二日目──
「ん? なんだか昨日より楽な戦いだね?」
彼女がやっていることは相変わらず『正面に自分が立って引き付け、物陰から伏兵を出して相手の足並みと注意を乱し、その隙に自分たちが突撃して相手の先頭を削り、すぐに逃げる』というものだ。
この戦術、三太夫は早晩見切られると考えていた。
というのも、対処が簡単なのだ。
相手は伏兵に惑わされず三太夫に真っ直ぐ進めばいいだけだし、そもそも、軍の先頭を厚くし、左右には最小限の警戒のための人員を置いておけばいい。
おそらくまだ本陣に残っているであろう予備兵力を回すという手段もあろう。
兵数、兵の質、武装、指揮官の質、仕様できる資源。すべてにおいて相手が上回っている状況で、三太夫がやっているような小手先の技がいつまでも通じるわけがない。
だが、通じている。
それどころか、まだまだ昼の日差しも高い時間帯だというのに、敵が進軍をやめ、引き下がっていく。
(明るいうちに里の中に陣地を構築して、夜襲に備えるつもりかい? ……まぁたしかに、最初のころよりは、あっちもウチらの里の構造を覚えてる。地図を作られてる可能性もある。夜になって襲われても耐えきれるって算段なのかもしれない、が……)
不気味なものを感じる。
何かの『準備』をしているような、そういう、力の抜き方だ。
(……まぁ、その『準備』と、『
まだ温かさの残滓が残る季節。
だが、三太夫は身震いする。
それが歳のために寒さに弱くなっているだけなのか、それとも、この先に待ち受ける『何か』への悪寒のせいなのか……
幾度目だろう。妙に、
◆
「あのー、沈丁花さーん、これ、大事な時にってあずかったお酒なんですけどー」
山間の
道中で襲われていたところを沈丁花に救われ、そのまま護衛をされて里まで戻って来たところで天女教に襲撃されたため、飛脚の詰め所に戻れず今日までこうして戦う羽目になっている。
彼女から見た沈丁花という女、聡明で強いのはそうなのだろうが、それだけではなく、奇妙な行動原理と、あとクズと呼ぶしかない部分、狂っていると思うしかない部分が適度に配合されており、なんというか……
『放っておけない人』という印象であった。
その『放っておけない』が高じてここまで来てしまったのだから、それはもう傍目に見れば『惚れている』ということであろう。
で、その放っておけない沈丁花、今日は昼から酒盛りをしている。
酒というのは士気を上げるために必要なものではある。冬などは、酒のあるなしで凍死するかしないかが分かれるぐらいの戦略物資でさえある。
だが、さして寒くもない、しかも『さぁこれから、今日の戦端が開かれるぞ!』というタイミングでのいきなりの酒盛り。意味がわからないを通り越して、狂いすぎてて怖い。
「どうしてこんな時間からお酒なんですか?」
「えぇ? 酒ってのはね、呑みたい時に呑むもんだよぉ?」
ほろ酔いなのか、口調が普段の倍ぐらいやわやわになっている。
すっかり出来上がった、そして沈丁花に染まった天野の里衆まで、『そうだ、そうだ』と同意する始末。
ここにいる連中は今の状況に不自然さなど感じないのだろうか?
どうして半分以上里から出たはずの自分が、こんなに里のために頭を痛めているのだろうか?
飛脚はもうわからなくなってきた。
だが、誰かが言わねばならないだろう。
何せ、命が懸かった状況なのだから。
飛脚の女は頭の痛さをこらえて口を開く。
「いくらなんでも、これから戦いが始まるっていう時に酒は──」
「始まらないよお」
「──え? な、なんでです?」
「あれぇ? わかんない? 今日は向こうさん、
「すいません、わかるように言ってもらってもいいですか?」
「わかるように? わかるようにかぁ。うーん、わかんないよねぇ?」
「いや、あの……酔ってます?」
「あー待ってねぇ。今、わかるように根拠を捻りだすから」
「はぁ」
「うーん、そうだなぁ。まずさ、岩を落とされたじゃん、向こうは」
「そうですね」
「ってことは山の方を調べるじゃん。さすがにね」
「そうですね」
「誰も来てないでしょぉ?」
「……そうなんですか?」
「気配とかってわからない?」
「そういう
達人などはよく『気配』だの『殺気』だのといったものを感知しているぶるのだが、戦いに身を置かない(荒事経験がないとは言わない)飛脚からすれば、そういったものはファンタジーである。
見て、聞いて、というぐらいならまだわかる。偵察に出して、とか、音がしない、とか、だから気配がない、ならわかるのだ。
だが沈丁花の述べる『気配』はもっと超自然的なものだ。しかも、こういう戦時中だというのに、裏取りもさせず、その気配感知を信じて行動している。これは、飛脚からすれば本当に意味がわからないものだった。
沈丁花は「うーん」と唸りながら
「人が動けば、人が動くんだよ」
「話にならなさそうですね……」
「いやいや。たとえばそうだねぇ──」
と、言いながら沈丁花が片手を大きく上げる。
すると、酒盛りをしていた一同、一斉に沈丁花の手へ視線を向ける。
