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第113話 示すべきもの

 十子とおこ岩斬いわきりいおりそば。


 この日は昼からそれぞれの方面部隊の隊長(のような立場の者)たちが集っており、このようなことを話し合っていた。


「で、天女教軍は何を狙っていると思う?」


 十子岩斬の刀の完成まで、残すところ一日。

 最初に言われた日数を信じるのであれば、明日の夜か、その次の日の明朝にも十子の『最高傑作』が打ちあがるであろう。


 最初は庵の中の『背筋が伸びるような空気』が心地よくて中に集まっていた千尋ちひろ沈丁花じんちょうげ三太夫さんだゆうであったが、今の空気はあまりに熱く、あまりに重苦しく、中の一切合切が煮えたぎる鋼になってしまったかのようで、とてもではないが、いられなかった。


 そのぶんだけ、その空気の果てに完成する刀には期待も高まってはいるが……


「敵の動きはな、『不気味』だぞ」


 相手の攻め気のなさが、同じぐらい、異様な空気を放ち始めていた。


 三太夫は指で唇をこするようにして考え込み、


「……普通に『かつえ殺し』を狙う動きになった──ってわけじゃないんだろうね」


 大軍が少数を倒す方法は、何も槍を交えて殺すだけではない。

 自軍が充分に補給できる状態かつ、相手側に補給のあてがない、外部からの補給線を包囲によって絶てる状況であれば、相手が餓えるまで取り囲めばいいだけなのだ。

 大軍が攻め気を見せなくなった状況は、長期戦による兵糧攻めの構えに入った、ととれなくもない。

 というより、現在ある情報の中から、この『動きのなさ』に意味を見出すのであれば、包囲による兵糧攻めに切り替えたと見るのが妥当であった。


 しかし千尋も沈丁花も、それどころか発言者の三太夫でさえも、その意見が真実だとは思っていない様子である。


「いやぁ、それよりも一つの方面に兵力を集中して一気に押しつぶす方が、金がかからんぞ」


 千尋の意見は『飯を食わせる大変さ』を知る者の意見である。

 大軍というのはいるだけで金がかかる──というのは誰もがなんとなく理解していることではある。実際、そうだ。大軍は農業をしない。大軍は配備されているだけではいわゆる『仕事』をしない。

 存在することで意味があるのはもちろんそうだ。だが、存在するだけで飯を食うのが人であり、軍は飯を生み出さないのもまた、『もちろんそう』なのだ。


 そしてこの大軍というのを食わせるためには金がかかる。


 天女教とて無尽蔵に金があるわけでもなく、さらに言えば……


「どうにも、この大軍、天女教公認とは思えん。ともすれば青田あおたコヤネなる者が独断で動かしているのではないか? とくれば、あまり天野あまのの里攻めに時間をかけたがるとも思えんが」

「……まぁ、薄々そういう気もしてるけどね。一応、そっちがそう思った根拠を聞こうか」

「青田コヤネ以外の『天使』がおらん。ここまでぐだついておいて、どの戦場にも天使が投入されんのだから、間違いなかろうよ。しかし、部隊の規模から言って、コヤネ一人ですべてを差配しろというのは……まあ、天女が認めた進軍であれば、ありえんだろうな」

「『この程度のこと、兵力を与えるから、一人でやれ』っていう可能性もあるんじゃあないかい?」

「ありえない、とは言わん。だがそう考えるともう一つ奇妙な点があって、その『一人でやれ』と言われていると想定するコヤネが出てこないのがな」

「……」

「そういった流れでの『天使一人での大部隊運用』であるならば、天女に力を示すためにももう少し積極的になってもいいと思われるが。何せ、品格と実力の見合っていない天使が最近一人処刑されている。天使が焦るには充分な流れがある」

「……そうだねぇ」


 処刑された天使とは、賭博船・百花繚乱ひゃっかりょうらんの支配人であったサグメのことだ。


 ……天女には独特の美学のようなものがあり、コヤネはそれに抵触していない可能性、もちろんある。

 というより、あらゆる可能性の中から『これ』と思うものを、具体的な根拠つきで決められるほどの情報を集めようがない状況だ。


 だから、剣客のカンとして。


「相手は勝負をこれ以上長引かせるつもりはなく、『決め』のための準備をしているのであろうよ」


 というのを、感じ取れる。


「逆に三太夫殿はどうだ? 何か、天女教の動きのなさというか、あるいは青田コヤネが独断くさいと思う根拠というか、なんでもいい、そういう情報はあるか?」

「……そもそも、アンタらが来る前から、半月近くこうして包囲されてるわけだよ。けどさ、これは妙なことじゃあないかい?」

「ふむ」

「今、三つの正面でどうにか相手を食い止めてる状況だが……十子もいない。アンタもいない。その状況で相手の兵力を二正面に一斉に放たれてみなよ。今頃あたしらは土の中さね」

