「何これ……綺麗……」
天然の精氣を宿したフレイムオパールは、岩壁を橙色へ染め上げ、ところどころに散りばめられた紅宝石の天然石が紅く煌めいていた。広い洞穴の上で、火の粉が小さな精霊の使いのように飛んでいる。まるでわたし達を導いてくれているかのよう。
「橙鉱石も紅宝石もこれだけ純正な火の精氣を大量に吸収したものならば、高値で取引される代物。だからこそ、賊や欲深い貴族達に狙われぬよう、我々守り人がこの地を守って来たのです」
〝精霊の守り人〟の取り決めで、この洞窟の橙鉱石は、精霊や神を崇める祭壇でのみ使用を……そして、紅宝石は、指輪やティアラ、ネックレスなど、愛する者へ特別な時に贈る際にのみ採掘を許されていたみたい。
愛する者への贈り物……じゃあ石碑から出て来た紅宝石はお父さまがお母さまへ何か贈ろうとしていたもの……なのだろうか?
「そっか。アーレスもそれで、紅宝石をナタリーに……」
「コホン、コホン。その話は置いておいて、今は火精霊様です」
話を逸らされたけど、まぁ仕方ない。指輪の件は、今度じっくり聞く事にしよう。アーレスによると、洞窟の最奥には火精霊を祀る祭壇があり、祭壇への扉は精霊の村襲撃の日以来、閉ざされたままらしい。
「扉は以前、小生が開こうとしても固く閉ざされたままでしたが、アンリエッタ様が持っているその紅宝石で、もしかすると開くかもしれませんね」
天然の松明のように明るく照らし続ける鉱石と宝石が洞窟の奥までわたし達を導いてくれていた。魔国に近い場所にもかかわらず、妖氣も存在せず、清浄な空気で包まれている。王国のような汚泥もない。今、外で起きている事が嘘のようだ。
他の精霊を祀っているところもこんな綺麗なところなのだろうか?
奥へ進んで行くと突き当りに大きな石の扉が見えて来た。この先がどうやら祭壇みたい。
「紅宝石をどうすればいいんだろう? あっ……」
扉へ向かって紅の光が放たれ、扉を照らす光が何やら文字を象っていく。
『汝――資格を示せ。分かつ魂一つになりし刻、扉は開かれん』
紅宝石で照らすだけではだめなのか。試しに自身の魔力を少し紅宝石へ籠めてみたけど変化はなし。そもそも分かつ魂って何だろう? 火精霊様が大気中へ溢れさせた精氣を集めたらいいのだろうか?
「アーレス、このまま火魔法放ったらいいかな?」
「それでは意味はないでしょうね。」
アーレスによると、最後の扉を開ける鍵は、口伝で伝承されるらしい。アーレスの父はこの扉を封印した後、死んでしまった。でも、有事の際、火精霊の力が必要になる可能性を想定し、きっと何か残している筈だ。今、手元にあるものはこの紅宝石の原石しかない。
「ちょっとその原石、見せてもらっても?」
「ええ」
それは、アーレスへ紅宝石を渡そうと、彼の手にわたしの手が重なった瞬間の出来事だった。紅宝石の放つ光がより色濃くなり、刹那、中から強い火の魔力を感じる。これって……もしかして……。
「アーレス! このままあなたの魔力をこの原石へ注いで」
「成程、そういう事ですか」
アーレスも気づいたようだ。分かつ魂が一つなる――それは、受け継がれた火精霊様の魔力、そして、分けられた封印者の血を継ぐ者の力を一つにする事。
紅宝石の原石に集まった、わたし達兄妹の魔力が一つになった瞬間、文字を象っていた光が扉全体を包み込む。大地の震動と共に重い扉がゆっくりと開いていく。
紅宝石の原石を重ねるようにして手を握ったまま、わたしとアーレスはゆっくりと中に入る。真っ直ぐ続く一本道の奥に、祭壇が見える。周囲は朱く透明な水で浸されており、まるで、水の上に花が咲くように炎が点々と燃えている。天井はなく、夕闇色が天を覆う。でも空は無い。異世界に迷い込んだかのような場所。
