「――。――!」
目の前で、ケモ耳の生えた背の高い彼が口をパクパクさせている。彼の顔にはモヤがかかっているし、何を言っているのかも全然分からない。
でも、何だろう。
この人、誰かに似てるような気がする。
誰だったかな。
ずっと前から知っているような、そうでないような。
いや、違うな。最近会った……?
「――?」
しばらく考え込んでいた。
そうしたら、ケモ耳の彼が不思議そうに首を傾げる。
やっぱりこの人、どこかで会ってる気がするな。
あとちょっとで思い出せそうなんだけど。ここまで出かかってるのに、ギリギリのところで出てこない。
「君の名前は?」
思い切って聞いてみたら、灰色の犬耳が嬉しそうにピンと立った。表情も顔も全然分からないのに、それでも全身から彼の感情が伝わってくる。悲しいのも、嬉しいのも、全部。
「――! ――、――?」
身振り手振りを交えて何かを伝えようとしてくれてるけど、やっぱり肝心の声は聞こえないし、名前も分からなかった。
でも、がんばって伝えようとしてくれる姿が可愛いな。
なんだか彼がすごく愛しくなって、抱きしめたくなってきた。
だけど、さすがにそこまでの勇気は出なかったから、頭の上に生えている耳にそっと触れる。
わ、フワフワだ。柔らかい。
調子に乗って、頭まで撫でてしまう。そうしたら、耳と同じ色の彼のしっぽがブンブンと揺れる。
「僕は、亜樹だよ。百瀬亜樹」
「――!」
彼はしっぽを激しく振りながら、コクコクと頷く。
「知ってるみたいだね」
「――、――」
うーん……。やっぱり声は聞こえない、か。
彼の言葉が少しでも聞こえたらな。
「いつか君の声が聞こえたらいいな。どんな顔をしてるのかも見たいし」
ケモ耳の生えた彼は僕の手を握り、一生懸命頷いてくれている。
「また会える?」
「――、――!」
◇
ふと目を覚ますと、天井がいつものアイボリーじゃなくて、クリーム色だった。
あれ?
部屋の中もいつもと違っていて、ずいぶん片付いている。家具もなんだか新しいような。
……あ、そっか。
ここ、東京だった。
昨日東京に来て、いきなり知らない人から話しかけられて……。
そこまで思い出して、ようやく腑に落ちた。
「そっか。夢の中の人、昨日の不審者に似てたんだ」
雰囲気が誰かに似てる似てると思ってたら、あの人だったんだ。
納得して、一人で頷いてしまう。
思い出せそうで思い出せなかったから、スッキリした。
まぁ、思い出したところで、もう二度と会うこともないだろうけどな。……そうだよな? 東京は広いんだし、またバッタリ会うなんてさすがにないだろ。
それにしても、子どもの頃から見てる夢に出てくる人と『前世の夫』って言ってた人の雰囲気が似てるなんて。こんな偶然あるか?
まさかあの人、本当に前世の僕の夫だったりして。
……いやいや、さすがにそれはないよな。
さすがに大学生にもなって、前世なんて夢見がちなことを言っていられない。
「おはよ、亜樹」
ああでもないこうでもないと考え込んでいたら、ふいに誰かに話しかけられた。そちらを見たら、気まずそうな表情の颯大が。
そうだった、昨日颯大と……。
「おはよ、う」
無理矢理笑顔を作ったけど、絶対にぎこちない顔になっていたに違いない。自分でも引くぐらい、声も不自然だったし。
昨日の夜……。颯大とキスよりも先の関係に進みそうになったのに、僕の態度が煮え切らなかったから、気まずい空気になったんだ。
夢や前世よりも、こっちの方がよっぽど大事件だよ。