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第110話 剣と戦い

 不安が高まるほど、人は夢を見るのが下手になっていく。


「で、実際問題、十子とおこ岩斬いわきりの刀が完成したら、どうにかできるのかなぁ?」


 発言したのは沈丁花じんちょうげだが、彼女はそこを気にしている様子ではなかった。

 すぐに肩をすくめて、発言を補足する。


「今日の戦いは勝ったんだけどねぇ。どうにも、夜が深まるとみんな不安がっちゃって。だんだんそういう声が増えてるみたいなんだよねぇ。いやぁ、参っちゃうよ。一度賭けたっていうのに、壺の中に賽子さいころが入ってから『やっぱり違う方に賭ければよかった』なんて言っても意味がないってのに。これをわかんない人は本当に多い」


 ようするに『兵が気にし始めている』ということらしい。


 十子のいおりである。


 すっかり秘密の作戦会議の場所となってしまっているが、今この時も、相変わらず十子は作業中であった。

 内部はたぎるほどに熱い。音もする。作業中の十子の気に障ってもいけない。

 だから本来であれば、こんな場所で一同雁首そろえて会議などするには不向きなのだが……


 この場の空気はあまりにも清浄で、そこにいると背筋が伸びるような気持ちにさせられる。


 だから沈丁花を始め、千尋ちひろ三太夫さんだゆうも、自然とこの場所に集っていた。


 沈丁花の言葉に、里長の三太夫が苦笑する。


「……ま、アンタの言いたいこともわかるがね。不安ってのはどうしようもない、夜中に催す小便みたいなもんさ」

「それは年齢のせいじゃないかなぁ?」

「そうさねぇ。それか、『緊張のせい』だろうねぇ」

「……」

「こういう時にゃあ、神様にお祈りでもして不安と付き合うのが『いつもの』なんだが。今はその『神様』の手勢が相手とくりゃあ、小便も催すってモンよ。それでも口から吐くのはいただけないがね」

「で、実際どういう感じなのかな? 多少、『お漏らし』な子らを安心させてやれるような現実的な理屈は何かひねり出せる?」

「……刀一本で勢いが引っ繰り返ることは、あるよ」

「へぇ?」

「ウチらの里ってのはそういうことを何度かしてきてる。ただし、こいつは、『互角の兵力同士の戦いの中で、兵器を得て一気に趨勢が決する』とか、『武装傭兵が戦場に加わって勝敗が決する』とかの話だ。『刀一本』ってのはね、『象徴』なのさ。『強い武器を生み出せる連中がこいつらに味方したぞ』っていう象徴。まあ、だから──兵力さえありゃ、『刀一本』にも意味が出るってのが、現実的なところ、かねぇ」

「じゃ、そのへんの物語を不安で眠れない子らに語り聞かせておやりよ。カワイイ子がいるなら、この沈丁花お姉さんが寝物語を聞かせてあげてもいいんだけどね。鍛冶屋の里ってのはむさくるしいったらないよ」

「アンタ、女もいけるのかい」

紙園かみそのに通ってたころもあったねぇ。ま、すぐにすっからかんになっちまったけど。あそこは賭場も大して儲けられないし」

「……伝わってる話を物語にしてやりゃ、多少はもつかもね。そのへんはあたしがやった方がいいだろう。けど……それでも、四日間ってのがやっぱり制限だよ。もともと限界に近い状態で踏ん張ってるんだ。逆転の目として十子が刀を打ち始めたことで、ゆるみが出ちまったのは事実。この四日で決められなきゃ総崩れだねえ」

「それを十子岩斬のすぐ横で言う?」

「聞こえちゃいないよ、ああなったらね」


 鋼を打つ音が響き続けている。

 十子は今が昼なのか、夜なのか、何日経ったのか、自分がどのぐらい没頭しているのかさえわかっていないだろう。

 ……だからこそ、外から見ると『納期に間に合わせてくれるんだろうか』という不安が出るのも事実ではあるが。


「で、沈丁花お姉さん、聞きたいんだけど。千尋くんはさぁ、本当に、刀が手に入ったら、あの軍勢に勝てるの?」


 視線が千尋に集まる。


 壁にもたれるように目を閉じ、両手を袖の中に入れている千尋は、そのまま、答えた。


「勝てるであろう」


「千尋くんとお姉さんとの仲は、気休めのおためごかしがいる関係性じゃないと思っていいんだよね?」

「『刀一本で軍勢を倒すことはかなうか?』……ま、不可能であろうよ。だが、勝てる」

「その心は?」

「たとえば相手が百人で取り囲んできたとして、実際に殺すことになるのは十人程度なのだ」

「……」

「十人を一瞬で殺せば、五十人に動揺が走る。動揺している五十人は、最初の十人と比べるべくもない木偶でくの坊どもよ。これを斬るだけで、百人が及び腰になる。その中で出てきた『とっておき』の一人を斬り捨てれば、あとは蜘蛛の子を散らすがごとく逃げ出す」

