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第二十八話 挨拶

 手ぶらでいいという波留を説得して、どうにか途中で手土産のケーキを買い、波留の実家に来た。


「ここです。どうぞ」


 案内された場所は、四階建てのマンションだった。


 ここか……。

 今から波留のご両親に会うと思うと、早くも帰りたい。

 なんでもないような顔をしている波留がちょっと憎らしくなってきた。


「ただいま」

「お邪魔します……」


 今さら逃げ出すわけにもいかず、玄関を開けた波留の後について入る。


「おかえり、波留」


 優しそうな声で迎えてくれた女性は、たぶん僕の親と同じ四十代ぐらい。笑った顔は、どことなく波留に似ている気がする。


「あなたが亜樹くん?」


 波留のお母さんは息子の後ろにいた僕にすぐに気がついたみたいで、こちらに視線を向けた。


「あ……、はい。百瀬亜樹です、初めまして」

「波留から話は聞いてるわ。会えて嬉しい」

「こちらこそ」


 緊張しつつ、手土産のケーキを波留のお母さんに渡す。


「わざわざ良かったのに」


 そんなことを言いつつ、お母さんはリビングの方に案内してくれた。


「せまいところだけど、ゆっくりしていってね」

「はい、ありがとうございます。すみません」


 四人がけの椅子に座るように促され、恐縮しつつ、波留の隣の席に着く。


 僕が持ってきた苺のショートケーキと一緒に紅茶を出してから、お母さんも波留の正面に座った。


「ちょっとすみません」


 何を話そうか考えているうちに、波留が席を立った。


 まだ打ち解けていないのに二人にされると、さすがに気まずいんだけど。手持ち無沙汰になって、無駄にゆっくり紅茶を飲んだりして時間をつぶすけど、なかなか波留は戻ってこない。


 ソワソワしていたら、笑顔を浮かべたお母さんと視線が合った。


「亜樹くんは、波留のどこを好きになってくれたの?」


 お母さんから振られた話題はものすごく答えにくいもので、紅茶を吹き出しそうになってしまった。


「ど、どこを……っ?」


 吹き出しそうになるのをギリギリのところでこらえ、どうにか言葉を返す。


「やっぱり気になるじゃない?」

「……」


 どう答えるべきか。

 少し考えてから、僕は口を開く。


「波留が波留だからです」


 優しいところとか、一生懸命で可愛いところとか。

 好きなところをあげようと思えば、あげられる。

 でも、僕が波留を好きな理由は、きっとそういう限定的なものじゃなくて。波留が波留でいてくれるから――それに尽きる気がした。


 僕の答えを聞いた波留のお母さんは一瞬キョトンとしたように目を丸くしてから、すぐにまた笑顔になった。


「波留の彼氏が亜樹くんでよかった」


 どこら辺がよかったんだろう。

 どこをどう評価されたのか全く分からないけど、とりあえず僕も笑顔を返しておく。


「亜樹くんのおかげですごく明るくなったし、友達もできたみたいだから、感謝してるのよ」

「そんな、僕の方こそ。波留くんにはお世話になりっぱなしです」


 それからも、波留が帰ってくるまでの間、お母さんは僕をすごく褒めてくれて、優しく接してくれた。


 波留のお母さんが想像よりもずっと優しいから、だんだんいたたまれなくなってきた。僕が元番持ちのΩだって知ったら、どう思われるんだろう。


「あの、僕、実は……」


 別に聞かれてないからわざわざ言わなくてもいいのに、黙っているのも申し訳ない気がして、番を解除された件を打ち明けようとした。


「波留から事情は聞いてるわ。大変だったね」


 僕がまだ何も言わないでいるうちに、波留のお母さんは察したみたいだ。そう言って、お母さんは優しい目で僕を見つめる。


 知って、る?

 僕が番を解除されたことを知ってるのに、『波留の彼氏が亜樹くんでよかった』って言ってくれたのか?


