目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第114話 現実と奇跡

 分断は完成している。

 包囲にはあり一穴いっけつさえもない。

 こうして天野あまのの里は、ウズメ大陸から隔離された。


 その中でいよいよ、青田あおたコヤネの『準備』が整い、『破壊力』としての出陣が始まる。


 準備──


 沈丁花じんちょうげに看破された通り、祭り・・の準備であった。


 始まるのは天女教式の儀礼。

 鈴のついた御幣ごへいを手にした、純白の装束の巫女たちが、しゃんしゃんとそろった音を鳴らしながら、ゆっくりと進む。

 その巫女たちの間を、巨大な大長巻おおながまきを持った青田コヤネが、ゆったりと歩いている。


 ……天女教の式典について知識のある者であれば、衣装、登場の仕方、歩き方、そういったものが、何を表しているかを理解するだろう。


 これは儀礼・式典において、天女が登場する時のおこないであった。


 青田コヤネは天使である。

 そして天使というのはそもそも、『天女がどうしようもなくこの世に一人しかおらず、大陸の隅々までその姿を届けることはかなわないので、天女が行うべき式典を、天女の代役としておこなう者』のことを指す。


 だから、青田コヤネがこのように演じるのは何もおかしいことではない。


 ……しかし、『天女に黙って独断で軍を動かし、その軍で、天女があずかり知らぬままに、以前の天女から苗字を授かった刀鍛冶の里、天野の里を攻めている』という状況でこの儀礼を行うのは、肝が太いというか、恥がないというか、そういった様子としか表現できない。


 しかし、この軍勢は何も知らないのだ。

 自分たちが天女の意思でここにいると思い込んでいるのだ。


 その理由は、そもそも天女が素顔を見せるのは決められた相手のみであり、天女の指示は天使によって伝えられることが多かった、ということ。

 そして軍勢が動かされたタイミングが、天女不在のタイミングであったこと。

 さらに、動きが大規模すぎて、誰も、これほど大胆な動きを、まさか天使とはいえ天女に断りもなく独断でするなどと想像もしないこと。


 それゆえに、コヤネから伝えられた『天野の里攻め』が天女の意思であると思い込まれている。


 こういった『上の者の意思を無視して独断で大きなことを成す』というのは、コヤネの得意中の得意であった。

 そもそも己の人生の主人は己だと心の底から信じ、誰かに歯向かうこと、誰かを裏切ることをまったく悪びれないコヤネの言葉には、さも『上意を得ています』というような信頼が宿る。


 おまけにコヤネは先代天女の御代においてもっとも信頼された天使のうち一人。

 素行・性質を隠しおおせることができていたという『偶然』もまた、多くの天女教の者からの信頼を得る大きな要因であった。


 ようするに時間の流れと偶然が作り上げた信頼を使った独断である。

 コヤネ自身も、先代天女に仕えている間は『自分は欲望を捨てられた』と信じ込んでいたぐらいであるから、これを独断と見抜いて、コヤネを裏切り者と看破するのは、神がかった直観でもない限り不可能であった。


 そうして『天女役』でコヤネが歩んだ先──


 天野の里の、本道。


 もっとも広く、もっとも軍勢を並べるのに適したその道……


 担当するのは、天野の里長、三太夫さんだゆうである。


 この日も三太夫は『自分を囮に、伏兵を左右に潜ませ、相手を少しずつ削り、遅延させる』という策をとっていた。

 早晩見切られると思っていた策である。

 だがこれは、『結果的に見切られなかったので続行している』というわけではなく、そもそも、この策こそが最高にして最後の一手で、これ以上に有効な策を思い浮かべることができなかった、という事情もあった。


 天野の里は鍛冶師の里。

 戦いと無縁、と言い切ることはできないものの、戦術だの軍略だのとは無縁である。

 そして複雑な動きを兵にさせるための練兵も積んでいない。この里の者ができるのは、刀を始めとした金属製品の鍛造、それから、畑仕事。水の手の整備に、せいぜい野生動物や野盗・破落戸ごろつきに対応するための戦いである。

 軍勢の相手をここまで出来ただけでも、歴代一の器用者・三太夫の優秀さあってのことであった。


 だから三太夫は、『天女役』で儀礼にのっとりながらゆったりと進んでくるコヤネと、その周囲を囲む白い服の巫女たち……

 さらにその周囲に配備された、天女教軍のほぼ全軍・・・・を見て、最初からわかっていたことを実感せざるを得なかった。


(『まともにやったら負け』かァ。……そうだねぇ、ああ、こいつは本当に、どうにもならない)


