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第217話 名

 千尋ちひろらが『医療』の組合に向かう、その時──


 天野あまの十子とおこは、キトゥンとともに、温泉宿前に戻っていた。


 千尋と乖離かいりはやはり何かを話しながら、どこかへ行く。

 人斬りどもなら自分たちの気配に気付いているだろう──という予測は、十子にとって揺るがしがたいものだった。


 記憶にあるのは『天女の塔』で、当たり前のように暗殺者の追跡に感づいていたこと。


 十子は気付かなかった。だが、千尋も、ミヤビも気付いていた。

 その察知能力を『人斬り不思議パワー』とまとめてしまってはいるものの、あの手の連中は『世界の解像度』みたいなものが、敏くない十子のような者とは違うのだろう。解像度が高いから違和感に気付く。

 その『解像度の高い連中』が、自分とキトゥンという未熟者の気配に気付いていないとは、やはり思えない。だからきっと、意図のある無視なのだろうと思うのだ。……あとちょっとだけ、『あいつらやっぱり、こっちのこと忘れてんじゃねぇだろうな』という疑いも残っているけれど。


 そういうわけで、千尋らが自分たちを無視する理由を、十子は考えてみた。

 そして、気付いた。


「まず、前提として、なんで千尋と乖離があの宿で借金を負わされるままになってんのか、そこがわからねぇから、考えのとっかかりがねぇんだ」


 葉の広い独特の木の陰で、十子はキトゥンに語る。


 キトゥンは、


「気付かれてて無視されてるって思うんなら、別に隠れてチヒロたちを見送る必要もないんじゃないの?」

「バッカ、お前、そこはなんていうか、あからさまに見えてる状況で無視されるよりずっといいだろ……」

「…………そうね」


 この二人はともに精神が虚弱だった。


 キトゥンは「えーっと」と直前まで何を話していたかを苦労して思い出すような声を立て、


「で、どうするのよ? やっぱりチヒロたちに直接聞くの?」

「いや。やっぱな、グダグダとわかんねぇ問題を考えるのは性に合わねぇ。だから──温泉宿の支配人に直接聞く」

「……変なところで思い切りがいいのよね」

「このまま外で情報を集めるのもいいかと思ったが、情報収集一つとっても、どう考えても千尋と乖離のが上手いだろ」

「それは本当にそうね……」

「もう全部あいつら二人でいいじゃねぇか。だっていうのに、あいつらはあからさまに、こっちと別行動を良しとしてる。……あいつらと別行動して、あたしらに何が出来るってんだ?」

