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第9話 蒼穹と回想 


◆ <アンリエッタSide ~一人称視点> 


 レイと〝契り〟の契約を交わした日から数日が経った。


 まるで、あの日の出来事が嘘のように、あれからレイとは何事もなく過ごしている。変に意識してしまうと恥ずかしくて何も手につかなくなってしまうので、なるべく平静を装っているのもあるんだけど。


 あ、何が起きたのかはご想像にお任せします。


 明日からは魔力を扱う訓練が始まるという事で、レイが公務中の自由時間、わたしはお城の中を一人お散歩していた。魔国の暴君という通り名が嘘のように彼……レイは優しかった。触れ合う指先、彼がわたしを優しく包んでくれた温もり。思い出しただけで頬が夕焼け色に染まっていく。


「平常心……平常心よ、アンリエッタ」


 そもそもわたしは追放された身でありながら、こんな幸せを感じるような経験をしてしまっていいのだろうか? わたしが穏やかな時間を過ごしている今も、お姉さまは〝加護〟力でグリモワール王国の大気が汚染された箇所を〝浄化〟し、闘いで傷ついた者を〝治癒〟しているんだ。


「空は……まだ曇っているわ」


 魔国の空は、全体を薄雲で覆われており、地上まで陽光が届かない。先日わたしが〝浄化〟した池のように、闇の魔力が大気へ侵食する事で、天上からの光もどこまでも美しい蒼穹も存在する事が出来ていないのだ。


「王国の空とは大違いね」


 時々大気汚染の箇所が出現するとは言え、グリモワール王国の空はどこまでも高くあおかった。魔国の闇を〝浄化〟することで、此処カオスローディアでも、あの頃・・・と変わらない青い空を見上げる事が出来るようになるんだろうか?


『ほら、空はこんなに青いんだもの。お姉さまを護る理由なんて、それだけで充分でしょう?』 


 ふと、ある言葉を思い出す。

 それは幼い頃、わたしがお姉さまへ伝えた言葉だった――


 わたしとお姉さまは、グリモワール王国の遥か北、創世の女神ミネルバ様の加護が宿ると言われるセイントミネルヴァ山の麓にある小さな村で育った。教会のシスターである母とお姉さま、わたしの三人暮らし。


〝浄化〟の光をたっぷり浴びた聖なる川を優雅に泳ぐお魚を釣って、〝豊穣〟の力によって潤った大地に実る作物を戴く。羊や山羊のお世話をしながら、お姉さまと野山を駆け回り、花冠を作って遊び、教会に来る村の優しい人とお話して、お母さまの料理をいただく。これが、わたしにとっての日常だった。


 だけど、そんな幸せな日常はある日突然わたし達の前から消滅したんだ――


 この時のわたしは当時六歳、お姉さまは八歳。まだ王国や世界の仕組みなんて知る由もなかった。


 あの日の昼食は、教会の裏で採れたお野菜の旨味がいっぱい入ったお母さまのホワイトシチュー。お姉さまが今も作ってくれるその味は、わたし達姉妹の思い出の味。こうして野菜の甘味を堪能していた時だった。


 刹那、轟音と共に食卓の窓硝子が割れ、飛散する。何が起きたのか分からないまま、わたし達は食卓の奥まで吹き飛ばされてしまう。


「アン……リエッタ……大丈夫?」

「お姉さま!? どうして!」


 わたしが気づいた時には既に、お姉さまが覆い被さるようにしてわたしを抱き締めてくれていた。木片がお姉さまの背中に突き刺さっており、血が流れている。


「クレア、アンリエッタ! 大丈夫よ。じっとしていて。すぐに治療しますから!」


 窓の傍で両手を広げていたお母さま。両の掌は淡い光を放っていた。もしかしたら、あの瞬間にわたし達を守ろうとしてくれたのかもしれない。外から聞こえる轟音と震動が、村の異常事態を告げている。続けて開け放たれた扉から何者かが部屋へと入室して来る。


