なんらかの行動を起こす者には、その行動に意義と意味、それから有利を見出しているものだ。
熊のような女──カガンには、カガンの思う『利』があった。
(こんなちんけな林なんか、私がまっ平にしてみせる。そうしたら、ここから全軍攻め入れる)
実際のところ、
もちろん神力の多寡によっては木々を折り、散らし、どかしながら進むというのは大変な者もいる。しかし、このカガンのような女を工兵部隊(工兵部隊という概念はまだこの大陸にはないが)として編成し、林を平らにさせ進軍路を確保させれば、林方面から大軍で攻めかかれる。
それをさせない理由、もちろんある。
一つには、総大将の
だから『林伐採部隊』なんかも編制しない、ということだ。
これはただ単にくだらないプライドにしがみついているわけではなく、軍という『戦闘訓練を積み、自分の体力・腕力に自信がある集団』を指揮する者として、沽券という要素を重要だと判断しているからであった。
そもそも軍の編成なんていうのは最初に決めておくべきものだ。これを敵の目の前でやりなおしては、再編の隙を突かれやすくなるし、隊伍を組んでいた者たちを引き裂いてしまって不和が生まれかねないし、敵前でこのようにのんびりしたことをやらせる指揮官の軍略能力を問題視されやすく、結果として兵たちのまとまりがなくなる。
デメリットに比してメリットが少なく、現在の局面はそのようなことをしなくても解決可能である──というのが、コヤネの判断であった。それは適切だ。
そして林を伐採する部隊を再編成しない理由ではなく、そもそも林を伐採しようとしない理由というのは、練兵のためである。
コヤネの最終目標は『天女の打倒』だ。
そして天女と、それに
だがまさか天女に差し向けられると思っていない、どころか、ここまで大規模に軍が展開することが今後あるとさえ思っていない兵卒の視点で、『林を伐採しない』というのは、『指揮官が愚かであるという以外に説明がつかないこと』である。
こういう状況だと、カガンのような強者は、『上官が期待できないなら、自分が腕力で抜く』という思考になる。
このあたり、天使に選ばれるような人材が軍に配属されない理由でもあった。
自分に自信がある者は、上の判断にただ黙って従うということがなかなかできない。たいていの場合それは、現実を知らないがゆえの『根拠に乏しい自信』でしかすぎないのだけれど、自分の自信を『根拠に乏しい』と思える者はそもそも、こういう独断専行をしない。
そこに来て周囲の兵卒より頭一つ抜けた『強さ』があると、『上官や同僚の静止を振り切って突撃する』といった行動を起こす。ちょうどこの、カガンのように。
こういったことをしそうな『半端に強くて自分を賢いと思い込んでいる人材』は、実のところ、林方面軍に集められている。
すなわちこのカガンの暴走、コヤネの掌の上だった。『このケースでこういう人材をこういうシチュエーションに放り込むと、こうする』というサンプルの一つとして、見事にデータをとらせた結果になる。
とはいえ当人が周囲と比べて頭一つ抜けた実力者であるのも事実。
その実力者が木々をなぎ倒してひたすら前へと進んでいたところ、七名の女どもが立ちふさがる。
「邪魔をするなァ!」
その大声は獅子の咆哮のようだった。
筋骨隆々の肉体を見せつけるように巫女服を着たカガン、ざんばらの茶髪は
いかにも強そうで、豪胆で、世間に言う『女ぶりがいい女』である。
……が、それがモテるかと言われると、これが少し難しい話になってくる。
たとえば現代日本においても、筋骨隆々でいかにも強そうな男は『男らしい』と言われるだろう。
だがそれと、柔らかい雰囲気で清潔なイケメンを並べて、『どちらが異性にモテそうか』と問えば、筋骨隆々の者を選ぶのは多数ではなかろう。そういう話だ。
とはいえ鍛え上げ、骨格も優れた肉体に神力をまとう女が強いのはまぎれもない事実。
対する七名は恰好も得物もばらばら。領主大名のような『さむらい』の家系でもなかろうし、天女教などで軍役についていたような様子もない。よくいる『自分は腕一本で何かを成せると思い込んで、暴力的で退廃的な日々をただ漫然と過ごすだけの、乱暴以外に取り得のない女ども』である。
軍属で鍛え上げ、その中でも抜きん出た実力を持つカガンにとって、『敵』とは言い難い、
