その日はどこにも寄らず、大学からまっすぐ家に帰ってきた。
玄関には、颯大が最近よく履いている青色のスニーカーが隅の方に置かれている。颯大、先に帰ってきてたんだ。
「ただいま」
靴を脱ぎながら、いつものように声をかける。
すると、すぐにリビングの方から返事が返ってきた。
「おかえり」
廊下のドアを開いてリビングに入ったら、颯大が勉強していた。机の上で教科書を開き、ノートに何かを書いている。
「今日は何も出かける予定ないの?」
カバンを定位置に置いてから、颯大の後ろに立つ。
「今日はバイトもゼミも休み。亜樹は?」
「このあとバイトがあるよ。まだ時間あるから、一回帰ってきた」
「そっか」
そこで会話が途絶える。
颯大は特に集中してる風でもないのに、目を合わせようとしない。
バイトまで図書館かカフェで勉強でもしておけばよかったかな。そんな風に思ったらダメなのに。そう思ってしまうぐらいには、ここのところ家の居心地が悪い。自分の部屋なのにな。
手持ち無沙汰になって、無駄にウロウロしてしまう。
こうしていても仕方ないし、とりあえず授業の課題を終わらせておこうかな。大学用のカバンに入れていたノートパソコンを取り出し、机の上に置く。
「ちょっといい?」
無心でキーボードを叩いたら、ふいに颯大に話しかけられた。
「うん」
キーボードを打っていた手を止めて、颯大に視線を向ける。
「あのさ、」
何かを切り出そうとしている颯大は、いつになく緊張したような顔をしていた。
あんまり良い話じゃないなのかな。颯大の緊張が伝わって、僕まで緊張してしまう。
別れ話とか……?
それとも、大学の話?
何も言わず、ただ黙って颯大の言葉の続きを待つ。
「亜樹は、俺が好き?」
予想外の質問をされ、一瞬固まってしまう。
「突然どうしたんだよ」
「ダメだった?」
「ダメじゃないけど、いつもはそういうこと聞いてきたりしないのに」
「気になったから。たまにはいいだろ」
「もちろん、いいんだけど」
会話の途中で、あることが思い当たる。
颯大がいきなりこんな質問をしてきた理由。たぶんアレだよな。今朝、玲人と全く同じ会話をしたんだった。
口止めしてなかった僕が悪いかもしれないけど、早速言うことないだろ。湧き上がってきた玲人への怒りをおさえつつ、口を開く。
「もしかして、玲人から何か聞いた?」
「玲人? 何も聞いてないけど、どうかしたの?」
颯大はポカンとして、不思想そうな表情を浮かべる。
しまった、違ったか。完全に墓穴掘ったな。
取り返しつかないだろ、これ。
このタイミングだから、てっきり玲人経由で何か聞いたのかと思ったのに。
「いや、ごめん。勘違いだった」
「玲人と俺のこと話したりするの?」
「たまたまそういう感じになって」
「なんだかんだ玲人と仲良いよな、亜樹」
颯大が嬉しそうに笑って、緊迫した空気が少しだけ緩む。
「やめて」
このまま誤魔化せないかなと思ったけど、無理だったみたいだ。緩んでいた颯大の表情がすぐに戻る。
「玲人のことはいいけど、さっきの答え聞かせてほしい」
どうしていきなりそんなこと聞いてくるんだ、とか。
聞きたいことは色々あったけど、今はとにかく質問に応えるべきだよな。
「俺は亜樹が好きだよ。亜樹は?」
「もちろん好きだよ」
少し迷ってから、結局そう答えた。
好きかそうじゃないかで聞かれたら、好きとしか答えようがない。どんな種類の好きかはともかく、颯大が好きなことは確かだ。それだけは嘘じゃない。
緊迫していた颯大の頬が緩み、口角が上がる。
「俺も好き」
安心したように笑った颯大を見て、よく分からない罪悪感が湧いてくる。
波留はあぐらをかいたまま距離をつめて、僕の肩にもたれかかってきた。
「変なこと聞いてごめんな。ただ最近すごく亜樹が遠く感じて、どうしたらいいのか分からなくて。弁当勝負でも波留に負けっぱなしだし」
「弁当勝負はもういいよ」
颯大の背中に手を置き、軽くさする。
「何かしてないと、落ち着かないんだ。高校まではこんな風に悩んだりしなかったのに」
「大学に入って、環境が変わったからじゃないかな」
僕がキス以上の行為を拒否したから。
波留さんと出会って、颯大と波留さんがギスギスしてるから。
考えられることはそれぐらいだけど、全部僕のせいだから、颯大に申し訳ない気持ちになる。
僕たち何も問題なかったはずなのに、どこから間違えたんだろう。
「俺たち、大丈夫だよな?」
覗き込むように顔を見られ、視線を泳がせる。
大丈夫かどうかなんて、僕の方が教えてほしいよ。
「……うん」
どう答えようか迷って、結局曖昧に頷く。
颯大はしばらく僕を見ていたけど、ゆっくりと顔を近づけて、唇を押し当てた。
反射的に目を瞑ると、もう一度唇を重ねられる。
じっとしていたら、何度か口づけられた。そうしているうちに、口の中に舌が入ってきた。その瞬間、身体が勝手にこわばる。
……ダメだ。今日は無理かも。
「ごめん。そろそろバイトの時間だから、準備して行かないと」
どう考えてもこのタイミングじゃないだろって理由を口にして、さっと立ち上がる。
「あー、そっか。引き止めてごめんな」
颯大は明らかに気まずそうな表情を浮かべ、片手を前に出した。
「全然大丈夫」
『僕こそごめん』と心の中で謝って、大学に行く時以外で使っているウエストポーチに財布を入れる。
「遅くなりそうだから、先に寝てて」
それだけ言い残して、そそくさと家を出てきた。