翌日、いよいよ今日から魔女としての訓練開始の日。
いつものように朝食会場はわたしとレイの二人。アーレスはレイの背後に、侍女のナタリーさんは会場の入口付近に待機している。
ふわふわ卵をペースト状にしたものをパンの間に塗って食べる。王国では馴染みのない食べ方だったけれど、とっても美味しい。斜め前を見ると、口元を拭いているレイ。
あの日以来、一緒に眠る事もなく、平穏な日常を過ごしているわたし。それはそうよね。あくまで〝契り〟の契約とは言え、契約結婚だもの。きっとレイもわたしを利用しているだけ。だって、あの日の夜は……。
彼の口腔の柔らかい感触。それを思い出すだけで、胸の鼓動が朝から早鐘を打ち始める。レイ、肌綺麗だな。細くて凛々しい
「どうした? 俺の顔に何かついているか?」
「い、いえ、何でもありません」
ま、眩しい!? レイの眼差し攻撃から慌てて視線を逸らし、眼前のパンを一気に頬張るわたし。
「ん? お腹が空いているのなら、お替わりを持って来させるが?」
「いへいへ……おはまいなくですわ」
「そうか」
そうよ、あの日の出来事はきっと幻だったんだわ。そういう事にしておこう。
「アンリエッタ、今日からは訓練だ。俺は公務がある故、魔法の訓練はアーレスに一任している」
レイの横に控えていた執事、アーレスが恭しく一礼する。
アーレスはレイの専属執事であり、魔国幹部の一員。有事の際は魔国の兵士達の指揮を執る、参謀的な役割も果たしているみたい。
「アーレス、よろしくお願いします」
「ええ、アンリエッタ様。お食事の後、小生と訓練場へ参りましょう」
これからやるべきことはいっぱいあるもの。今は気持ちを切り替えて、訓練に集中しようと思う。
◆
広いお城の敷地内には幾つかの訓練場があった。剣術の訓練場と魔法の訓練場に演習場。今回アーレスとわたしが訪れたのは魔法の訓練場だ。訓練場周囲には結界が張られており、外部に影響が出ないよう施されていた。
この世界には四大精霊と呼ばれる大気を司る精霊が存在している。とはいえ、わたしも精霊をこの眼で見たという訳ではない。四大精霊の名はそれぞれ、水精霊マーキュリー、火精霊マーズ、土精霊アース、風精霊シルフィーユ。
大気には
女神の加護による聖魔法と、悪魔の契約による闇魔法は、選ばれた人間のみしか使えないが、魔力を持つ者は基本、魔法の仕組みさえ理解すれば、下級魔法程度なら扱う事が出来るのだ。こうした精霊の力を介した魔法を総称して、精霊魔法とも呼んでいる。
「アンリエッタ様。精霊魔法は使えますか?」
「はい。やってみます」
予め用意された魔法を当てる的へ右の掌を向ける。目を閉じ、周囲の精氣に集中する。
「火精霊マーズよ、我に力を与え給え。〝
わたしの掌から放たれた火球は見事に的へ命中した……のだけど、あれ? アーレスの目つきが何だか鋭い。
「勿体ないですね」
「え?」
「アンリエッタ様……失礼ですが、魔力を使いすぎです」
「え?」
そんな事、初めて言われた。そもそも
「一国の賢者ほどの御力を持つあなたが下級魔法とは。しかもマーズの名を持つあなたは火魔法と相性がいい筈。あなたなら、これくらい使える筈です」
そう言ったアーレスはわたしと同じように掌を的へ向ける。
刹那、周囲の空気が熱くなったかと思うと、わたしの創ったものより何倍もの大きさの火球がアーレスの掌から放たれ、用意された的は一瞬にして吹き飛び、塵となって消滅した。
「嘘……でしょう?」
「アンリエッタ様。戦場ではこの程度序の口です。〝加護〟の力を使うとき、あなたは祈る事で女神さまと対話している筈だ。もっと精霊の言葉へ耳を傾け、精氣を取り込むのです。さすれば、先程の十分の一の魔力量で今の火球くらい放てるようになりますよ」
「分かったわ。やってみる」
アーレスは精霊との対話をするための魔法の詠唱すら破棄してやってのけた。女神さまへの祈りと同じ。そうか、
「火精霊マーズよ、我に力を与え給え。〝
わたしの掌から放たれた火球が先程吹き飛ばされたものの隣にあった的を一瞬にして吹き飛ばす。アーレスの火球よりは小さかったものの、先程わたしが放ったものよりも大きな火球が放てるようになった。
「まぁ、及第点ですね」
もうちょっと褒めてくれてもいいのにとは思ったが仕方ない。このあと水魔法、土魔法、風魔法と順に扱ってみたが、やはり火魔法が一番わたしと相性がいいようだった。
「では、アンリエッタ様。次は応用といきましょう」
そう言うと、アーレスは訓練場を移動し、何やら詠唱を始める。そして、地面へ両手をついた瞬間、前方の土が盛り上がっていき、見上げる程の巨大な土の人形が現れた。
「この
「え、ちょっと待っ……」
言い終わる前に巨大なゴーレムの腕が動いていた。わたしは逃げるようにしてその場を離れる。わたしが居た場所の土は抉れ、穴が開いている。待って! いきなりこれは無理なんですけど!
逃げながら火魔法を放ってみるも、ゴーレムの顔に当たった火球は弾けるのみで、土人形は動じる事なくわたしへ向かって腕を振り下ろす。そもそも土人形は水に弱く、火に強い。試しに水魔法に切り替えてみる。駄目だ、威力が足りない。
「アンリエッタ様、もっとゴーレムを倒すイメージをして下さい」
「イメージって言っても、どうやって!」
「あなたなら出来る筈です」
「そんな無茶な」
すんでのところで攻撃を
ゴーレムが重たい右脚をあげ、わたしを踏みつぶそうとする。持ち上がった脚が大地へ触れる度に起きる震動。上級の水魔法はまだ使えない。悪魔や魔物相手じゃないから〝浄化〟も意味がない。せめて横にでも倒れてくれたら……あ、そうか。
火を燃やすイメージじゃなくて、集めた精氣を一点に集中するイメージ。わたしが立ち止まった瞬間を狙ったゴーレムの右脚がわたしの頭上へと迫る。頭上の脚目掛け、わたしは火魔法を放つ。
「爆ぜなさい――〝
刹那、ゴーレムの右脚が爆ぜ、爆風と共に見上げる程の巨躯は宙を舞う。大地が震動すると共に、右脚を失ったゴーレムは横たわり、右脚を失った土人形が身を起こそうと足掻く。わたしは足掻くゴーレムの体躯へと飛び乗り、顔目掛けてもう一発。
「――〝
ゴーレムの顔が吹き飛び、土人形はただの土塊へと変化する。やがて、背後から聞こえる拍手に振り返ると、そこには赤い髪を靡かせた人物が立っており……。
「見事だ、アンリエッタ」
「え? レイ」