「ちょっと、そろそろ悲しくなる事実陳列はやめなさいよ……あ、アタシだってね、頑張ってはいるのよ。トーコも頑張ってるじゃない。そこは、その、ねぇ?」

「だからな、期待されてるのは能力じゃねぇ」

「……『そもそも期待されてない』っていう可能性は?」

「お前、人の心がないのか?」


 互いに互いの精神を抉るような会話だった。


 そう、十子には情報収集だの、隠密侵入だの、もちろん大立ち回りだの、そういう才能も実力もないのだ。

 高い神力しんりきの量から実は腕っぷしの方はそこそこではある。だが、あの人斬りどもには比べるべくもない。


 十子に出来るのはあくまでも鍛冶であり、それに関連した鋼の見立てなどだ。

 そしてその能力はどうにも、この領地では役に立ちそうもない。


 で、あるならば期待されているのは──


「とにかく、あいつらのやらなさそうなことをやれ、っていうのが、あいつらの『期待』だと思うことにする」

「で、どうすんのよ。まさか正面から突っ込むの? 普通に追い出されたでしょ?」

「いや、普通に正面から突っ込むぞ」

「追い出されたって言ってるでしょ!? 忘れたの!?」

「お前こそ忘れんなよ。隠密して侵入するとか、情報を持って相手をつり出すとか、そういうのはあいつらのがうまいんだよ。あたしらに出来るか? そんなこと」

「それはっ! ……で、出来ないけど! でも戦いだってチヒロたちのが強いでしょ!?」

「だから戦いにならないようにすんだよ」

「追い出された場所に正面から突っ込んだら戦うことになるでしょ!?」

「いや。そうはならねぇよ」

「根拠は!?」

「うるせぇからだ」

「『うるせぇ』!?」

「いやだからさ、結構な声で騒いでるじゃねぇか、主にお前が」

「それが何よ!?」

「乱暴に追い散らすつもりなら、さっきからそこでチラチラ見てる連中がとっくにやってると思うんだよな。だから、こっちが乱暴な手段に出ない分には、そこまで手荒なことをするつもりはねぇんじゃねぇかなと思ってな」


 その十子の理論展開は、キトゥンを一瞬黙らされるぐらいには『確かに』と思わされるものであったらしい。


 だが、キトゥンは考えて、疑問を口にする。


「……トーコの言うことが本当で、正面から行っても戦いにはならないとしても……それと『入れてもらえるか』は別問題じゃない?」

「……」

「いきなり行って『何考えてこんな面倒なことしてんだ』って詰め寄ったとしたって、あの時教えてくれなかったことを、今行って教えてもらうっていうのは出来るのかしら? ……あの時と『何かが違う』ことをアピールしないと、話なんかしてくれないと思うわよ」

「…………」

「どうしたのトーコ?」

「いや、お前が物を考えて話すからびっくりした」

「ちょっと! どういうこと!?」

「どういうことっていうか、自己紹介で『考え無しに飛び出して後悔してる』ってさんざん言われたから……」

「…………それはまあそうかもしれないけど! ああ、アタシだってねぇ! 成長するんだから!」

「でさあ」

「何かアタシの成長に対するリアクションはないの!?」

「いやすごいよ。……で、だよ。結局さ、あの宿屋の支配人、なんだと思う?」

「何って、それを確かめに行くんでしょ!? っていうか! 何もかもわかんないから直接聞こうっていう、情けない話をしてたじゃない!」

「それだよ。あの時、まあ、あたしはいろいろ抵抗したからいいとして、なんでお前まで追い出された?」

「……」

「わかんねぇが、わかんねぇなりに、いろいろな情報はある気がするんだ。……お前を追い出す……手元から離すことで、あいつは何をしようとした?」

「『見た目で選んだ』っていう説は?」

「それはそれで普通にありそうだが、それはいったん、ナシとしよう」

「……アタシの正体を知ってたとか?」

「なるほど、それで行くか」

「どういうこと?」

「お前、『セプトラだけど話がしたい』って名乗れ。それで入れるかもしれねぇ」

「アタシはそんな名前じゃないわよ!」

「いやそんな名前だろうが」

「そうだけど!」

「っていうかな、現状、こっちが切れるカードがそんぐらいしかねぇんだわ。だからもう行こうぜ。それできょとんとされたらまた別な手段を考えよう。とにかく……会って話をしないことにゃあ、何も始まらん。ずっとなんにもわかんないまま、千尋と乖離のケツを付け回すしか出来ねぇ。どっかで思い切らなきゃならん」

「……でも、セプトラですって名乗っては言ったら……王様になると思われない?」

「そういう話は乖離としろよ。あたしは知らん。っていうかサラマンダー領では結局、ジニと一緒に行ったんだから、もう遅かれ早かれだろ。お前の母親……育ての母親とかは、とっくに動き始めてんじゃねぇの?」

「…………やっぱそうよね」

「だからもう、行け。行っちまえ。面倒くせえなあグダグダと」

「他人事だからって!」

「キトゥン」

「何よ!?」


 怒鳴るキトゥンに、十子が返す視線は、真剣で、冷静だった。

 勢いこんでいたキトゥンが思わず息を詰まらせ、背筋を伸ばすぐらいに、橙色の瞳がまっすぐにキトゥンを見ている。


「いいか、キトゥン。この領地での話、聞いたろ? ……明らかに、『旗振り役』がいねぇから、こうもグダついてる」

「……そうみたいね」

「この領地にゃ、ジニがいねえし、サラマンダー公もいねぇんだ。強烈に周囲を引っ張って、行動指針を示すような奴が、公爵含めても誰もいねぇ。だから、グダグダしてる」

「……」

「この状況だから、お前が名前を出すだけで何かが動く」

「動かしてどうすんのよ」

「あたしが知るかよ」

「無責任すぎない!?」

「そいつはこの領地の連中に言ってやれ。……見てらんねぇんだよなぁ、ここの連中。当事者のくせにだーれも、何も決断しようとしねぇ。公爵さえだんまりなんだろ? イラつくんだよ、ここの連中」

