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第152話 美しきもの

 その時サルタが怒りのままに斬りかかったのは『当然』のことだった。


 相手は男だ。


 そもそもこの世界の絶対的な真理として、『男は女には絶対に勝てない』というものがある。

 特に天女の血筋であるサルタが神力しんりきで身を守れば、この防御を貫くことは男には不可能──


(……いえ。冷静になりましょう)


 ──と、勢い込んで斬りかかったところで、サルタは冷静さを取り戻す。


 この男は、アワサクの首を刺し貫いていた。

 それ以前にも、自分の子飼いの兵たちを斬り捨てていた。


(あの刀)


 サルタが見つめる先は、千尋ちひろの持つ刀。

 その銘が細女断うずめだちというのをサルタは知らないが、うっすらと桜色に染まった刃を持つあの打ち刀、男の手にあっても、女を斬る鋭さがある。


 実際、サルタが西洋剣を振り下ろすより前に、千尋は動き出していた。

 サルタが振ろうとする軌道に合わせるように、大上段から振り下ろす剣のしのぎを擦るような軌道で突きを放っている。


(未来予知でもしている? 気色が悪い。……そう、こいつは『強者』ではない。『巧者』。油断をすべきではない)


 動き出した勢いを途中で変えられはしない。

 だが、相手が『巧者』であり、相手の刀が『女を斬ることができる』という前提であれば、振ったあとの動きを変えることはできる。


 大上段からの振り下ろしは怒りに任せてしまったもの。

 だが刃を逸らされたあとは深追いはせず、いったん跳び退く。


 距離を空けて、


「天女の裁きを受けなさい」


 瞳から、『振動』の神力を放つ。


 不可視の衝撃──というわけでもない。放たれた力が光り輝く。だからこそ天女の血筋の力は『光』と称される。

 だが『視線を向けるだけ』『一瞬、力むだけ』というほんのわずかな予備動作から放たれた矢より速い攻撃を、千尋は横へ跳んでかわす。

 男の速度だ。放たれる前に避けられていた。避けたあとの場所に放たされた。


(何をするかを読まれている)


 どうあがいても女より遅い『男』という生き物が、女と『斬り合い』に持ち込む。

 これは未来予測が不可欠だ。……とはいえ神力のない男にそのような異能はないはず。とくればあの男は、察しがいい。異常なまでに。


(油断をするな。慢心をするな。わたくしは、ここまで来た。あと一歩で、ミヤビを殺し、お兄様のお嫁さんになれる場所にいる。こんなところで、お兄様でもない男に道を阻まれるわけにはいかない)


 サルタは怒りの果ての冷静さでもって、千尋を──『男』を殺すために意識を研ぎ澄ませ、策略を練っていく。

 強い女が、油断をせず、殺すという目的のために、冷徹に考える。


(こいつの動きは見た。アワサクを刺し貫いた不可思議な剣。女を斬ることができる刃に、後ろに目があるかのような動き。正確すぎる動きの予測。……『女を殺す剣を持った、未来が見える者』が相手だと思うべき)


 それは伝説に残る『始まりの男性』の特徴と合致していた。

 始まりの時代より、男性というのは弱かった。神力がなかった。

 だが、始まりの男性の活躍には、冗談や比喩だと思われている話ではあるが、『天女を斬った』というものもある。


 そもそも天女と愛し合ってつまになったような男性であるから、それがなぜ天女を斬るのかもわからず、神話特有の比喩であるとみなされ、あまり広く人口に膾炙かいしゃすることのない説である。


 しかし目の前に『そう』としか思えない男がいる。


 だからサルタは、笑う。


(なんという理不尽。初代様の意思を感じる。『何がなんでも、お前を成功させない』という意思。わたくしに悲運を課した、天にいます者の思し召しを感じます。で、あれば──『コレ』を斬れば、わたくしは、いよいよ運命に勝利できる)


 運命に勝利すること、すなわち、お兄様のお嫁さんになること。


 狂い果てたサルタの思考はそうつながり、戦いの最中のサルタは恋する乙女の顔になる。

 真っ白い少女が優しく微笑み、白い頬を朱色に染める。


(お兄様)


 サルタはこうして、限界以上を引き出す原動力モチベーションを得た。


 白みの強い瞳、その両目・・が輝き……


 空間一杯に広がるように、『光』が放たれた。


 逃げ場などない。


 未来を見る者を殺すための最適解。

 どうしようもないほどの飽和攻撃。


 対する千尋は、『壁』と言えるほどの広さ・密度で迫りくる『何やらやばそうな光』を目前にして……


 笑っている。


(格上の相手を『壁』と表現することはあるが──いやはや。これこそまさしく、こちらの命を押しつぶさんとする、『死の壁』よ!)


