その時サルタが怒りのままに斬りかかったのは『当然』のことだった。
相手は男だ。
そもそもこの世界の絶対的な真理として、『男は女には絶対に勝てない』というものがある。
特に天女の血筋であるサルタが
(……いえ。冷静になりましょう)
──と、勢い込んで斬りかかったところで、サルタは冷静さを取り戻す。
この男は、アワサクの首を刺し貫いていた。
それ以前にも、自分の子飼いの兵たちを斬り捨てていた。
(あの刀)
サルタが見つめる先は、
その銘が
実際、サルタが西洋剣を振り下ろすより前に、千尋は動き出していた。
サルタが振ろうとする軌道に合わせるように、大上段から振り下ろす剣の
(未来予知でもしている? 気色が悪い。……そう、こいつは『強者』ではない。『巧者』。油断をすべきではない)
動き出した勢いを途中で変えられはしない。
だが、相手が『巧者』であり、相手の刀が『女を斬ることができる』という前提であれば、振ったあとの動きを変えることはできる。
大上段からの振り下ろしは怒りに任せてしまったもの。
だが刃を逸らされたあとは深追いはせず、いったん跳び退く。
距離を空けて、
「天女の裁きを受けなさい」
瞳から、『振動』の神力を放つ。
不可視の衝撃──というわけでもない。放たれた力が光り輝く。だからこそ天女の血筋の力は『光』と称される。
だが『視線を向けるだけ』『一瞬、力むだけ』というほんのわずかな予備動作から放たれた矢より速い攻撃を、千尋は横へ跳んでかわす。
男の速度だ。放たれる前に避けられていた。避けたあとの場所に放たされた。
(何をするかを読まれている)
どうあがいても女より遅い『男』という生き物が、女と『斬り合い』に持ち込む。
これは未来予測が不可欠だ。……とはいえ神力のない男にそのような異能はないはず。とくればあの男は、察しがいい。異常なまでに。
(油断をするな。慢心をするな。わたくしは、ここまで来た。あと一歩で、ミヤビを殺し、お兄様のお嫁さんになれる場所にいる。こんなところで、お兄様でもない男に道を阻まれるわけにはいかない)
サルタは怒りの果ての冷静さでもって、千尋を──『男』を殺すために意識を研ぎ澄ませ、策略を練っていく。
強い女が、油断をせず、殺すという目的のために、冷徹に考える。
(こいつの動きは見た。アワサクを刺し貫いた不可思議な剣。女を斬ることができる刃に、後ろに目があるかのような動き。正確すぎる動きの予測。……『女を殺す剣を持った、未来が見える者』が相手だと思うべき)
それは伝説に残る『始まりの男性』の特徴と合致していた。
始まりの時代より、男性というのは弱かった。神力がなかった。
だが、始まりの男性の活躍には、冗談や比喩だと思われている話ではあるが、『天女を斬った』というものもある。
そもそも天女と愛し合って
しかし目の前に『そう』としか思えない男がいる。
だからサルタは、笑う。
(なんという理不尽。初代様の意思を感じる。『何がなんでも、お前を成功させない』という意思。わたくしに悲運を課した、天に
運命に勝利すること、すなわち、お兄様のお嫁さんになること。
狂い果てたサルタの思考はそうつながり、戦いの最中のサルタは恋する乙女の顔になる。
真っ白い少女が優しく微笑み、白い頬を朱色に染める。
(お兄様)
サルタはこうして、限界以上を引き出す
白みの強い瞳、その
空間一杯に広がるように、『光』が放たれた。
逃げ場などない。
未来を見る者を殺すための最適解。
どうしようもないほどの飽和攻撃。
対する千尋は、『壁』と言えるほどの広さ・密度で迫りくる『何やらやばそうな光』を目前にして……
笑っている。
(格上の相手を『壁』と表現することはあるが──いやはや。これこそまさしく、こちらの命を押しつぶさんとする、『死の壁』よ!)
