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第五十九話 夢と現実

「――。――!」


 目の前で、ケモ耳の生えた背の高い彼が口をパクパクさせている。彼の顔にはモヤがかかっているし、何を言っているのかも全然分からない。


 でも、何だろう。

 この人、誰かに似てるような気がする。


 誰だったかな。

 ずっと前から知っているような、そうでないような。

 いや、違うな。最近会った……?


「――?」


 しばらく考え込んでいた。

 そうしたら、ケモ耳の彼が不思議そうに首を傾げる。


 やっぱりこの人、どこかで会ってる気がするな。

 あとちょっとで思い出せそうなんだけど。ここまで出かかってるのに、ギリギリのところで出てこない。


「君の名前は?」


 思い切って聞いてみたら、灰色の犬耳が嬉しそうにピンと立った。表情も顔も全然分からないのに、それでも全身から彼の感情が伝わってくる。悲しいのも、嬉しいのも、全部。


「――! ――、――?」


 身振り手振りを交えて何かを伝えようとしてくれてるけど、やっぱり肝心の声は聞こえないし、名前も分からなかった。


 でも、がんばって伝えようとしてくれる姿が可愛いな。

 なんだか彼がすごく愛しくなって、抱きしめたくなってきた。


 だけど、さすがにそこまでの勇気は出なかったから、頭の上に生えている耳にそっと触れる。


 わ、フワフワだ。柔らかい。


 調子に乗って、頭まで撫でてしまう。そうしたら、耳と同じ色の彼のしっぽがブンブンと揺れる。


「僕は、亜樹だよ。百瀬亜樹」

「――!」


 彼はしっぽを激しく振りながら、コクコクと頷く。


「知ってるみたいだね」

「――、――」


 うーん……。やっぱり声は聞こえない、か。

 彼の言葉が少しでも聞こえたらな。


「いつか君の声が聞こえたらいいな。どんな顔をしてるのかも見たいし」


 ケモ耳の生えた彼は僕の手を握り、一生懸命頷いてくれている。


「また会える?」

「――、――!」


 ◇


 ふと目を覚ますと、天井がいつものアイボリーじゃなくて、クリーム色だった。


 あれ?

 部屋の中もいつもと違っていて、ずいぶん片付いている。家具もなんだか新しいような。


 ……あ、そっか。

 ここ、東京だった。


 昨日東京に来て、いきなり知らない人から話しかけられて……。


 そこまで思い出して、ようやく腑に落ちた。


「そっか。夢の中の人、昨日の不審者に似てたんだ」


 雰囲気が誰かに似てる似てると思ってたら、あの人だったんだ。


 納得して、一人で頷いてしまう。


 思い出せそうで思い出せなかったから、スッキリした。

 まぁ、思い出したところで、もう二度と会うこともないだろうけどな。……そうだよな? 東京は広いんだし、またバッタリ会うなんてさすがにないだろ。


 それにしても、子どもの頃から見てる夢に出てくる人と『前世の夫』って言ってた人の雰囲気が似てるなんて。こんな偶然あるか?


 まさかあの人、本当に前世の僕の夫だったりして。


 ……いやいや、さすがにそれはないよな。

 さすがに大学生にもなって、前世なんて夢見がちなことを言っていられない。


「おはよ、亜樹」


 ああでもないこうでもないと考え込んでいたら、ふいに誰かに話しかけられた。そちらを見たら、気まずそうな表情の颯大が。


 そうだった、昨日颯大と……。


「おはよ、う」


 無理矢理笑顔を作ったけど、絶対にぎこちない顔になっていたに違いない。自分でも引くぐらい、声も不自然だったし。


 昨日の夜……。颯大とキスよりも先の関係に進みそうになったのに、僕の態度が煮え切らなかったから、気まずい空気になったんだ。


 夢や前世よりも、こっちの方がよっぽど大事件だよ。

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