 昂揚が剣に伝わる。

 細女断がほのかに輝きを帯びる。


(俺をこのせかいに招いた天女よ、きこせ)


 死の関を目前に、それを踏み越えんとする千尋がとった行動は、『刀を直上に掲げる』というものだった。

 それは、剣を天上の存在に見せつけるかのような構え。


(迫り来るは避けようなき『死』。男の身では踏み越えることのできぬ、この世界における『優れたる者』の『優れたる部分』。技術の及ばぬ圧倒的な力よ)


 向けられただけで死を避けられないものというのは、ある。

 人は天災には勝てない。天災そのもののエネルギーを、引き起こされる現象を、身一つでどうにかすることはできない。

 できるのは事後の対応のみ。天災を前にはこうべを垂れ、平伏し、ただただ過ぎ去っていただくのを待つしかない。それでも運が悪ければ死ぬ。死ぬしかない。


 その天災が己を狙って放たれたのであれば、もはや平伏することもできず、死ぬしかない。


(だが)


 ……だが。


『死』を前に引き伸ばされた時間。加速する意識。ゆったりと迫り来る『致命の一撃』を前に、千尋の肉体は胸を張り、両腕を上げ、剣を掲げ、むしろ天災に『己はここにいる』と示すかのように胸をそびやかす。


(今ならば、自ずから名乗ろう。天災にも等しきモノ。確実に迫る死。俺はそいつを覆す者。天の課す死に、剣一つで挑む大馬鹿にして、それを斬り払う者。すなわち──)


「──酩酊せよ天女。この俺こそが、『剣神』である!」


 振り上げた剣を、振り下ろす。


 その動き、ただただ剣を真っ直ぐ、唐竹割に振り下ろしながら踏み込むというだけのもの。

 しかし、すべてが詰まっていた。


 かつての世界で修めたモノすべて。


 ……この世界で積み上げたモノ、すべて。


 弱い肉。弱い存在。弱い生物である『男』として、つはものどもと斬り結び続けた人生のすべて。


 だからこそ、たった今出来上がったこの技、こう称する。


 細女断うずめだち


 十子とおこ岩斬いわきりの刀を持った者は、その刀により成される技を刀の銘とした。

 この技は順序が逆。


 刀に込められた願いを体現する、この刀が千尋に放たせた技であった。


 ただ一歩の踏み込みが、五歩もあった距離を詰める。

 千尋は光の壁を真正面から通り抜けた。


 刃が下ろされる。

 サルタの肩口に刃が触れる。


 その瞬間をサルタは知覚していた。


(ここからでも、まだ、わたくしは動ける)


 相手の速度は異常だった。静止状態から急激に最高速度になり、光の壁を通り抜けられた。


 サルタの光の『弱点』を看破されたのだろう。

 この『光』は、命中後、少しの時間がないと、相手を完全に破壊するまでに至らない。

 その『少しの時間』は、ミヤビさえも回避困難なほど短い時間である、が……

 勢い込んで放たれた光の壁に、全速力で突っ込んだならば、相対速度はミヤビの全速にも達する。


 必要なのは度胸と、『遅い男』が『攻撃が放たれたあと』に『一気に最高速度まで体を加速させる技法』であった。

 千尋は技術において速度を出した。

 すさまじい速度だ。


 だが、それでも、天女の血筋たる自分は、ここからでも、千尋の速度を凌駕する加速ができる。

 肩口に刃が触れたあとから動いて、避けることができる。


(……動ける、はずなのに)


 肩口に刃が食い込む。

 桜色の刃が服を裂き、皮を抜けて、肉に食い込み、骨に入って行く。


(動ける、はずなのに)


 サルタの視線の先には、千尋がいた。


 黒髪の美男子。まだ幼さを残す少年。

 はしたなく上半身をさらし、手傷と昂揚で肌を上気させた姿。


 その動き、機能的にあまりにも美しく無駄がない。


 だというのに、同時に、


(…………目が離せない)


 あまりにも美しく冴えわたる身体操作は、武的であるのに、的でもあった。

 有用なだけではなく、美しかった。

 美しすぎて──


(わたくしが、お兄様以外の男に、こんな、こんなに、)


 ──魅了される。


 一心な愛をこそ誇ったサルタ。

 すべては天上の兄の妻となるべくして、己の理不尽な運命を否定すべく努力をした。その一途さこそをよりどころにし、それ以外などどうでもいいと見下していた少女は……


「……どうして、そんなに綺麗なの」


 最後に、別な男に心を動かされ、絶命した。

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