昂揚が剣に伝わる。
細女断がほのかに輝きを帯びる。
(俺をこの
死の関を目前に、それを踏み越えんとする千尋がとった行動は、『刀を直上に掲げる』というものだった。
それは、剣を天上の存在に見せつけるかのような構え。
(迫り来るは避けようなき『死』。男の身では踏み越えることのできぬ、この世界における『優れたる者』の『優れたる部分』。技術の及ばぬ圧倒的な力よ)
向けられただけで死を避けられないものというのは、ある。
人は天災には勝てない。天災そのもののエネルギーを、引き起こされる現象を、身一つでどうにかすることはできない。
できるのは事後の対応のみ。天災を前には
その天災が己を狙って放たれたのであれば、もはや平伏することもできず、死ぬしかない。
(だが)
……だが。
『死』を前に引き伸ばされた時間。加速する意識。ゆったりと迫り来る『致命の一撃』を前に、千尋の肉体は胸を張り、両腕を上げ、剣を掲げ、むしろ天災に『己はここにいる』と示すかのように胸をそびやかす。
(今ならば、自ずから名乗ろう。天災にも等しきモノ。確実に迫る死。俺はそいつを覆す者。天の課す死に、剣一つで挑む大馬鹿にして、それを斬り払う者。すなわち──)
「──酩酊せよ天女。この俺こそが、『剣神』である!」
振り上げた剣を、振り下ろす。
その動き、ただただ剣を真っ直ぐ、唐竹割に振り下ろしながら踏み込むというだけのもの。
しかし、すべてが詰まっていた。
かつての世界で修めたモノすべて。
……この世界で積み上げたモノ、すべて。
弱い肉。弱い存在。弱い生物である『男』として、
だからこそ、たった今出来上がったこの技、こう称する。
この技は順序が逆。
刀に込められた願いを体現する、この刀が千尋に放たせた技であった。
ただ一歩の踏み込みが、五歩もあった距離を詰める。
千尋は光の壁を真正面から通り抜けた。
刃が下ろされる。
サルタの肩口に刃が触れる。
その瞬間をサルタは知覚していた。
(ここからでも、まだ、わたくしは動ける)
相手の速度は異常だった。静止状態から急激に最高速度になり、光の壁を通り抜けられた。
サルタの光の『弱点』を看破されたのだろう。
この『光』は、命中後、少しの時間がないと、相手を完全に破壊するまでに至らない。
その『少しの時間』は、ミヤビさえも回避困難なほど短い時間である、が……
勢い込んで放たれた光の壁に、全速力で突っ込んだならば、相対速度はミヤビの全速にも達する。
必要なのは度胸と、『遅い男』が『攻撃が放たれたあと』に『一気に最高速度まで体を加速させる技法』であった。
千尋は技術において速度を出した。
すさまじい速度だ。
だが、それでも、天女の血筋たる自分は、ここからでも、千尋の速度を凌駕する加速ができる。
肩口に刃が触れたあとから動いて、避けることができる。
(……動ける、はずなのに)
肩口に刃が食い込む。
桜色の刃が服を裂き、皮を抜けて、肉に食い込み、骨に入って行く。
(動ける、はずなのに)
サルタの視線の先には、千尋がいた。
黒髪の美男子。まだ幼さを残す少年。
はしたなく上半身をさらし、手傷と昂揚で肌を上気させた姿。
その動き、機能的にあまりにも美しく無駄がない。
だというのに、同時に、
(…………目が離せない)
あまりにも美しく冴えわたる身体操作は、武的であるのに、
有用なだけではなく、美しかった。
美しすぎて──
(わたくしが、お兄様以外の男に、こんな、こんなに、)
──魅了される。
一心な愛をこそ誇ったサルタ。
すべては天上の兄の妻となるべくして、己の理不尽な運命を否定すべく努力をした。その一途さこそをよりどころにし、それ以外などどうでもいいと見下していた少女は……
「……どうして、そんなに綺麗なの」
最後に、別な男に心を動かされ、絶命した。