その雑魚ども、手斧を、
粗末な武器を持った、粗末な集団。
カガンはためらいなくとびかかり、これを蹴散らすべく拳を振るう。
……だが、計算外。
というよりも、想定しておくべきことではあるが。
重々しい鋼鉄でできた手甲を身に着けたカガンの拳。
これが裏拳で放たれれば、進路にあるすべての木々、金属、人の肉体まですべて折ってひしゃげさせる威力。
それを受けたのは聖柄、ようするに木製の柄や柄巻などがなく、
カガンの感覚と経験からすれば、なんの感触もなく砕けて当たり前のこの刀──
折れない。
さすがに相手は踏みとどまれずに吹き飛ばされる。
だが、あの細い剣を折れない。
その理由に、カガンは遅れて気付いた。
「
いかにも粗末なままの見た目、この七人、それぞれ使い慣れた様子にしようと、あえてやっているだけ。
手にする武器は天野の里衆、あるいは当代
もちろん『折れず、曲がらず、欠けない』などといったファンタジーなものではない。
だが、ただの鋼と思ってかかれば、怪我をする。
カガンは裏拳を放った拳に痛みを感じる。
彼女の不運は、彼女の拳を受け止めたのが『剣』であったこと。
天野の里は武器ならなんでも扱うが、この里が『天野』の苗字を授かった時に天女へ献上したものは刀である。
それゆえに天野の里の刀剣、他の同じ里の製品と比べてもその練度は抜きんでいているし……
この刀。
当代岩斬が大量に作り出した習作の中から、かつて
その切れ味は、
「ははは、すっご、すっご!」
使い手が興奮するほど、すさまじい。
分厚い手甲がぱくりと斬られ、拳の骨まで刃が達している。
ただぶつけただけでここまで斬られる。剣士の技ではなく、刀の質が成せる業。
多くの者が魅了されるのもわからされる、あまりにも妖術めいた切れ味であった。
……ここで、カガンは気付くべきであった。
彼女はその圧倒的な肉体と、高い神力で、兵卒内では無双を誇る個人だ。
しかし実力としては天使に選出されるほどではない。部隊での位階も『一兵卒』にしかすぎない。
そういった、『ちょっと強い者』が──
神力を持った、これまで腕一本で無頼の人生を過ごしてきた、しかも天野の里の武器を持つ女どもに囲まれている。
……確かに世の中には『数の有利』を覆す個人が存在する。
たとえば天女教総大主教・天女『
彼女の放つ『光の刃』は、居並ぶ人を一枚絵のように引き裂くことも可能である。
また、そもそもにして高い神力は、まだ子供と言える年齢であろうとも、多くの女と力比べをして負けない。加えて、本人の
天使
天女教天使としては新参の女ではあるが、その実力と、任務遂行能力、それからえも言われぬ不気味な迫力によって、多くの者の『異』を封じ込めた、まさしく『新世代の天使』の代表。
肉体的にも優れており、腕力で真正面から他者と当たることはないが、不気味な技巧と場に現れるだけで雰囲気を変えることが可能な存在力とでも言うしかないものは、集団を警戒させ、及び腰にさせ、紙のように両断することもできる。
そして最近
特殊な血族出身の『氷の矢じりを生み出す神力能力』はむしろ、相手が集団の時にこそ力を発揮すると言える。
もちろんこの部隊の指揮官である青田コヤネもまた、あの大長巻により軍を薙ぎ払う力の持ち主だ。
カガンも、そういった者たちに並ぶという自信がある。
機会さえあれば自分もまた天使に抜擢されると、そういうふうに思っている。
……そういった思いもまた、彼女をこのように独断に走らせた理由でもあった。
しかし、現実は。
「あ、……あ?」
七名に囲まれて、七名に一斉に攻撃された。
そうしたら、あっさりと、全身に攻撃を受けて、膝から崩れ落ちた。
カガンは弱くはなかった。
天野の里の武器で己の防具兼武器である手甲を斬られた時、不利を悟って戦い方を変えるなり、プライドを捨てて逃げるなりすれば、彼女は脅威として残っただろう。
それができないから、彼女はこの強さで一兵卒のままであった。
そして、一兵卒のまま、死んでいく。
「……なん、」
最後まで己の負けを信じられない顔をして倒れていくカガン。
それを最後まで腕組をしたまま見ていた
「一対一で立ち会えば、多少は面白かったかもしれんのになァ……」
本当に惜しい、と首を振る。
それが、カガンが最期に見た光景だった。