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第六十二話 仕事をしてるだけ

 入学式から、さらに一週間後。

 トライアル期間も過ぎ、今期履修する授業を決めた僕と颯大は書類を提出するため、学生課に向かう。


 学生課は、市役所みたいに受付がいくつかに分かれていた。何人かの学生が僕たちと同じように書類提出したり、進路相談をしたりしている。


 今日は履修授業の登録以外には用事はないから、専用の受付に並ぶ。書類の受け渡しだけだったのでスムーズに進み、五分もしないうちに颯大が呼ばれる。


「この前のストーカー! こんなところまで亜樹を追いかけてきたのか」


 颯大の声が聞こえてきて、慌てて駆けつける。


「颯大!?」


 颯大に声をかけてから受付の人を見て、驚いてしまった。そっくりなんてレベルじゃない。この前会ったばかりの波留さんそのものだった。 


「……君は、この前の」


 ラフな格好だった先日とは違い、今日はスーツを着ている。けど、波留さんだよな?


 え、ここで働いてるの?

 同じ年ぐらいだと思ってたのに、波留さんの方が年上なのか。若く見えるけど、何歳なんだろう。これで三十超えてたりしたら、すごいな。


「今度こそ通報する」

「騒がれると他の人の迷惑になるので、やめてください。今年の春からここで働いてるんです」

「今年の春からって、そんな都合良い話ないだろ。絶対亜樹目当てだ」

「そう思うなら、偽職員のオレには書類を提出しなかったらいいんじゃないですか。うちの大学は履修授業数は自由ですから、春学期は履修しないのもアリだと思いますよ」


 波留さんは淡々と颯大に告げつつも、勝ち誇ったような顔をした。


 たしかに、いつどんな授業を履修するかは自由ではある。だけど、三年生からは就活も始まるし、一年生と二年生のうちに出来るだけ単位をとっておかないと、結局苦しくなるのは自分だ。


 颯大は悔しそうに書類を握りしめ、少しシワがついたソレを最終的には波留さんに提出していた。


「……お願いします」

「はい、たしかに受け取りました」


 波留さんは事務的に作業をして、颯大に確認の紙を渡していた。


「次は、亜樹さんですね」


 波留さんは僕に視線を向けてから、次に颯大を見る。


「個人情報もあるので、離れててもらえますか」

「俺の時は亜樹がそばにいても大丈夫だったのに、おかしいだろ」

「すみませんでした。離れてくださいと亜樹さんに伝えるのを忘れてました」

「いやいやいや、さすがに苦しいからな。亜樹と二人になりたいだけだろ」

「失礼ですね、オレはただ仕事をしたいだけですよ」


 颯大と波留さんの押し問答がかなり長引くなか、学生課にある時計をチラリと見たら、もうすぐ六時。

 他の受付もだいぶ人が少なくなってきているし、このままだと受付の時間を過ぎそうだ。


「颯大、大丈夫だから」


 なかなか納得してくれなかった颯大に『ただ書類を提出するだけだから』とどうにか説得して、近くで待っていてもらうことにした。


「アンタが変なことしないように見張ってるから」


 そう言って離れていった颯大は、腕を組み、本当にこちらに向かって眼光を光らせていた。


 苦笑しつつ、波留さんに履修届の書類を提出する。


「年上だったんですね。失礼な態度とったりしてすみません」

「本当は、オレの方が年下なんですよ」


 波留さんはポソリと言ったけど、何を言ったのかまでは聞き取れなかった。


「え?」

「いえ、敬語は使わないでください。オレにとっては、亜樹さんはいつまでも先輩のままなので」


 そう言った波留さんは、優しい目で僕を見つめていた。


 タメ口で良いと言われてもな。波留さんの方が明らかに年上だろうし、僕が先輩のままという意味もよく分からない。


「それって、この前言ってた前世と関係あるんですか?」

「思い出してくれたんですか!?」


 波留さんはパァッと顔色を明るくして、声まで弾ませる。ありもしないしっぽをブンブン振っている幻覚がまた見える。またこの幻覚……、本当になんなんだろう。波留さんはどこからどう見ても人間なのに。