 数が違いすぎる。

 練度が違いすぎる。


 最初からこうしていれば、コヤネは楽々と勝ったであろう。

 ただ大軍を並べて真っ直ぐ進むだけでよかった。三正面作戦だの、包囲してのかつえ殺しだの、そういうつまらない戦術をとる必要性は最初からなかったのである。

 夜襲で里から追い出されたが、そもそも、夜襲を許す間もなくすべて押しつぶしてしまえばよかった。


 それをしなかったのは、これがコヤネにとって演習であり練兵であったから。それだけの理由にしかすぎない。


 つまり……


 本気になれば簡単にこちらを倒せてしまう相手が、本気になったというだけの話。


 演出だ。まさしく、祭りだ。これから行われるのは、『天女が山を裂いた』という演目。

 裂かれる山は天野の里であり、山に棲まう悪鬼の名は、元岩斬いわきり・天野三太夫。


(今さら『逃げろ』とも言えない、か)


 三太夫は若い衆のことを想う。

 できれば生きて逃がしてやりたかった。徹底抗戦をしないと悪者にされるのはあくまでも『里の都合』。勝たないと生き残れないであろうというのは『里の者として』の話。

 ほうほうのていでも逃げ延び、天野の里人であったことを隠して生きれば、命だけは助かる可能性もあった。


 だいだい色の髪なんかすべて剃り落として、橙色の目を潰せば、生き残ることはできたのだ。


 ただ、そこまでして生を拾う気がなかった、というだけで──

 こうして『死』が具体的にそこにまで迫れば、そういうこともできたな、と今さらのように浮かぶ。


 実に、今さらだった。


 だから、三太夫は、後ろにいる若い衆へ、こう言った。


「さぁ、踏ん張りどころだよ。……あたしらの血が、十子岩斬の炉を燃やすんだ。初代様にも負けない最高傑作のために、命をべようじゃあないか」


 青田コヤネと大軍が迫る。

 だが、逃げ出す者、及び腰になる者、一人たりともいない。


 生き残りなど望めない決戦。

 ただ、ひと振りの刀を完成させるまでの時間を稼ぐ。そのために死ぬ戦いが、始まった。



 最後の焼き入れは、暗闇の中で行われる。


 炎の色を見たいからだ。成形された刀に入れる最後の火、その色を、わずかな違いもなく見届けたいからだ。


 金属を熱して上がる火花が目にちらつく。

 汗と疲労でドロドロになった肉体の感覚が消えていく。


 この世界には鋼があり、それ以外には何もない。


 適度に冷ます。

 また火に入れる。

 弾ける水と火の中で、自分自身が消失していく。


 ……ここまでが、かつて……天野十子とおこが、乖離かいりを打った時の感覚。

 世界から自分さえも消え去り、ただそこに鋼のみがあるだけ。この世が開闢かいびゃくされた時にあったであろう、人はなく、光もなく、暗闇の中に炎と鋼と水だけがある。そういう感覚。


 だが、今の十子は、己を世界の中に溶かさない。


 願いを鋼に込めていく。

 美しくあれ。柔らかくあれ。強くあれ。しなやかであれ。


 鋼が応じる。『ここが、鋼の限界である。これ以上を望むのは、鋼に対する冒涜である』と。

 どうしようもない現実というやつがある。鋼は鋼以上には強くなれないし、しなやかにもなれない。物質の限界というものは、絶対にある。十子岩斬は、鋼の声を聴く。だからこそわかる。これ以上を望めば、鋼がゆがむと。見る影もない駄作になると。


 だから、疲労でかすれた声で、こう言うのだ。


「うるせぇ。お前の出来は、あたしが決める」


 鋼の限界。知ったこっちゃない。

 この世の法則。クソどうでもいい。


 今、手の中で起こそうとしているのは奇跡である。


 ただし、『観測しえないほど極小の確率に、方法も知らず偶然にたどり着いてしまった』などという、つまらない、くだらない奇跡ではない。

 それは『起こる奇跡』にしかすぎないのだ。そいつはたかが『偶然』なのだ。


 物理法則を超えろ。

 現実をねじ伏せろ。


 神の掌なんぞ斬り捨ててしまえ。


 火の粉が異を唱えるように踊る。

 水蒸気が立ち込めて暗闇をさらに深くする。


 だが……


 最後に笑ったのは、物理法則ではなく……


 十子岩斬。

 鋼へ無茶ぶりをし、この世の法則を定めた神に唾を吐きかけた無礼者。


 無礼者は、鼻を鳴らして傲慢に言った。


「おう、やれば出来るじゃねぇか」


 神の定めた『現実』という檻から、刀一本、はみ出すことに成功する。

 かくして、奇跡は起こされた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?