「……」

「あたしはお前が王様になろうがどうしようが、どうでもいい。っていうか今からでもシルフィアに帰って仕事場に戻られてもなんも困らん。案内も出来てねぇしな」

「そ、それはそのー……アタシも頑張ってると言うか……」

「でも、もしもお前がちょっとでも王様になろうって覚悟があるんなら、今、決めろ」

「……今?」

「千尋も乖離も、『お前の決断を見守ろう。決断するまで待つ……』みたいな態度だがな、あたしはイラついてんだよ。決めるならさっさとしやがれ。王様になりたくねぇならもう帰れ。たぶんお前の育ての母親とかが保護してくれんだろ」

「それはもう王様になるルートじゃない?」

「だろうな」

「じゃあ王様になるしかないじゃない!?」

「なるしかないなら自分てめぇで覚悟して始めろっつってんだよ」

「……」

「グダついてんのはこの領地全体だけじゃねぇ。てめぇもだ。いつまでもうじうじしてんな。昔のあたしを見てるみたいでムカつくわ。いつまでも踏ん切りつけねぇで、言い訳ばっか重ねて、ゴミみてぇな毎日を送ってよぉ。見てらんねぇぜ」

「……」

「旅立てよキトゥン。引きこもってる数年より、旅して過ごす数か月のが、人生にゃよっぽど有益だぜ」


 十子の目には怒りさえ宿っていた。

 それはキトゥンに対するイラつきもあるのだろう。だが、怒りを注がれている主なものは、十子自身であるように、キトゥンには感じられた。


「……どうしたらいいか、わかんない。うまくやれるか、わかんない」

「そうかよ。人生って大概そうだぜ」

「王様にはなりたいと思わないの。……でも、でもね、友との約束を守らないのは──どうかと、自分でも思ってる」


 公爵になった友に、王になれと言われている。

 もともとは逆だった。『お前が王になるんなら、公爵になってやってもいい』──だが、ジニは先に公爵になってしまった。


 王様になんかなりたくない。というか、意味がわからない。そんな責任、耐えきれない。

 でも、友との約束を破る自分にも、耐えられない。


「……セプトラだって名乗るわ。それで、何が動くか、動かないかはわからないけど……やってみる価値は、あるわよね」

「そうだな。いや、悪い。知らん」

「ちょっと!?」

「未来なんざわかるかよ。だから保証なんか出来ねぇ。けどな、挑戦するんならついてくぜ。んで、ダメだったら一緒に逃げてやる」

「……」

「他人事だからな。このぐらいが限度だろ。で、行くのか?」


 十子がまっすぐに見つめて来る。

 キトゥンは、乖離の性格と同じぐらい、十子の視線が苦手だった。

 この橙色の髪の女は、奥底までのぞき込むような目をしているのだ。それは商品を検分する商人とか……


 ……いや、そうではなくて。

 鋼の質を見る鍛冶師そのものだった。


 だからキトゥンは、息をいっぱいに吸い込んで、言葉が及び腰にならないように、はらに力を込めて、言葉を発する。


「行く」

「そうか。行くぞ」


 十子はあっさりとしていたが、キトゥンはなんらかの戦いに勝ったような感触を覚えていた。


 鍛冶師の目は、キトゥンの言葉の質を『良』とした。

 それは、まだ王を志す度胸を持てない少女にとって、一つの勝利に他ならない。


 かくして初めて、キトゥンは自らの意思で『セプトラ』と名乗ることにする。

 その結果は──

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