「規模が百人っていう程度じゃないけど? 十人斬っただけじゃさすがにどうにもならないよ」

「であれば四千のうち百人も斬ればよかろう」

「……」

「同じだよ、すべてな。十人を斬り五十人に隙を作る。五十人を斬り、周囲百人の中で手練れに属する者が出るのを待つ。この手練れを斬って残る四十人、あるいは周囲のもう少し広い範囲が逃げ去る。逃げ去らずとも、動揺が広がった相手を斬る。するとまた手練れが出てくる。これを殺す。おおむね手練れを含む百人も斬れば、あとは四千人総崩れか? これぞまさに少数の利よ。大軍同士のぶつかり合いであれば、百人ぽっち死んだところで気にも留められん。一人で百人斬るから、それは相手の中で大事件になるのだ」

「……それを『利』って言うの、さすがにお姉さんも『おいおい』って思うよ」

「紛れもなく利であろう。我ら少数が今選べる、最大にして唯一の『強み』だ」

「普通に取り囲まれて殺されない?」

「それは普通にありうる可能性だな。長物の穂先を突き付けられて四方八方から突き殺されることは充分にあるであろう。だが、相手の中に入って止まらずに暴れまわれば、少なくとも飛び道具は来ない」

「…………いやぁ~…………お姉さんが思ってたよりトンでる・・・・ねぇ」

「なんだ、トンでる相手とはともに戦えんか?」

「大好きに決まってるでしょ」

「ならば地獄までともにくか。死地へともに向かう相手に求める条件のうち、『大好きであること』はな、大義だの忠義だの信念だのといったものより、だいぶん上等なものだと俺は考えているぞ」

「千尋くんはお姉さんのこと、好き?」

「残念ながら、俺が好ましく思ってしまうのは『敵』のようでな。ここから敵に回るか?」

「やめとくよ。一度壺が振られたあとで丁半を変えようとするのは流儀じゃないんだよね」

「そうか。残念だ」


 横で聞いていた三太夫がただただ苦笑している。

 若い、でもない。おかしい、でさえない。

 本当に『こういう生き物だ』としか言えない。それが宗田千尋という男であると、実感させられたのだ。


 だから三太夫は思う。


(いやぁ……本当に『神話』だねぇ。こんな男がいるモンかい、この世に。初代の天女様とともに地上に降りてきた『始まりの男性』も、あるいはこういう男だったのかもしれないねぇ)


 始まりの男性。

 天女との間に三人の子を成したとされる者。


 ……その活躍については天女とともに乱れていたウズメ大陸を平定し、『塔』に出るような化け物どもを平らげたなどという話も残っている。

 いわゆるところの『戦乙男いくさおとめ伝説』だ。男のくせに天女と並んで戦えるわけがないのだが、そういう戦いをするほど神話的な男であったという話が残っているし、だから今の時代にも、『女を従えるほど強い男』という創作物はわりとある。


 そもそもにして初代天女が『強い男』を好んだという話も残っているし、あるいは『始まりの男性』とは、目の前の千尋がごとき男──古文書の中にのみその名を残す益荒男ますらおというやつだったのかもしれない。


 三太夫は苦笑がだんだんと大きな笑いになっていくのを止められなかった。


 千尋と沈丁花が奇妙な視線を向けてくるのに気づいても、止められない。


 三太夫はひとしきり笑ったあと……


 ぱぁん、と大きな音が鳴る勢いで、自分の頬を叩いた。


「よし、あたしも賭けよう。ガタガタ言わないよ。刀の完成まで、命賭けで時間を稼いでやらあ」


「それは最初っからそうだった、でしょ?」


「うっさいね、沈丁花。あたしは、アンタらと比べると常識人なんだよ。……下の者には『心の底から信じてる』なんて言っておいて、実際にどうやるかなんて考えもしなかった。こいつは『信じる』じゃなくて、『思考の放棄』だ。だから、今改めて、信じよう。……千尋」


「なんだ?」


「百人斬り、あたうんだね?」

「まァ、なんとかなるのではないか?」


 あまりにも軽く、楽観的な物言いだった。

 これが並の男の言葉であれば、現実が見えていない愚かな発言である。


 だが、今の話を聞いたうえで聞けば、きっとこの男、なんとかするつもりでいるのだろうとわかる。

 問われることを不思議に思うぐらい。『なぜ、そんなことを聞くんだろう』みたいな顔をしてしまうぐらい──この男にとっては『やると決めていること』なのだ。だから、こんなにも、きょとんとした顔で、そんなことを言う。


 三太夫は笑う。

 腹の底から、笑う。


「……いや、嬉しいね。あたしらのあとに、神話が続くんだ。こいつは道を均しておかないとねぇ」


 十子が千尋に巡り合って、己の道を見つけたように──


 三太夫も、己の道を、見つけた。

 それはとても、幸福なことだと思った。


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