「レイシア! 王都と村。君の創った二つ結界が破られた。今すぐ来て欲しい」

「ついにこの日が来ましたか。分かりました。すぐに向かいます」


 剣と甲冑を身に着けた人達と村の人。お母さまが大人の人達と何やら二、三、会話をしていた。彼等に待ってもらうよう伝えたお母さまはお姉さまの背中へ掌を当て、祈りながら背中へ突き刺さった木片をゆっくり引き抜いていく。お姉さまの傷がみるみる内に塞がっていき、淡い光の温もりがわたしにも伝わって来ていた。


「クレア、アンリエッタ。私の魔法で教会に結界を張っておきます。お外が静かになるまで、礼拝堂の地下へ避難していて。クレア、妹をお願いね」

「わかりましたわ、お母さま」

「アンリエッタ。クレアにはお話していたんだけど、ママね。グリモワール王国の聖女なの。だから、困っている人たちを助けにいかないといけない。それが聖女の使命であり、運命だから。アンリエッタにはまだ難しいお話かもだけど、用事が済んだらママすぐに戻って来るから。お姉ちゃんと此処で待っていてね」

「うん。わたし、だいじょうぶ。行ってらっしゃい、お母さま」

「いい子ね、アンリエッタ。行って来るわ」


 この日、強く抱き締められたお母さまの温もりをわたしは今でも覚えている――


 それから数日後、瓦礫の中から地下室への階段を発見し、現王国の神殿長であるルワージュ様がわたし達を見つけてくれた。


 ねぇ、知ってる? 失われた魂は煙になって天上へと昇って、お星様になるんだって――


 ふと、そんなお伽話の逸話を思い出した。


 戦争という言葉はこの時初めて知った。教会も村の見張り台も、建物も、何もかもが跡形もなく崩れ落ち、瓦礫から僅かに上がる煙が天上へ昇っているのが見えた。


 お母さまは最期まで人々の命を救おうと自ら戦場に立ち、そこで命を落としたのだという。優しかった村の人々も、お母さまも誰も居ない。


 わたしの瞳から流れ落ちる雫は三日経った頃には枯れ果てて、残ったのはずっと隣でわたしの手を握ってくれていたお姉さまの手の温もりだけ。


「大丈夫よ、クレア。わたくしはいつまでもあなたと一緒だから」

「お姉さま……ありがとう」


 いつまでも下を向いていては駄目だ。そうやって上を向いた時、この日見上げた青空がとても澄んでいてどこまでも真っ直ぐで。わたしは生きなきゃって思ったんだ。


「決めた。じゃあ今度はわたしがお姉さまを護るね!」

「ん? どうして?」 

「だって。ほら、空はこんなに青いんだもの。お姉さまを護る理由なんて、それだけで充分でしょう?」 



 その後、グリモワール王国の神殿に引き取られたわたし達はこうして聖女としての教育を受け、お姉さまはお母さまの意思を継ぎ聖女となり、わたしはその妹としてグリモワール王国で新たな生活を始めたのだ。


 あの戦争・・からもう十年の月日が流れていた。

王国の闇を知り、無実の罪で追放されたわたしは、魔国の王子レイス・グロウ・カオスロードと〝契り〟の契約を交わし、今こうしてこの地に立っている。


 眼前の中庭には枯れた薔薇のアーチと空の噴水。紅紫色の蔦が絡む石像。荒廃した中庭へ指先を向け、〝浄化〟の光を注ぐ。わたしの光を浴びた枯草が若草色を取り戻していく。


「そうだ。あの池と同じようにこのお庭を〝浄化〟して、お花を咲かせよう。眼前の問題から逃げていちゃ、お姉さまを救うなんて到底無理な話だもの」


 今のわたしに何処まで出来るのかは分からない。

 青い空を取り戻すため。お姉さまを救うため、少しずつ、進んでいこう。





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