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第153話 人斬り

 残身ざんしんは戦った相手への備えであり、礼儀である。


 サルタを肩から腰まで両断した宗田そうだ千尋ちひろ、刃を下へ向けた下段構えにて、膝から崩れ、倒れ伏したサルタへと備える。


 だが、起き上がらない。


 広がる血だまり。

 耳に突き刺さるような静寂。


 呼吸をするにも苦しいような、緊張感によりねばついた空気の中。

 サルタは動かない。

 倒れたまま、動かない。


 まぎれもない──


 勝利、であった。


「……かかれ!」


 静寂を破ったのは、サルタの手引きで侵入してきた暗殺者ども。それから、サルタ派の巫女たち。

 部屋の隅でサルタと千尋の戦いをただ見ていた──見入って、見惚れていた者ども。

 彼女らはサルタの勝利という決着を疑っていなかった。上半身をさらし、明らかに『男』であるのがわかる者との斬り合いで、サルタが負けるなどとつゆほども思っていなかった。それどころか、『天女の血筋に男が嬲り殺しにされる』という趣味の悪い見世物を望んでさえいた。


 ……無理もなかった。

 ここに配備されていた者どもは、千尋が、サルタの手の者を一切合切斬り捨てた現場を見ていないのだから。

 男が女にかなうはずがないという常識に基づいた考え方をしてしまった。本当に、無理もない。


 だからこそ動揺し、男であるが、千尋を殺せと叫んだ。

 それは危機意識がもたらした叫びであった。


 ……だが、彼女らの目論見は、構えて振り向く千尋に刃を届かせる前に、終わってしまった。


「どけ」


 背後から声とともに、一閃。


 複数の女が、まとめて上下に真っ二つにされる。


 その剛力、そして、複数の女を薙ぎ払う長い刀の持ち主は……


「……て、天使、乖離かいり……!」


 絶命する暗殺者が叫ぶ。

 眼帯をつけた背の高い、毛皮をまとった女──乖離はその声を無視して、周囲にいた暗殺者、ミヤビに刃を向ける巫女たちを斬り捨てていく。


 戦闘後ゆえに高まった千尋の心音が十回も鳴らぬうちに、乖離はすっかり『残党』を殺し尽くしてしまった。

 こうして、戦いは終わった。

 ミヤビの勝利で終わった。


 ……だが。

 千尋の鼓動は静まるどころか、早まるばかりだった。


 その事実に、千尋自身が笑う。


「……いやはや。本当にどうしようもない錯乱者だなァ、この俺は」


 サルタとの戦い、紛れもなく『致命の関』であった。

 踏み越えられなければ死ぬ。そういうたぐいの勝負であった。


 そういう勝負をして、終わったというのに。

 この魂は、『休みたい』とか、『これで終わった』とか思うよりも……


「乖離、お前と、戦いたい」


 ……さらなる勝負を。今、この瞬間に、この熱の中で、もっともっと熱く己を燃やす勝負をしたい。

 そう、望んでしまっていた。


 千尋が、ゆっくりと乖離に近寄っていく。


「サルタはよき『敵』であった。『塔』の最上階にいた者と同様に、俺に死を意識させる敵であった。アワサク、ツブタツなるサルタの配下どもも、よき『敵』であった。……だがなァ。どうにも、俺が斬りたいのは、『妖魔鬼神』よりも、『人』らしい」


 刀を無防備にだらんと下げて持ったまま、近寄り、止まる。


 そこは、一足一刀の間合い。

 すでに乖離の間合いの中であり、千尋があと一歩踏み込めば刃が届く、そういう場所だった。


「サルタの『光の壁』を超えるのは、達成感はあれど、満足感に乏しかった。やはり、『斬り合い』をしたい。……乖離、お前とならば、それができると感じる。どうだ?」


 ……その時。


 偶然にも、まさにその時、ミヤビらがいるこの部屋にたどり着いた人物がいた。


 天野あまの十子とおこ

 だいだい色の髪と瞳を持つ、刀鍛冶。


 乖離かいり鈿女断うずめだちを打った者にして……


 乖離を殺す方法を探り続けた女であった。


 十子は今まさにたどり着いたばかりだ。

 彼女がしていたのは、この『大奥』に忍び込んだ暗殺者を捜索する活動である。これは、ミヤビの信頼できる配下とともに行っていたものであり、『天女教での反乱劇が終わったあと』に備えての活動であった。