「最初から手加減があった、と?」

「そう。だからね、相手が『本気』になるためには、何かの条件があって、それが満たされたから、本気であたるための準備をしてる……そういう気がしてならないのさ」

「その条件とは」

「さて。ただ雑感として、相手が本気になる条件に、あたしらの出方はまったく関係ない。……最初から最後まで、向こうが向こうの都合で手をゆるめて、向こうの都合で本気を出す。そういう気配だよ。……攻められてるのに、相手にされてない──そういう感覚さ」


 三太夫は己が感じている悪寒を言語化しようと努めてきた。

 そうしてようやく形になったのが、今の言葉だ。『攻められているのに、相手にされていない』。現状はまさしく、そう言うしかないものに思えた。


「っていうかさあ、『準備』っているかなぁ?」


 そこで発言をするのは沈丁花だ。

 彼女を含め軍略を学んだ者はここにいない。しかし、博徒のカンというのか、賭けどころを見る目は、この陣中にあって『戦略家』としてかなり重きを置かれる要素となっていた。


「お姉さん思うわけだよね。『真っ直ぐ進めばそれで終わるじゃん』って。でもなんか準備の気配が確かにするよねぇ? ってことはさ、この不気味な攻め気のない時間は、『盛り上げ』の演出を用意してる時間、ってわけだと思うのよ」

「演出とは?」

「やぁ、比喩じゃあなくて、本当にただの演出だよ。なんかしらの派手な芝居でもやるんじゃない? かぶいた婆娑羅ばさらな服着てさ、神輿みこしでも作ってさ、ああ、花火なんかも上げるかも? いいよねぇ、花火。大都会じゃないとまず見られないけどねぇ」

「……」

「なんかさあ、相手がさいを振ってる感じがないんだよねぇ。ここが相手にとっての賭場じゃないっていうかさ。たぶんだけど、相手が賭けてるのは『ここ』じゃあない。『ここ』は、賭けの前の何かなんじゃないかって気がずっとするんだよ。ま、だからここまで持ちこたえられたんだけどねぇ」

「つまり、『この後』が相手には控えていると?」

「そういう『つまり』とか面倒くさい要約をするのは好きじゃあないね。ただのカンだから。ようするに、最後はすっごい盛り上がるってこと。祭りの前のざわざわした感じ、わからない?」

「いや。……わかる、やもしれん」


 千尋は目を閉じ、周囲に意識を巡らせる。

 想像する。天野の里の全景。それを空から見る。布陣する青田コヤネの軍勢。そいつらが発する気配。空気の揺れ、ざわめき。そういうものを観察し、想像を補完していく。


 そして、目を開けた。


「……確かに、そうだ。我らにとっての大一番が、相手にとっての大一番とは限らない。久しく忘れていた感覚だなァ」


 前世、千尋に挑む者は、そこに人生を懸けていた。

 ようするに千尋自身がラスボスであったのだ。


 だから、戦いとは、互いに互いしか見えていないもの──というのが意識の底にこびりついていたように思う。


 天女教軍勢にとって、天野の里衆など、眼中にもない敵と定義して相違ない。

 であれば、相手はこちらを倒すのに必死なはずもない。……そこが、千尋のカンを少しばかりにぶらせていた。


「なるほど、これが『弱者』か」


 尋常な勝負のために『弱さ』を求めた。

 旅の中で、その求めは正解であったという確信を得てきた。弱いからこそ、相手が本気で戦ってくれた。弱いからこそ、こちらも本気で出ることができた。


 だが……


「……弱者であると、そもそも、『相手に自分だけを見て、自分だけに注力してもらう』ということが、なかなか出来んのだな」


 噛み締めるようにつぶやく。


 その事実をはらに落とした千尋は、笑う。


「で、あれば……そろそろ『強さ』を示さねばならんなァ」


 現状を顧みてただ嘆くだけの者、生まれ変わってなお残る自我など持ちえない。


 死して・・・なお・・己の・・望みに・・・執着・・する・・

 それこそが、剣神と呼ばれた男の魂の在り方である。


 それでもうまく『弱さ』を得られず、無念の死を遂げた。

 だが、逆に……


「『強さ』を示せば、戦ってもらえるのか。『強さ』を示せば、あの大軍が──『敵』となってくれるのか。いやはや……簡単で助かる。では、蹴散らすか」


 強さを示すのは、得意中の得意。

 何せ、示そうと思わなくとも、自覚なく人の心を折り、屈服させてしまう。それこそが千尋が前世から患い続けている病なのだから。

 まさかこの不治の病が役立つ日が来るとは思わず、ついつい、笑いがこみあげてくる。


 その笑顔……


 十子がもしこの場にいれば、こう述べたであろう。

『ちょっと淫靡えっちすぎる』と。

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