丘の上に建っている展望タワーの展望室は、標高二百メートルから景色を見下ろすことが出来る。
展望室は二つに分かれていて、最上階の下は土産や軽食も売っていて、家族連れや友達同士で来ていると思われる人たちがたくさんいた。最上階は、二人がけのソファーがいくつもあり、くつろげる空間。雰囲気の良い時間帯だからか、カップルがかなり多い。
売店を軽くのぞいてから、僕たちも景色を見に最上階まで来た。夜景を見もしないでキスをしているカップルを横目で見てから、僕も颯大の隣に立つ。
「晴れてよかったな」
ガラス越しに広がっている外の景色に視線を向けながら、颯大は言った。すぐ近くに椅子があるのに座る素振りもないから、僕も座るのはやめておく。
「うん」
軽く相づちを打って、僕も颯大と同じ方向を見る。
暗くなった空の中で密集した建物のライトが輝いていて、昼間に観覧車から見た景色とは全然違って見えた。
背の高いビルが並んだ風景は、たぶん僕たちが子どもの頃から徐々に変わっているはず。だけどこうやって上から見下ろしたら、昔からほとんど変わっていないように見えた。
「二日後には、僕たちはもう東京にいるんだよな。地元の夜景を見るのもこれが最後か」
小さな頃から何度も見ている夜景を見たら、ついそんな言葉が口をついてでてしまった。
東京の大学に合格した僕と颯大は、明後日には上京することになっている。家から離れるのを心配してた親も『颯大と一緒なら』と納得してくれて、東京で颯大と暮らすんだ。
僕たちが生まれ育った地元はそこそこ便利だし、それなりに都会だ。
地元が嫌いってわけじゃないけど、パッとしないし、昔からずっと東京に行きたいと思ってた。でも、いざ地元から離れるんだって実感したら、少し感慨深い気持ちになってしまう。
「長い休みには帰ってくるし、これが最後ってわけじゃない」
一人感傷に浸っていたら、隣からそんな言葉が返ってきた。
「それもそうか」
これが最後ぐらいの気持ちでいたけど、東京に行って一生帰ってこないってわけじゃないもんな。納得して頷く。
「それに、颯大とはこれからも一緒だもんな」
憧れの東京とはいえ、いきなり知らない土地で一人だったら、少し不安だったかもしれない。
颯大の周りにはいつも人がたくさんいたから、僕も中学高校では友達がたくさんいた。だけど、一人だったら、新しい友達が上手く作れる自信もなかった。
でも、颯大がいてくれるなら、心強い。
それに、毎日颯大と朝から夜まで一緒だと思ったら、修学旅行みたいでワクワクする。
ニッと笑いかけたら、颯大もこちらに視線を向けた。
けれど、颯大は少しも笑っていない。
僕をじっと見つめたまま、颯大の顔がゆっくりと近づいてくる。しばらく呆然としてしまっていたけど、直前でぎゅっと瞳をつむった。その直後、柔らかいものが唇に触れて、すぐに離れていく。
そっと目を開ける。そうしたら、思ったよりも近くに颯大の顔があって、思わず視線を逸らしてしまった。
颯大とは友達期間がだいぶ長かったし、付き合ってても友達みたいな時間の方が多くて、実はキスをするようになったのも最近。だから、まだキスに慣れなくて、微妙に気まずい。こういう時って、どんな顔したらいい?
キスの最中よりも、する直前や直後の何とも言えない空気の方が妙に居心地悪くて、ソワソワしてしまう。
「亜樹」
名前を呼んでから、颯大は僕の両手をぎゅっと握った。
「ずっと一緒にいよう」
「う、ん?」
颯大を見上げたら、やっぱり真剣な表情をしている。
ずっと一緒なんて、当たり前の話だ。
大学も同じだし、東京でルームシェアするんだから。
なんでわざわざ分かりきったことを改めて言ってきたのか不思議に思っていたら、颯大はさらに言葉を続けた。
「大学卒業したら結婚して、俺の番になってほしい」
そう言われた瞬間、時間が止まったように感じた。
言われなくても、颯大とはいずれ番うつもりだった。
それなのに、僕は答えに詰まってしまう。
一瞬だけ、いつもの夢に出てくるケモ耳の彼が頭の中に浮かんだんだ。顔さえも分からないし、そもそも存在すらしない架空の人なのに。
「嫌?」
考え込んでいたら、そんな言葉が降ってくる。
顔を上げると、颯大は少しだけ不安そうな顔をしていた。
颯大と番になるのが嫌なはずない。
ドラマや小説で見た恋はドラマティックで、互いが互いじゃいけないような激しいものだった。たとえばΩの恋した相手がβで、彼とは番になれないと分かっていても、それでも番になりたいと思ってしまうような。
でも、今はもうそんな時代じゃないんだ。
良い薬もあるから、彼氏や彼女がβでもΩでも関係ないし。たまたま自分がΩで、偶然彼氏がαだったら、番えばいいだけ。
一緒にいたい相手と一緒にいる。
それが本物の恋で、誰かと番うってことなんだよな……?
僕の相手は、幼なじみで彼氏の颯大以外にいるはずないんだ。一瞬でも他の誰かを想像してしまってごめんな。
急いで笑顔を作って、颯大の手を握り返す。
「いきなり改まって言うから、驚いただけ」
手を握ったまま、頭を下げる。
「こちらこそよろしくお願いします」
しばらくそうしていても、何も反応がなかった。
まずいこと言ったかな?
おそるおそる視線を上げる。すると、颯大は真顔のまま固まっていた。
「颯大?」
「……っ。よか、ったぁ……。めちゃめちゃ緊張した……」
颯大は大きく息を吐いてから、気の抜けたように僕に抱きついてきた。
みんな僕たちが結婚すると思ってるし、僕が颯大のプロポーズを断るわけないのに、颯大でも緊張なんてするんだな。と言おうと思ったけど、一瞬でも迷ってしまったのは事実だ。何も言わず、颯大の大きな背中に手を回す。
「大学入学したら、すぐに番になってもいいのに」
「学生だし、責任とれないうちはダメだ」
「真面目だな、颯大は」
「本気で亜樹が好きだから、ちゃんとしたいんだ」
「颯大のそういうところ好きだよ」
僕は颯大が好きだ。
子どもの頃からずっと一緒だし、今さら颯大以外の人なんて考えられない。
自分をそう納得させて、颯大の頬にキスをした。