「いえ、全然」


 こんなに喜んでくれてる人に違うと言うのは罪悪感が半端ないけど、そう伝えるほかなかった。


「そう、ですか」


 波留さんはガックリと肩を落とす。


「やっぱり人違いだったみたいなので、忘れてください」

「はぁ……」


 人違いといっても、誰と勘違いしてたんだろう。

 その人は僕と名前も同じで、顔も似てるってこと?

 そんな偶然あるか……?


「波留さんの知り合いって、そんなに僕と似てるんですか?」


 背中に颯大の視線を感じながらも、つい気になって、聞いてしまった。


  パッと顔を上げた波留さんの顔はさっきとは打って変わって、明るいものになっている。表情がコロコロ変わって、分かりやすい人だな。年上のはずなのに、なんだか少し可愛く感じてしまう。


「オレに興味を持ってくれたんですか?」

「いえ、そういうわけでは……」


 あまりにも波留さんが嬉しそうだったから、はっきり否定するのも忍びなくて、曖昧に答える。


 興味があるといえばあるけど、それは僕によく似てる波留さんの知り合いに対してであって、波留さんに興味があるわけじゃない。……はずだ。


「今度二人でゆっくり話せませんか?」

「あの、人違いなんですよね?」


 後ろを振り返り、颯大を確認する。

 そうしたら、少しも視線を逸らさずにこちらを見ていた。


 苦笑いを返してから、波留さんの方に視線を戻す。


「たぶん」

「たぶん?」

「亜樹さんと仲良くなりたいんです」


 波留さんは大きな瞳で僕をまっすぐに見つめ、そう言った。


 僕と仲良くなりたいって……、口説かれてる?

 自意識過剰かもしれないけど、友達としてという意味には聞こえなかった。


 僕の思い過ごしで、友達として仲良くなりたいという意味だったら、断る理由はないのかもしれない。


 でも、同級生だったらともかく、年上の人と友達っていうのも少し身構えてしまう。それに、この前あんなことがあったばかりだから、颯大はよく思わないよな。


 捨てられた犬みたいな目で見られたら、正直断りづらい。だけど、後ろにいる彼氏の存在を忘れることがどうしても出来ず、踏みとどまる。


「ごめんなさい」

「……え」

「彼氏がいるので、困ります」


 どう言えば波留さんを傷つけずに済むのか分からなくて、結局きつい言い方になってしまった。


 ごめん、波留さん。

 だけど、僕のペースに合わせて関係を進めるのを待ってくれている颯大をこれ以上裏切れないから。


 波留さんの様子を窺ったら、悲しそうに眉を下げていた。波留さんの悲しい顔を見るのはやっぱり辛くて、胸が痛む。


「分かりました、そうですよね。彼氏がいるのに、無理ですよね」


 精一杯平静を装っているつもりなんだろけど、波留さんの声は全然悲しさが隠しきれていなかった。


「やっぱり、オレはいつも一歩遅いんだ」


 それから、波留さんはひとりごとのようにつぶやく。


 波留さんの話が何のことを指しているのかは全然分からないし、僕には関係のない話なのかもしれない。それでも波留さんを悲しませていることだけは伝わってきて、罪悪感で押し潰されそうになる。


 波留さんの顔を見れなくて、僕はうつむく。


「終わりましたよ」


 しばらくしてから声をかけられ、渡された書類を受け取る。


「……ありがとうございます」


 颯大が渡されていたものと同じ紙を受け取り、その場から離れる。


 僕には、颯大がいる。

 波留さんは全然知らない人だし、年も離れてるし、友達にはなれない。だから、断って正解だったんだ。


 そのはずなのに、どうしても引っかかってしまって、気がかりと後悔だけが残った。



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