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第82話 聖女の涙

◆<聖女クレアside ~三人称視点~>


 魔導コロニー地下。謎の実験施設。 


 始めは拘束されたクレアを前に、暫く熱く語っていたエルフィンとラーディも、やがてフォースとクレアを残したまま、この場を後にした。

「明日、どうなっているかが楽しみだよ、クレア」とだけ、言い残して。


 そこから人口世界樹による恐ろしい攻撃が始まった。


 物理的な攻撃ではない。最初は拘束された四肢から自身の魔力を吸収され続けた。体内に宿る魔力は基本一日休めば回復する。魔力を奪われれば奪われる程、偽物の世界樹は力を増していく。


 しかし、クレアは稀代の聖女。〝浄化〟の力によって自身を覆った結界により、〝加護〟の力そのものを奪わせる事だけはさせまいと抵抗していた。仮に魔力がゼロになっても、〝加護〟の力は受け継いだ魂に宿っている。普段、クレアもアンリエッタも、魂に宿った〝加護〟の力を魔力へ変換し、発動しているのだ。


よってクレアは、偽の世界樹に魔力を奪われる直前、自身の魔力へ自然と流れていた〝加護〟の力の循環を断ち切り、〝加護〟の力を体内へ残す事に成功していた。


(女神さまの〝加護〟の力だけは奪わせません。あなた達の思い通りにはさせない)


「ああああああ、やめて、やめでぐださいーーごめんな……んぐっ……」


 閉ざされた根の向こうから声がする。四肢だけでなく、身体全体を巨大な樹の蔓と根に覆われており、姿は見えないが、フォースも同じ空間に居るようだった。自身の痛みより、クレアにとってはフォースが苦悶の叫声をあげる中、何もしてあげられない事が苦痛だった。


 魔力がゼロになり、ひたすら奪われ続けても、夜通しクレアは人口世界樹と戦った。すると世界樹の根が頭部を覆い、何やら自身の見ている景色が変わった。それは、目を閉じても頭の中に入り込んで来る映像だった。


 最初は、アンリエッタが処刑台に立たされている映像。クレアは彼女へ向かって叫ぶも、声は届かない。見ているだけで顔が歪み、感情が揺らぐ。でも、彼女は分かっている。これは偽の世界樹が見せている幻だ、と。


 続けて流れ込む映像は、エルフィンとの結婚式。クレアは幸せそうにエルフィンからの指輪を嵌め、彼と誓いの口づけを交わす。そのまま映像は薄明りの夜のベッドとなり、クレアは自ら上着を脱ぎ捨て、エルフィンと肌を重ねていた。


 映像のクレアは悦びと幸福の表情に満ちており、時折その感情が脳内へ滑り込んで来たが、クレアは嫌悪感と怒りによってその感情を上書きした。


 他にも様々な映像が流れた後、数時間何もない時間を挟んで再び魔力吸収の時間。魔力回復のインターバルを置いたんだろう。これが、何日も続くと考えると、最早、苦痛でしかなかった。


 そして、クレアが人工的に創られた世界樹の根に捕まってからおおよそ一日が経過した――



「おや、クレア。流石、まだ正気を保っているんだね」

「お生憎様。あなたの思い通りには行きませんよ、エルフィン」


 覆っていた根が開き、眼前には微笑むエルフィンの姿があった。今日ラーディもレヴィも不在のようで、この場を訪れたのはエルフィンのみのようだった。眼を丸くしたエルフィンは、どうやらクレアがあまりに平常心を保っている事に驚いたようで。


「一日経った時点でレヴィの時はもう半分堕ちていたよ」

「そうですか。そうやってエルフを実験体にし、必要な手駒を増やす気なんですね。どこまでも堕ちましたか、エルフィン」


 意識がある内に情報を引き出そうとするクレア。どうやら人口世界樹による精神操作により、記憶や意識を書き換えられ、普通の人間なら精神を破壊され、結果、王国の操り人形と化してしまうらしい。解説をし終えた王子は、クレアからの罵倒が好物だと言わんばかりに高らかに嗤う。


「ハハハ。これはあくまで国のため、正義のため、やっている事だよ。あ、ほら、あっちは終わったみたいだ」


 王子が指差した先、大樹の根が繭のように覆っていた場所が開く。そこには目を疑う光景があった。


「嘘……フォース……なの!?」


 身に着けていた魔導師の服は剥がされ、赤銅色に染まった全身が剥き出しになっている。双眸ひとみの虹彩が深紅色へと変化しており、ギョロギョロと蛇のような細く漆黒の瞳孔を動かしている彼。片腕は木の蔓へと変化し、両脚は凧のようにうねる触手のようなものへと変化していた。ゆっくりと人工世界樹より這い出たソレ・・は、王子の姿を前に恭しく一礼した。


『エルフィンサマ。ワタシハ、フォース=トレンダーとして産マレ変ワリマシタ。何ナリト、命令ヲ、オ申シツケクダサイ』


「そうか。本当なら、そこの聖女を……と言いたいところだが、クレアの純潔は僕のものだからな。隣の部屋にレヴィを控えさせている。遊んで来るといい」

『承知致しました』


 その変わり果てた姿に思わず双眸ひとみが滲むクレア。人ではない異形の姿。この世界樹ニセモノは人間の肉体すら変えてしまうのか……と。


「フォース、やめて! あなたは……そんな人じゃないでしょう?」


 首を九十度回転させたフォースはギョロギョロと瞳孔を動かした後、クレアの姿を捉え、首を傾げる。やがて、クレアの傍へと這いずりながらやって来たフォースは、聖女へ向かって一礼する。


「聖女クレアサマデシタカ……エルフィン様ノ婚約者ノ。エルフィン様ハ素晴ラシイデス。アノ方ト末永ク、オ幸セニ」

「まさか……今までの事……覚えていないの?」


 首を傾げた後、そのまま無言でその場を立ち去るフォース。クレアの双眸から流れ落ちる一粒の涙。それはコロンと地面を転がって、エルフィンの足許へと到達する。そして、その正体に気づいた王国の王子は歓喜する。


「これは……まさか! 〝聖女の涙〟か!」

「え? 聖女の……涙?」


「そうか。君は知らなかったんだね。女神の〝加護〟は、魔力へ循環させている間はそちらへと流れる。だが、体内へ留めた場合、どうなるか?」

「まさか……」


 辿り着いた事実にクレアの顔が青褪める。もっと早く気付くべきだったとクレアはほぞを嚙む。


「これは、君が今流した涙。ほら、結晶・・のように煌めいているだろう? これは〝加護〟の力の塊なんだ。そうと決まれば、君にはもっと涙を流してもらわないと。どうしようか……そうだ。確か、君には幼馴染が居たよね? 王宮図書館に配属された……名前は確か……嗚呼、ランスだったか……!」

「なっ……誰の事ですか?」

「動揺したね。ではルワージュあたりに禁書を届けて貰うついでに、ランスを連れて来て貰う事にしよう。今度は何粒涙が採取出来るか、楽しみだよ、クレア」


(ランス……逃げて……。でも、大丈夫。この下衆王子が気づく前に、わたしの作戦通り動いていてくれたなら……きっと今頃は……)


 聖女はひたすら祈る。まだ諦める時ではない、と。

 魔国へ向かったサザメ。無事であった妹アンリエッタ。独自に行動しているランス。全てのピースが揃った時、それが反撃の狼煙があがるタイミングであると。



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