 ……ミヤビとしては、一番の鉄火場になるであろう『男性を留め置いている部屋』に十子を入れて危険にさらさないように、という配慮からの命令でもあったが。


 それがひと段落し、合流した、まさにその瞬間。


 己の処女作と最新作が、向き合っている。


 ……十子は剣客ではないが、これまでの旅路で得た経験から、察することができた。


 今、まさに……


 誰かが声を発したり、動いたりすれば、斬り合いが始まる。

 そういうところに、でくわしてしまったのだと。


 ……その中で、発言が『きっかけ』にならぬ、ただ二人。

 そのうち一人である乖離が、口を開いた。


「オオミヤ院にてオオミヤ様を斬り捨てた」

「こちらもサルタを斬り捨てた」

「ではあとは、残党処理をして、この乱は終わりだ。そうだな?」

「ああ。弟の治療もしてもらいたい。乱は終われど、これからが大変であろうな」

「その状況で、お前は、味方であったはずの私と『斬り合いたい』と、そう述べたのか?」

「そうだ」

「……千尋」

「なんだ?」

「お前が好きだ」

「……………………」

「お前も、私のことが、好きだろう?」

「……ああ、なるほど。……そうだな。ああ、そうだとも」

「ならば、それで理由は充分だ。このあとのこと、これまでのこと、すべてを忘れることができる」


 乖離は──


 刀を、構えた。


 両手でしっかりと柄を持ち、肩に担ぐように構える。


「殺し合おう、千尋。御前試合というお膳立てをする予定であったが、このような場所での戦いになってしまった。もう少し、綺麗な場所を選んだ方がよかったか?」

「いやなに、俺はこういう殺伐とした場が嫌いではない。大事なのは、そこにお前がいて、刀を構えていること。それだけだ」

「そうか。嬉しいな、通じ合うというのは」


 不器用な女だった。


 誤解をされる女だった。


 本来は書を好む大人しい女だった。

 あくまでも里人の役割として自警団組織に属することになっていたけれど、戦いを好む性分の女ではなかった。


 ……それがある日、運命が狂った。

 乖離という刀を得たせいで、その運命が『人斬り』という道を歩むことになってしまった──


 十子には、そう思われているのを、乖離は知っている。

 だが。


「千尋、私は、生まれつきの人斬りだ」


 乖離は体に力がみなぎるのを感じる。


「十子、お前の刀のせいではない。私はもともと、こういう女だ」


 乖離は、指先にまで『己』が万遍なく満ちていくのを感じる。


「願いを叶えるすべを、人を斬る以外に知らない。いくら学ぼうが、人を斬ることを、選びうる最も明快な解決法だと思ってしまう。……それに、斬るという行為に、魅せられていた。どうしようもなく……強者との斬り合いという行為の中でしか、生きている実感ができない。そういう女に、生まれついたんだ」


 十子の処女作を狙った者がいた。

 強かった。当時の乖離では十に九は死ぬことになっただろう。


 たまたま『一』を拾った。

 十子の刀のお陰で生き延びた。片目を失いながらも、生き延びた。


 ……その時。

 確実な『死』を乗り越え、生を拾った、その時──


「『もっと斬り合いたい』と願った。致命の炉にくべられ、己が鍛錬されていくように思った。……ああ、命を懸けて強敵と競うのは、これほどまでに、生の実感を得られるものなのかと、そう思ったんだ。だから──」


 乖離の残った片目が、千尋を射抜く。


「──私に『生』を実感させてくれ、宗田千尋」


 視線の先の千尋は、笑っていた。

 構えられる剣は正眼に。


「承った。この俺がお前の『敵』だ。乖離!」


 二人がともに踏み込む。


 大義名分はなく、必要性も存在しない。


 生きているがゆえに、斬り合う。

 生きている実感のために、殺し合う。


 殺し合いの中でしか生を実感できない、社会不適合生命体。

 その名を、『人斬り』と称する。

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