 考えが追いついていかなくて、何も言葉が出てこない。


「事情があるのは、お互いさまでしょ?」


 しばらく沈黙が流れたあと、お母さんはそう言った。


「亜樹くんも知ってると思うけど、波留は普通の人間じゃないもの。私は人間と獣人のハーフで、夫は完全な獣人だし」


 気になっていてずっと聞けなかったことを、今日初めて会ったばかりの人からあっさり聞かされる。


 目の前にいる彼女は普通の人間にしか見えないけど、獣人(?)のハーフなんだ。そうなると、考えていたよりも、波留も獣の血が濃い……?


「今日はお父さん、というかご主人はどうされてるんですか?」

「夫は他の人間たちと一緒には暮らせないから、離れて暮らしてるの。波留は、父親の顔も見たことないわ」

「そう、なんですか」


 何とも言えない事実を伝えられ、僕はただ曖昧なあいづちをうつ。


「波留から聞いてない?」

「はい、まだ……」

「そうだったの。話したら、ダメだったかしら」


 お母さんは、ペロリと舌を出した。


「それって……」


 もう少し詳しく聞きたくて、思いきって切り出そうとした。


「何の話してたの?」


 けれど、ちょうど波留が戻ってきて、聞けなくなる。


「内緒よ。ねぇ、亜樹くん」

「はい」


 波留のお母さんから同意を求められ、うなずく。


「そんな風に言われたら、気になるよ」


 波留はそれからもしばらく気にしてたけど、お母さんが適当に話題を流してくれた。


 ◇


「亜樹くん、波留をよろしくね」


 帰り際、玄関まで見送ってくれたお母さんは、僕にそう声をかけてくれた。


「……こちらこそ、よろしくお願いします」


 お母さんに頭を下げてから、波留の実家を後にする。



 外に出ると、もう空は暗くなりかけていた。

 まだ夜の六時前なのに、十月に入って日が暮れるのが早くなったかな。


「連れてきてくれてありがとう。波留のお母さんに会えてよかった」


 隣にいる波留を見上げながら、お礼を言う。

 来る前は憂鬱だったけど、来て良かったな。お母さんもいい人だったし。


「そう言ってもらえて、よかったです。お母さんもずっと亜樹先輩に会いたがってました」

「うん、優しかったよ。話しやすかったし」

「お母さんと何を盛り上がってたんですか?」

「……ごめん。お母さんからお父さんのこと、ちょっと聞いちゃった」


 少し迷ってから、結局本当のことを打ち明ける。


「あー……。なるほど」


 波留は視線を落とし、気まずそうに頬をかいた。


「知ってほしくないことなら、忘れるから」

「忘れなくてもいいです。いずれ話そうと思ってましたから」


 話している途中で波留の手が伸びてきて、そのまま軽く手を重ねられる。その手を握ると、波留が続きを話し始めた。


「隠してたわけじゃなくて、会ったこともない父親のことをどう話したらいいのか分からなかったです」

「うん」

「それに、自分が普通の人間じゃないのは分かってますが、獣人とか言われても、分からないんですよ。これからも人間として暮らしたいし、ココで亜樹先輩と一緒にいたいです」


 僕の方を一度だけ見てから、波留はため息混じりに言った。


 って言うのは、って意味かな。


「獣人っていうのはよく分からないけど、波留は波留だよ。僕だって、一緒にいたい」


 そう伝えたら、繋いだ手に力が込められる。


「気が早いかもしれませんが、いつか亜樹先輩と家族になりたいと思ってます」

「さすがに気が早すぎ」

「ですよね。ごめんなさい」


 波留は視線を下げ、苦笑いを浮かべた。


「でも、そうなれたらいいな」


 僕もたぶん波留と同じような笑みをこぼしてから、小さくつぶやく。すると、波留がパッと顔を上げた。


 まだ学生だし、結婚なんて何年も先の話だ。

 波留のパートナーが、彼とは番になれない僕でいいのかという不安も消しきれない。


 未来のことは分からないし、心配事はつきない。

 だけど、そうなったらいいなとは素直に思える。


「なれるようにがんばりますっ!」


 静かな夜道に、波留の明るい声が響く。


 波留はやっぱり犬みたいだ。

 表情がコロコロ変わって、嬉しい時も悲しい時もめちゃくちゃ分かりやすい。


「僕もがんばらないと」


 改めて波留が可愛く思えてきて、笑顔になってしまった。

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