その日の夜、就寝前に颯大はまた台所に立っていた。
夜ごはんはバイトのまかないで食べてきたらしいから、明日の朝ごはんと弁当を作るそうだ。
「たまには僕も作るよ」
いつも颯大にばかり料理を作ってもらって申し訳ないし、いい加減波留さんとの勝負もやめてほしいので、料理作りの交代を申し出てみる。
「波留に勝つまでは、俺が作る」
包丁を握りながら、颯大はキッパリと言い切った。
「もうやめない?」
そう言った後で、僕はもう一言付け加える。
「僕の彼氏は颯大なんだし、わざわざ波留さんに張り合わないで」
「分かってる」
包丁で野菜を切りながら、颯大は静かに言う。
「でも、波留には負けたくないんだ」
全然分かってないじゃん。
一度言い出したら、きかないから困る。
波留さんに勝つまでは、永遠にやめそうにないな。
「……そっか」
だけど、颯大を強情にさせているのは僕のせいもあるかもしれないと思ったら、あまり強くは言えなかった。
「これは俺と波留の問題だから、亜樹は気にしないで」
いや、僕も当事者じゃないの?
「亜樹のことは何でも知ってるし、好みも全部分かってると思ってたのに。まだまだみたいだ」
そう言って、颯大は野菜を切っていた包丁を持つ手をピタリと止める。
「だから、がんばらないと。見ず知らずの他人には負けられない」
見ず知らずの他人、か。
実際そうなんだよな。知り合って二ヶ月も経ってないし、友だちでもない。それなのに、どうしてもそう思えないんだよ。自分でも理由は分からないけど………。
考え込んでいたら、包丁を置いた颯大とふいに視線が合う。
「亜樹にとって、最高の彼氏になりたい」
「十分すぎるぐらい良い彼氏だよ」
いつも良くしてくれるし、何事にも努力を惜しまないし、外見も中身も颯大は完璧だ。これ以上を望んだら、バチが当たると思う。
「まだ足りないんだ」
そう言うと、颯大は再び包丁を動かし、野菜を切り始めた。足りないところなんてないのに。
「……明日の課題やってくる」
一言声をかけて、キッチンから離れる。
冷蔵庫に入っていたお茶だけ準備して、ローテーブルの上に置いてあったパソコンを開く。
最近、キッチンにいる颯大しかみてない気がする。
同じ家に住んでいても、二人の時間はほとんどない。
同棲したてのカップルとして、これはいいのか?
明らかにダメだろうと思いつつも、少しホッとしていたりもする。同棲初日の夜にキス以上の行為を拒否……まではいかないけど、拒否に近いことをしてから、家にいる時に微妙に気まずかったから。
大学や外で一緒にいる時は全然平気なのに、家だとお互い身構えてしまって、たまにぎこちない雰囲気になることも。
幼なじみで恋人で、一番距離が近いはずの颯大とは距離を感じているのに。ただの他人の波留さんが他人とは思えないなんて。どう考えても、おかしいよな。
集中しようとしても、気がついたら考えごとをしてしまっていて、結局明日の課題はほとんど進まなかった。