──それは、名もなき狼にとって珍しい日だった
狼は、この場所に陣取ってから既に長い年月を暮らしている。
外の喧騒に嫌気が差し、誰にも出会わないこの場所をお気に入りとしたのだ。
狼は、見た目に反して一匹の状態が好きだった。
群れでの行動など、この狼にとっては煩わしいとしか思えなかったのだ。
縄張り争い、グループ内での諍い、番の要求。どれもこれも、面倒臭い。
この場所を見つけてから、そんな煩わしい事柄からやっと解放されたのだ。
それでも、時折“動物”がここにやってくる。
それは、金属の棒や包みをくるんだ“動物”だった。
狼は知っている。それが“人間”と呼ばれるようなものだと。
まだ群れにいた時の同類の話から、その知識を得ていたのだ。
自分より小さな同類や、その他の動物ですらこの場所に近づかないと言うのに。
何故か、その“人間”と言うものに限って、わざわざこの狼のところまでやってくるのだ。
狼には、その理由が分からなかった。
まさかそれが、狼自身に用があると言うより、この部屋の奥、“宝”というものを欲しがっているとは思い至らなかったのだ。
狼に取って、人間はわざわざ自分のテリトリーをあさりに来た邪魔者。
何故好き好んでやってくるのだろう、と疑問に思う事はあっても、所詮は人間で言う所の“他人”。
狼に取って、気を遣う必要のある存在では無かった。
だから殺した。
やって来た“人間”は全員殺した。
狼は、餌がいらなかった。
狼自身は自覚が無いが、“魔力”と呼ばれるエネルギーを吸収して生きる特殊個体だったのだ。
つまり、食事でエネルギーを補給する必要が無い。
これはダンジョンにいる、ゴーレムと呼ばれるもの達と同様の性質だった。
このような突然変異が生まれる事もあるらしい。
その為、狼は群れで最初は疎まれた。
同類と言える存在からは、餌を食べない個体など気味が悪かったのだ。
迫害、喧嘩など当たり前。
それが年月が経つと、“魔力”で成長し続けたからか、どの個体よりも強力な肉体と力を持つようになった。
群れは掌を返して、この狼をボスと崇め始めた。
それがこの狼に取っては、苛立ちに繋がったのだ。
それもあって、一匹になるよう群れから離れて、この場所に来たのだ。
閑話休題。
それはともかく、そのような理由もあってエサがいらなかった。
だから狼に取って、“人間”は害虫のようなもの。
殺す事に躊躇は無かった。同類ですらない別の生物の生死など、気にする必要が無かったからだ。
倒した人間は、金属の物をたくさんもっている。
狼自身に取ってはよく分からないが、“人間”に取っては価値のあるものらしい。
それらは狼自身に取っては逆に価値がなく、そのまま放置している。
そうすると、“いつの間にか消えているのだ”。
……正確には、小さなゴーレム達がせっせと運んでいるらしいのだが、狼に取っては気にしない。
サイズ差がありすぎて、“人間”みたいにわざわざ自分に攻撃してこないならば、気に求めていないのだ。
それはそれとして、その小さなゴーレムのおかげでこの奥の部屋は、かつて訪れた人間達の持ち物で溢れていると言えるだろう。
そういう意味では、この場所はやはりダンジョンのボス部屋と呼ばれてもおかしくは無かった。狼自身に自覚は無いが。
“そして、狼自身はその奥まで行った事が無い”。
行く必要が無かったのと、行ったら危ない予感がしたのだ。
だから、その手前で大人しくしていた。
きっと、他の動物達もその危険性を察知して、この場所を避けていたのだろう。
それを狼は利用していたのだ。
そうして、狼が“ボス”として呼ばれるようになって暫く経ったあと。
また今日も、“人間”がやってきたのだ。
いつものように、この部屋の入り口の手前で止まった後、こちらを伺うように目を向けてきている。
いつもなら、暫く経つと入ってくるのだが……今回は、大人しく帰って行ったらしい。
こういう事も、珍しくは無かった。
この狼の姿を見て、怖気ついて逃げ出す“人間”も過去にいたからだ。
だから今回は、邪魔が入らないだろうと思い込むと……
予想外に、次の日にすぐやってきたのだ。
何故一旦離れた? 経験上、一度離れた“人間”は帰ってこないのに……
狼に取って、予想外の一つだった。
「──光の精霊よ。我が問い掛けに答えよ。我が身、人の敵に相対する。貴殿よ、その輝きを示したまえ」
「──火の精霊よ。我が問い掛けに答えよ。我が身、人の敵に相対する。貴殿よ、その情熱を示したまえ」
「──水の精霊よ。我が問い掛けに答えよ。我が身、人の敵に相対する。貴殿よ、その純粋を示したまえ」
そして、その聞こえてきた声も予想外だった。
狼に取って、人間が何を言っているかは分からない。
ただ“人間”の一人が、金属の棒を掲げて何か鳴き声を上げているのだけは分かった。
威嚇のつもりだろうか? 狼に取っては気になったが、動くつもりは無い。
この部屋に入って、自分を攻撃してこないならばわざわざ動く理由が無かったからだ。単純に、面倒臭かった。
それにしても、やけに長い威嚇だ……
「──風の精霊よ。我が問い掛けに答えよ。我が身、人の敵に相対する。貴殿よ、その自由を示したまえ」
「──土の精霊よ。我が問い掛けに答えよ。我が身、人の敵に相対する。貴殿よ、その硬さを示したまえ」
「──闇の精霊よ。我が問い掛けに答えよ。我が身、人の敵に相対する。貴殿よ、その深淵を示したまえ」
「──聖剣よ。我が問い掛けに答えよ。我が身、人の敵に相対する。貴殿よ、その力を示したまえ──!」
「──光、火、水、風、土、闇。……六大精霊よ。そして、精霊を身に宿す聖剣よ!」
「──我が名は、ユウカ・ラ・スティアーラ!!」
「──誓う! 我は人類の敵、並びに、貴殿らを脅かす敵! それらを打ち滅ぼし、世界に平和をもたらす事を!」
「──その契約に従い、我が身はその先頭に立とう! 引き換えに、貴殿らの気高き力を貸したまえ──!!」
────いや、本気で長い。
威嚇の鳴き声の時間が長すぎる。
なんだあの“人間”は。何がしたいんだ。
あれか、群れで時折あった度胸試しのつもりなのか。ウザいから止めて欲しい。
さっきから金属の棒もピカピカ光っていて眩しいし。
「──ここに、全てを討ち滅ぼさん!!」
もういい加減にしろ。
そう思って、重い腰を上げて立ち上がろうとした時……
「──完全詠唱!! “ギガ・シャイニング・レイぃ──ッ!!!!!”」
狼は、最後に何も分からないまま、光に包まれた──