石の祭壇中央には石碑があり、丁度、紅宝石の原石を嵌め込むような穴があった。
「アーレス、いくよ」
「ええ」
紅宝石がカチリと嵌った瞬間、祭壇を覆う湖が波打つ。炎が火柱となり、空間が熱を帯びていく。額から汗が滴り落ち、地に落ちる前にそのまま蒸気となって昇華される。そして、祭壇の前の水が隆起し、そのまま人の形を成していき……。わたし達の前に火精霊様が姿を現した。
燃え滾る橙色の炎が髪となって靡いている。双眸は紅宝石。橙色の長い睫毛が美しい。額には太陽石。肌の色はフラミンゴの羽根のよう。肌を露出しているところ以外を纏う炎が衣装のように波打ち、全身を覆っている。
『ほぅ……今宵の継ぐ子はまだ若いな……』
透き通る、遥か遠くまで響き渡るような凛とした不思議な声。女神様へ一番近い高次の存在を前に、わたし達は片膝をつき、首を垂れる。
「アンリエッタ・マーズ・グリモワールと申します」
「アーレシア・マーズ・エレメンタリア。父・ユノの意思を継ぎ、妹と共に馳せ参じました」
火精霊様の瞼が細められる。暫く双眸を閉じ、腕を組んだまま動かなくなった火精霊様。やがて、全てを悟ったかのように瞼を開き、ゆっくりと頷いた。
『面をあげよ。ユノの魂は……そうか、星天界へと昇ったか。あれから色々あったようだな』
アーレスが一礼する。語らずとも事象を読み取る力があるのだろう。やがて、火精霊様の視線はこちらへと向き……。
『本来ならば魔女の杖を持った其方が此処へ入る事は許されぬ。だが、其方は面白い魂の形をしておる。聖女と精霊の継ぐ手、二つの血を引く者など、過去を遡っても早々存在せぬ。其方は誇ってよい』
「あ、ありがとうございます」
『――だが』
火精霊様の声の質が変わる。重く、魂の奥底へ共鳴するような声へ。
『其方の魂は狙われておる』
「え?」
狙われている……? 何の事だろう? 一体誰に? 心当たりは無かった。大魔女の杖を握ったまま、わたしは火精霊様からの啓示を受ける。
『恩寵を得るという事、それ即ち、世界を救済にも滅亡にも導けるという事。これから降り掛かる様々な悪意を跳ね除け、其方は正しく我の力を使うと誓うか?』
「はい。勿論、誓います」
その瞬間、魂へ共鳴していた空気が消えた。火精霊様の紅宝石色の口元が初めて緩んだ。
『良かろう。火精霊の恩寵。其方へ授けよう』
刹那、火精霊様の額にあった太陽石から光が放たれ、わたしの身体を包み込む。そのままわたしの身体は宙へと浮かんでいき……光がわたしの中へ入った瞬間――
「うぐっ」
「アンリエッタ!」
脳天を鈍器で殴られたかのような衝撃を受け、思わず声が漏れた。熱い、熱い熱い熱い! 全身の血が煮え滾っている。わたしの身体が、脳髄がこのまま燃えて溶け落ちてしまうんじゃないかと思えるくらいの熱さ。だけど、不思議と痛みと苦しみはない。
やがて、わたしの全身を流れていた火精霊様の魔力が大魔女の杖へも流れていき、燃え滾る血の沸騰が収まった瞬間、光に包まれていたわたしの身体は地面へ降りた。
「大丈夫なのか? アンリエッタ」
「うん。お陰様で、なんともないみたい」
何だか、全身へ生き渡った精氣が身体に馴染んでいる気がする。今なら元気いっぱいに過ごせそう。
『これで恩寵の儀式は終わった。アンリエッタ、決して迫り来る闇・欲望に呑まれるでないぞ?』
「はい、心得ております」
王国の闇。お姉さまを救うという試練。待ち構えているものが巨大な壁となって立ちはだかっている。わたしはそれを乗り越え、必ずお姉さまを、王国も魔国も、みんなを救ってみせるんだ。