「――!」
ふと気がつくと、目の前には背の高い男の人がいた。
172センチの僕が見上げるほどだから、180センチは軽く超えているのかもしれない。
しかも、その人の頭の上には、犬みたいな灰色の耳が生えている。耳だけじゃなくて、同じ色のモフモフしっぽまで。
初対面のような気もするけど、よく知っているような気もする。彼の顔をじっくり見たら、顔だけモヤでもかかっているみたいで、はっきり分からなかった。
「――」
ケモ耳のついた彼はずっと僕に話しかけてくれていて、一生懸命何かを伝えようとしている。
けれど、耳を澄ませてみても、彼に少しだけ近づいてみても、彼の声は全然聞こえない。
「ごめん。君の声、よく聞こえないんだ」
ありのままに伝えたら、モフモフした灰色の耳としっぽがシュンと垂れ下がる。僕の言葉は聞こえてるのか……?
表情も顔も全く分からないのに、彼が残念そうにしているのだけは伝わってきて、なんだか胸が痛む。
「君は誰?」
「僕は、――です」
あ。今、少しだけ彼の声が聞こえた気がする。
でも、やっぱり肝心なところが聞こえない。
なぜか分からないけど、妙に引っかかる。
きっと忘れたくない、忘れちゃいけないはずだった。
それなのに、彼が誰なのか、名前も顔も分からない。
◇
次の瞬間、アイボリーの天井が視界に入った。
「夢……?」
ベッドの上で身体を起こし、辺りを見渡す。
本棚、学習机、洋服タンス。当たり前だけど、十八年間暮らしてきた自分の部屋だ。
「懐かしい夢を見たな」
寝起きでぼんやりしていた頭がだんだんはっきりしてきて、思わずひとりごとを言ってしまう。
さっきまで見ていた夢。
実は、小学生……いや、たぶんもっと前から、何度も何度も同じ夢を見ている。
いつも犬みたいな耳としっぽが生えた男の人が出てきて、僕に何かを伝えようとしてくる。全然知らない人だし、ただの夢のはずなのに、何を言っているのかが全然分からないのが気になるんだよな。
顔はいつもぼんやりしていて見えないものの、年はたぶん大学生ぐらい? 昔はだいぶ大人のお兄さんに感じていたけど、今は僕も彼の年齢にだいぶ近づいてるんだ。
でも、ずいぶん久しぶりに彼の夢を見たな。
中学生になってからはあの夢を見る回数がどんどん減っていって、高校生になる頃にはほとんど見なくなっていたのに。
「亜樹ー? 今日は卒業式なんじゃないの?」
物思いにふけっていたら、部屋の外からお母さんの声が聞こえてきた。
卒業式……?
――そうだ、今日高校の卒業式だった。夢なんて気にしてる場合じゃなかった。早く準備しないと。
ベッドから降りて、タンスにかけてあった学生服に着替える。春からは大学生だから、これを着るのも今日で最後なんだ。