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第六十九話 俺のこと好き?

 その日はどこにも寄らず、大学からまっすぐ家に帰ってきた。


 玄関には、颯大が最近よく履いている青色のスニーカーが隅の方に置かれている。颯大、先に帰ってきてたんだ。


「ただいま」


 靴を脱ぎながら、いつものように声をかける。

 すると、すぐにリビングの方から返事が返ってきた。


「おかえり」


 廊下のドアを開いてリビングに入ったら、颯大が勉強していた。机の上で教科書を開き、ノートに何かを書いている。


「今日は何も出かける予定ないの?」


 カバンを定位置に置いてから、颯大の後ろに立つ。


「今日はバイトもゼミも休み。亜樹は?」

「このあとバイトがあるよ。まだ時間あるから、一回帰ってきた」

「そっか」


 そこで会話が途絶える。

 颯大は特に集中してる風でもないのに、目を合わせようとしない。


 バイトまで図書館かカフェで勉強でもしておけばよかったかな。そんな風に思ったらダメなのに。そう思ってしまうぐらいには、ここのところ家の居心地が悪い。自分の部屋なのにな。


 手持ち無沙汰になって、無駄にウロウロしてしまう。


 こうしていても仕方ないし、とりあえず授業の課題を終わらせておこうかな。大学用のカバンに入れていたノートパソコンを取り出し、机の上に置く。


「ちょっといい?」


 無心でキーボードを叩いたら、ふいに颯大に話しかけられた。


「うん」


 キーボードを打っていた手を止めて、颯大に視線を向ける。


「あのさ、」


 何かを切り出そうとしている颯大は、いつになく緊張したような顔をしていた。


 あんまり良い話じゃないなのかな。颯大の緊張が伝わって、僕まで緊張してしまう。


 別れ話とか……?

 それとも、大学の話?


 何も言わず、ただ黙って颯大の言葉の続きを待つ。


「亜樹は、俺が好き?」


 予想外の質問をされ、一瞬固まってしまう。


「突然どうしたんだよ」

「ダメだった?」

「ダメじゃないけど、いつもはそういうこと聞いてきたりしないのに」

「気になったから。たまにはいいだろ」

「もちろん、いいんだけど」


 会話の途中で、あることが思い当たる。


 颯大がいきなりこんな質問をしてきた理由。たぶんアレだよな。今朝、玲人と全く同じ会話をしたんだった。

 口止めしてなかった僕が悪いかもしれないけど、早速言うことないだろ。湧き上がってきた玲人への怒りをおさえつつ、口を開く。


「もしかして、玲人から何か聞いた?」

「玲人? 何も聞いてないけど、どうかしたの?」


 颯大はポカンとして、不思想そうな表情を浮かべる。


 しまった、違ったか。完全に墓穴掘ったな。

 取り返しつかないだろ、これ。

 このタイミングだから、てっきり玲人経由で何か聞いたのかと思ったのに。


「いや、ごめん。勘違いだった」

「玲人と俺のこと話したりするの?」

「たまたまそういう感じになって」

「なんだかんだ玲人と仲良いよな、亜樹」


 颯大が嬉しそうに笑って、緊迫した空気が少しだけ緩む。


「やめて」


 このまま誤魔化せないかなと思ったけど、無理だったみたいだ。緩んでいた颯大の表情がすぐに戻る。


「玲人のことはいいけど、さっきの答え聞かせてほしい」


 どうしていきなりそんなこと聞いてくるんだ、とか。

 聞きたいことは色々あったけど、今はとにかく質問に応えるべきだよな。


「俺は亜樹が好きだよ。亜樹は?」

「もちろん好きだよ」


 少し迷ってから、結局そう答えた。


 好きかそうじゃないかで聞かれたら、好きとしか答えようがない。どんな種類の好きかはともかく、颯大が好きなことは確かだ。それだけは嘘じゃない。


 緊迫していた颯大の頬が緩み、口角が上がる。


「俺も好き」


 安心したように笑った颯大を見て、よく分からない罪悪感が湧いてくる。


 波留はあぐらをかいたまま距離をつめて、僕の肩にもたれかかってきた。


「変なこと聞いてごめんな。ただ最近すごく亜樹が遠く感じて、どうしたらいいのか分からなくて。弁当勝負でも波留に負けっぱなしだし」

「弁当勝負はもういいよ」


 颯大の背中に手を置き、軽くさする。


「何かしてないと、落ち着かないんだ。高校まではこんな風に悩んだりしなかったのに」

「大学に入って、環境が変わったからじゃないかな」


 僕がキス以上の行為を拒否したから。

 波留さんと出会って、颯大と波留さんがギスギスしてるから。


 考えられることはそれぐらいだけど、全部僕のせいだから、颯大に申し訳ない気持ちになる。


 僕たち何も問題なかったはずなのに、どこから間違えたんだろう。


「俺たち、大丈夫だよな?」


 覗き込むように顔を見られ、視線を泳がせる。

 大丈夫かどうかなんて、僕の方が教えてほしいよ。


「……うん」


 どう答えようか迷って、結局曖昧に頷く。


 颯大はしばらく僕を見ていたけど、ゆっくりと顔を近づけて、唇を押し当てた。


 反射的に目を瞑ると、もう一度唇を重ねられる。

 じっとしていたら、何度か口づけられた。そうしているうちに、口の中に舌が入ってきた。その瞬間、身体が勝手にこわばる。


 ……ダメだ。今日は無理かも。


「ごめん。そろそろバイトの時間だから、準備して行かないと」


 どう考えてもこのタイミングじゃないだろって理由を口にして、さっと立ち上がる。


「あー、そっか。引き止めてごめんな」


 颯大は明らかに気まずそうな表情を浮かべ、片手を前に出した。


「全然大丈夫」


 『僕こそごめん』と心の中で謝って、大学に行く時以外で使っているウエストポーチに財布を入れる。


「遅くなりそうだから、先に寝てて」


 それだけ言い残して、そそくさと家を出てきた。

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