あの変な人のことがあってから外食する気分じゃなくなってしまって、結局コンビニで弁当を買って、アパートで食べた。
「初日から散々な目に遭ったな」
コンビニ弁当についていた割り箸をテーブルに置き、颯大はため息をつく。
道中も、家に帰ってからも、颯大はずっとこんな感じだ。まあ、引きずってるのは颯大だけじゃなくて、僕の方もだけど。
おかげで荷物も全然整理できていないし、あと一週間と少しで始まる大学の準備も何一つ出来ていない。
「悪気はなかったみたいだし、もう忘れよう」
食べ終わった空の容器をまとめながら、苦笑いを浮かべる。
「亜樹、本気であいつのこと知らないんだよな?」
探るような目で見られ、なんとなく嫌な感じがしてしまう。
「何? まさか浮気なんて疑ってないよな」
「違うよ、そうじゃない。ただあいつがあまりにも……」
颯大はため息混じりに言って、視線を逸らす。
何が言いたいのかなんとなく察し、僕は口を開く。
「嘘を言ってるみたいに思えなかった?」
颯大がコクリと頷く。
「僕もそう思った」
口にしてから、まずいことを言ってしまったと気づく。
これじゃ、僕まであの人を前世の夫だって信じてるみたいだ。
「でもさ、本気で知らない人だから。たぶんちょっとおかしい人なんだよ」
このままだと妙な誤解をされそうなので、あわてて言葉を付け足す。けれど、颯大の表情は真顔のままだった。
颯大は座ったまま、僕との距離を詰める。
「もしまたあいつが来たら、すぐに連絡して。亜樹は俺が絶対に守る」
「自分の身ぐらい、自分で守れるよ」
「亜樹のαなんだから、かっこつけさせて」
そう言って、颯大は僕の右手に触れる。
自分がαだとかΩだとかに囚われる必要はない。
だけどそれでも、やっぱり颯大はαで、僕はΩみたいだ。
肝心なところでは颯大は僕を守りたいと思ってるし、僕だってそう言われて嬉しいと思うんだから。
「ああ……、そっか、分かった。じゃあ、頼む」
少し照れ臭くなって、視線を下げる。
颯大とのこういうやりとりは、やっぱりまだ慣れない。
「亜樹の彼氏は、俺だけだよな」
「当たり前だろ」
「夫は?」
「やっぱり今日の人のこと気にしてるよな」
浮気までは疑われてないと思うけど、さすがにスルーできなくて突っ込んでしまった。
「ごめん、忘れて」
颯大は視線を下げ、小さく息をつく。
謝らないといけないのは、僕の方だよな。
前世とか夢とかで、彼氏でもない男をいつまでも気にしてるし。本当は颯大と波留さんがもめてた時だって、颯大の味方をしないといけなかったのに。波留さんの悲しそうな顔は見たくなくて、どっちつかずの態度をとってしまった。
もし僕が颯大の立場だったら普通に気分悪いし、不安になるかもしれない。そう思ったら、颯大に申し訳なくなってきた。
「大学卒業したら、颯大が僕の夫になってくれるんだろ」
夢や前世を気にするんじゃなくて、今の彼氏とちゃんと向き合わないと。自分に言い聞かせ、そのまま言葉にした。
「亜樹の彼氏も、夫も、俺だけだから。誰にも渡さない」
言いながら、颯大は僕を床に押し倒した。そして、そのまま僕の上に覆い被さってくる。
え。
驚いて見上げたら、颯大は初めて見るような男の顔をしていた。目を見ただけで、心の底から僕をほしがっていることが分かるような。
……あ、そっか。
ルームシェアだと楽しみにしてたけど、違った。
颯大は友達じゃなくて彼氏なんだから、これって
ここには親もいないし、僕たち付き合って長いんだから、当然こうなるよな。
颯大とそういう関係になる想像をしたことは正直全くなかった。だけど、僕たち、いずれ番になるわけだし。
頭の中でぐるぐる考えていたら、服の中に何かが入ってくる。ビクっとしてそちらを見ると、颯大の手だった。
うわ、マジか。
まだ心の準備が……いや、でも、結婚の約束までしてて、もう何年も付き合ってるのに、さすがにここで拒否するのはおかしいよな。
覚悟を決めようとしたのに、いつも夢に出てくるケモ耳の生えた男の人がふと思い浮かぶ。何を言っているのかも分からないし、顔さえも見えないのに。
もし僕が他の人と結ばれたら、あの人はショックを受けるかな。……いやいや、何を考えてるんだ。僕の彼氏は颯大だからあの人に罪悪感を覚える必要なんてないし、そもそも実在さえしてないのに。
そうだよ。僕の彼氏で、将来結婚して、番になる人は、颯大なんだ。だから、――。
もうどうにでもなれと思って、ぎゅっと目を瞑る。
けれど、いつまで待っても何も起こらないどころか、颯大は僕に触れさえもしなかった。おそるおそる目を開けたら、颯大は気まずそうに目を伏せた。
「……ごめん」
一言だけつぶやき、颯大は背を向けてしまう。
「颯大?」
呼びかけてみても、何の反応もない。
さすがにさっきの今で寝たってことはないだろうから、明らかに無視だよな。
あー……、引っ越し初日からやらかした。
たぶん身体も表情も強張ってたし、僕が颯大を拒否してるみたいに思われたかな。
そんなつもりじゃなかったのに。
いや、でも、実際抵抗があったのは事実なんだけど……。どうして颯大を受け入れることができなかったのか、自分でも分からないんだ。
どうにか取り繕おうと言い訳を考えてみるけれど、かける言葉も思いつかない。
この空気を改善することを仕方なくあきらめて、目を瞑る。結局その日は気まずいまま、僕たちは眠りについた。