お姉さまが遠征で留守という、諮ったかのようなタイミングで夜な夜な行われていたグリモワール王国第一王子エルフィンと神殿付侍女の情事。わたし達のお世話をしていた侍女がエルフィン王子の上に跨ぎ、身体を揺らし、悦に浸り、踊っている。わたしは襲って来る悪寒と吐き気に思わず口元を押さえる。
「しかし、この国の聖女システムは素晴らしいな! 聖女の加護の力で国は潤う。魔法の力で兵隊も強くなる。象徴のお陰で民の信仰も深まる。あの世間知らずの聖女を僕のモノにして
「王子、他の女の話……しないで」
「お前はただ! 僕の前で腰を振っていればいいんだよ」
耳を疑った。毎日王国の地下水路に発生する毒素を帯びた汚泥。民のためと思い、わたしとお姉さまは日々〝浄化〟していたのだ。でも、わたし達はただ王国に利用されていただけ? 今までの行いは、間違いだったというの?
これ以上、見ていられない。そう思ったわたしは息を殺しつつ月灯りが照らす回廊を駆け足で抜け、自室に戻ったところでようやく大きく息を吐いた。エルフィン王子が下衆であるという証拠を集め、お姉さまへ報せなくてはならない。そう考えていたわたしだったのだが、結果、翌朝王子の部屋へと呼び出されてしまったんだ。
◆
「いやぁ、アンリエッタおはよう。今日はいい朝だね」
「お、おはようございます」
「そんな萎縮しないで。そこへ座って」
「はい」
わたしが王子の部屋にあったソファーへ座ると、テーブルを挟んで向かい合う形でエルフィンが陣取った。
「アンリエッタ。君はこの国の事、どこまで知っている?」
「え? 何の話ですか?」
てっきり昨日の事を問われると思っていたわたしは虚をつかれ、思わず聞き返してしまった。エルフィン王子は腕を組んだまま笑顔で語り始める。まるで、前日の独演会の追加公演を始めるかのように。
「僕はね、グリモワール王国の発展は、聖女の加護あっての事だと思っている。聖女の〝豊穣〟の加護で大地が潤い、作物が育つ。〝浄化〟の加護で
「はい、それは分かります」
「それは?」
「いえ、何でもありません」
お姉さまは民のため、平和のために加護の力を使っている。それは正しい事だし、必要な事だと思っている。ただ、お姉さまの力を誰かの欲を満たすために使う事は違うと思う。
「あの、どうしてわたしを此処に呼んだのですか?」
「いやね、
エルフィン王子は気づいている。わたしが昨晩、扉の隙間から覗いていた事を。なら、話は早い。
「一つ、ご質問よろしいでしょうか」
「嗚呼、構わないよ」
「エルフィン王子にとって、わたしの姉、クレア・ミネルバ・グリモワールとは何ですか?」
「何だ、そんな事か」
この時、エルフィン王子は徐に立ち上がり、窓際に飾ってあった花瓶を逆さまにした。床へ零れ落ちる水と一輪の白い花。花瓶を元ある場所へ置き、床に落ちた花を拾い上げる王子。
「水は魔力だ。無くなってもすぐに潤う。この花があの聖女だ。枯れるまで水は勝手に自動でこの花に注がれる。花は希望だ。白い百合の花言葉は純粋、無垢。あの聖女にぴったりだろう? 僕はね、この民の希望となった白い百合を、黒く染め上げたいんだよ」
机の上にあったインクの液へつけられた白い百合が黒く染まる。白百合から滴り落ちる黒いインクが置いてあった羊皮紙に斑点を作っていく。
「アンリエッタ。僕は知っているよ。君は疑似聖女なんかじゃない。清廉潔白な姉よりも君は聡明だ。僕が何をしようとしているか、分かるよね?」
「お姉さまはあなたの道具じゃない!」
「いいや、君の姉も、君も、昨日君が見た侍女も、
「今の言葉、撤回して下さい」
ソファーより立ち上がり、エルフィンへの怒りを剥き出しにするも、わたしの感情など気にする事なく王子は演説を続ける。
「まぁ、君がクレアに僕の事を言ったところで、聖女が国へ尽くすシステムは変わらない。そこらの貴族共が飼っている奴隷のように、最期まで民のために尽くして貰う事にするよ。朝は民のため、夜は僕のために身を尽くす。献身的な聖女、素晴らしいじゃないか」
「この下衆王子!」
「アンリエッタ! 何をやっているんだ!?」
「え? ソルファ……様!?」
わたしはこの後、
◆
結果、グリモワール王国の王子も貴族も全部グルだった。
王国のため、民のためと信じ、力を使っているお姉さまはまだ王国の闇を知らない。姉が遠征先から帰還する前にわたしは王国から魔国へと追放されてしまった。追放される前に姉へ真実を伝える事が出来なかった点――そこだけが悔やまれる。
「お姉さまは追放されたわたしを、信じて下さるのでしょうか?」
窓の外から見える魔国の空は、わたしの心のように曇っている。お姉さまを護るとかつて誓った時見た蒼い空を今は見る事が出来ない。
胸元に残ったネックレスをそっと握り締めるわたし。今となっては、お姉さまとの唯一の繋がりは、このお姉さまから十歳の誕生日に貰ったペリドットのネックレスだけ。投獄される直前、身ぐるみ剥がされた時に口の中へ含み、下着の中へと忍ばせていたものだ。
「アンリエッタ様、お待たせ致しました。支度部屋へとお入り下さいませ」
部屋の扉が開き、出迎えてくれたのは、カオスローディア城へ来て以来、わたしのお世話をしてくれている侍女ナタリーだった。
〝契り〟の契約――魔力を介した契約結婚とは言え、こんな追放されてしまったわたしという存在をどうしてレイス王子……レイは信じてくれるのだろう?
まだまだ脳裏に不安が過る中で支度部屋へと入ると、その不安が一瞬で吹き飛んでしまう。わたしを出迎えたものは、清廉かつ妖艶な、美しい