「なんでもないよぉ」と沈丁花が言い、視線が散った後、「──ね、動いたでしょ?」
「……まあ」
「人は反応する。反応した瞬間、空気が変わったのはわかるかなぁ?」
「……そうですね」
確かに、変わった。
沈丁花が片手を大きく上げた途端、それまでへなへなと酒盛りをしていた女どもが一斉に緊張し、武器を手にする者までいた。
「戦いの最中にこういう行動をすれば、文字通り空気が変わるのさ。こいつはね、人が人である以上、避けられるもんじゃない。山一つ挟んでたって、ここまで伝わるもんだよ。……あはは。向こうさんにも、今の『空気の変化』が感じ取れちゃったかもねぇ」
「……」
「偵察を出して裏取ったり? 広く警戒させて敏感に感知できるようにしたり? まぁ、大事だよねぇ。けどさあ、私ら素人じゃない? 下手にそんなことやってたら、もたないよ」
「……そう、ですね」
「だから酒盛りをしとくのさ。できるうちにね」
「でも、不安になりませんか?」
「いやもう『来ない』に賭けてるから」
「…………………………」
「外したら死ぬだけでしょ」
「すいません、偵察に行かせてください」
「真面目だなぁ。よぅし、じゃあ、こうしよう! おおいみんな! 今からこの子が偵察に出るってよ! 何か見つけて帰ってくるか、それとも何も見つけずに帰るか、賭けようじゃあないか!」
「命がけの斥候働きで賭ける気!?」
「飛脚だから逃げ足ぐらいはあるでしょ。大丈夫大丈夫。なんもないから」
「…………」
「あ、私が『なんもない』って断言したら賭けにならないかなぁ? じゃあ、こうしようか。他に斥候に出る人ぉ~。誰が山頂まで駆けて一番最初に戻るか賭けよう!」
「行動の意義が変わってるぅ!?」
めちゃくちゃな陣内であった。
沈丁花のこのノリはすでに陣内で広く受け入れられているようで、我も我もと足自慢の斥候役が名乗りを上げ、あたりが賭場と化していく。
「…………」
飛脚はげんなりしながらも、こう思った。
(私がしっかりしないと、この陣はダメかもしれない)
こうしてますます深みにはまっていくのだが、彼女はまだ、そのことを自覚していない。
◆
「
「おお、そうか。やはりなァ」
林に布陣する千尋と七名の女ども。
こちらでも相手側に動きを感知できず、さりとて抜ける道もなさそうで、膠着状態にあった。
千尋は太い樹に背中を預けて腕を組み、「ふぅむ」と顎を撫でる。
「ま、向こうさんは大軍ゆえ、正面に全兵力を集中するのが一番よかろう。この林は最低限『抜けないようにしている』だけで、捨て置かれたのかもしれん」
「じゃ、じゃあ、里の方に戻らないと……!」
「とはいえ『かもしれん』だからなァ。ま、沈丁花も三太夫殿も、
「……なんです?」
「いやァ。俺も合戦というものは初めてだが、集団に取り囲まれたり、軍師面したヤツに仕切られた集団を相手にしたことはある」
「どういう人生?」
「そういう人生としか言えんな。……そういった経験からすればな、『腕自慢の集団』を構成する人員すべてが、『待て』をできるわけではなく……」
ばききききき……! という音が響く。
その音の正体に、音が鳴る前から気付いていたのは千尋。
だが、音が鳴ってから即座に正体を言い当てたのは、木こり風の、獣皮の上着を羽織り、手斧を武器とする女であった。
「木が倒れる音だ」
「『待て』の出来ぬ者が来るぞ」
千尋が樹から背中を浮かせる。
樹が倒れる音が近づいてきて、ついに、倒れる樹が目視できるようになると……
両手に手甲をはめた、大柄な女が、樹を殴り折りながら近づいてくるのが、わかった。
熊のような女である。
筋骨隆々の体を隠そうともせず、巫女服に収まりきらぬ肉体をはだけさせ、丸太のような手足で樹を折りながら進んでくる。
千尋から見れば、あれは武威の誇示もあるのだろう。だが、ストレスの発散もあるのだろうし、もっと単純に『視界が悪いので確保している』という、それだけの理由での自然破壊でもあるのだろう。
伐採というのは、大集団で少数を林などに追い立てた時には、有効でもある手段だ。
ただし手間がかかるので、他の進軍路があればまずなされない手段でもある。
「さて、どうにも天女教軍、なんらかの事情で『待て』を強いられている様子ではある。だが、ああいう跳ねっ返りもいる。少数の跳ねっ返りであれば、視界が悪く、こちら側も大軍を展開できていなさそうな林から、ああして攻め入ろうとするであろう。そういうのにお帰りいただくのも、俺たちの役割、というわけよ」
刀の柄に手を添える。
だが、
「千尋さんは、そのままで」
宿で救った七人、武器を手に手に千尋の前に立つ。
「あいつは、私らが相手しますんで」
「……なぁ、別に俺はお前たちの上官ではないので、そういう態度はとらずともよいのだぞ?」
「私ら無頼の荒くれは、『強いヤツ』に従うだけです」
「……そうか。ならまあ、これ以上は言うまい。では、任すとするか」
「はい」
かくして、膠着した戦線。
『無頼の荒くれ七人』と、『待てのできぬ跳ねっ返り』が、林の中で拳と剣を交えることとなった。