、剣の世界に理想を持っている者の夢を粉々に砕く。殺し合いとはこうまで身も蓋もないものなのか、こんな『戦い』が実在する世界で、剣の腕など磨いてどうするのかと、答えの出ない疑問を抱かせる。


 また、彼がどうにも『才能ある若者を鍛えて敵にしよう』と思っている様子なのだが、何をしても技量で圧倒的に上回られ、『自分は確かにまだ未熟だけれど、これだけは自信がある!』という『これ』さえ鼻歌交じりで対応され、それどころか『よりよいやり方』をその場ですぐに指導されてしまう。


 心が折れるに決まっていた。


 彼の『指導』によって出来上がるのは、彼を強烈に崇める信奉者か、剣の道に夢も希望もなく、己が才覚だと思っていたものがただの勘違いの思い上がりであったと思い知らされ、道を離れる者だけであろう。


 傍目に見てこうまで『指導者失格』が浮き彫りになっているのに、本人はそのことに気付いていない様子なのだ。


 ここまで千尋についてきた七名。

 直接の『指導』を受けたわけではないが、傍で見ていてさえ、もう、『田舎に帰る』者と、『我が神』という目をしている者、この二者にすっかり分かれてしまっていた。


 何より恐ろしいのは、


(千尋さん、全然、ほ、『本気』じゃ、ないんだ……)


 こうまで隔絶し、こうまでえげつない様子を見せておきながら、当人はまだまだ全然、本気じゃない。

 本気を『出していない』のではなく、『出せていない』。

 やる気だけで『本気』を出せるというのは間違いだ。本気を出すにはシチュエーションが必要であり、本気を出すに足る相手が必要なのだ。


 林を攻めてきている軍勢は、他の場所よりは少ないのだろう。

 だが、七名と千尋、合計八名にとっては『大軍』に相違ない。……相違ないのに、千尋にとってこの状況は『本気を出すことができない状況』なのだ。まだまだ相手が力不足、こんな場所に配置されるのは役不足、なのだ。


 宿で出会って以来なので、ここにいる七名の女どもと、千尋との付き合いは短い。

 だが、濃かった。疲れ果てて希望を失うほどに濃かった。あるいは、あまりの隔絶した存在感にあてられて神のごとく崇めてしまうほどに、特濃だった。


(千尋さん、『本気』を、出したいんだ……)


 この千尋という、基本的にはどこか婆臭いところがあって、あまり見た目相応の様子ではない。

 だが、『本気を出したいなぁ』と嘆いている様子は、いじけているようにも見え、年相応、まだ成人か、そこにさえ達していない年齢の子供、という様子なのである。


 とてつもなく巨大な力を持った生物の幼体、と表現したくなるほどの、子供なのである。


「さて、青田あおたコヤネ。そなたは、俺の『敵』たるか。……楽しみだな」


 間違いなく近づいてはいけない生物の気配を発し、千尋が笑っている。

 どう見ても危険生物なのに、その笑顔があまりにも淫靡えっちすぎて、女たちの情緒はめちゃくちゃになりつつあった。


 そんな折、


「来たか」


 千尋がつぶやき、後ろ──天野の里の方を振り返る。


 しばらく遅れて慌ただしい足音が近づいてくる。

 もう少し時が経つと、その足音は一人のものであり、えらく息を切らし、とにかく最速でこちらへ来ようと、それ以外の一切を考えていないのだろうということがわかった。


「おおい、こっちだぞぉ」


 千尋がのんびりした声を出すと、足音が方向を変える。


 そして現れたのは、鍛冶師風の格好をした、だいだい色の髪の女。

 天野の里の者であった。


「あ、さ、里長、里長が!」

「まずは落ち着け。息を整え、しっかりと、何が起きたかを言うのだ」


 千尋が背中をさすりながら言ってやると、だんだんと呼吸が落ち着いてきた様子であった。

 なにがしかの重大な情報を伝えに来たらしい女は、呼吸を落ち着けても完全には冷静になっていない様子で、語る。


「里長が、たれ、ました」


 声には泣きそうな感情がにじんでいた。

 千尋はただ「そうか」と言った。


 そうか、と言って、しばらく沈黙し、


「では、行くか」


 ……その様子に、七人の女たちは、恐怖と興奮を覚えるのだ。

 だって……


 まるで、里長が倒れたという情報が来るのをわかっていたかのような、落ち着きよう。

 里長が倒れたという危機を知らされて──


 笑うのだ。


(……ああ、剣客って、戦う者って、『こう』なんだ。『こう』なれないなら、死ぬんだ)


 やっぱりこれが終わったら田舎に帰ろうと思いながら、女は笑った。

 楽しいわけではない。ただ、笑うしかなくて、口元がヒクついただけの、笑いによく似た何かだった。

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