集中講義から戻ってきたら、夏休みも残り二日となった。今日はら前々から颯大と計画していた日帰り旅行の日。朝からレンタカーを借りて、海に行くことになっていた。
予定では、思いっきり楽しんで、颯大との仲も深めるつもりだったんだ。それなのに、集中講義で波留と話したことばかりを思い出してしまい、つい上の空になってしまう。
行きは僕が運転して、帰りは颯大。
自分が運転してる時は集中してたからまだ良かったんだけど、助手席に乗ったら、僕の脳内はまた勝手に波留のことを考えてしまっていた。
彼氏との旅行中に元彼?元夫?……とにかく、他の男のことを考えてるなんて、さすがに最低だろ。自分でもそう思うのに、振り払っても、振り払っても、無意識のうちに波留の顔や声が蘇ってくる。
「亜樹、聞いてる?」
どうやら、また上の空になってしまっていたらしい。
信号待ちの間、颯大から少し大きめの声で呼ばれ、ハッとする。
「え、あ、うん。あ、ごめん、なんだった?」
あわてて笑顔を作り、質問を返す。
颯大は不審そうな目で僕を見てから、正面に視線を戻し、車を発進させる。
「ずっと上の空だな。体調でも悪い?」
「体調は全然大丈夫。集中講義であんまり寝れなかったから、ちょっとぼーっとしちゃって。ごめん、もう大丈夫だから」
「日帰り旅行、別の日にしたら良かったな。メシでも食べていこうと思ってたけど、まっすぐ帰ろうか」
波留の話をするわけにもいかずにごまかしてしまったけど、逆に心配させてしまった。最近颯大と一緒にいると、申し訳ないことばかりで、罪悪感が半端ない。
「本当に大丈夫だから、行こうよ。僕も食べに行きたい」
「無理しなくていいよ、早めに休んだ方がいい」
せっかく旅行にきたのに、良いところがなさすぎる。
どうにか挽回できないかと辺りを見回したら、ちょうど良い建物を少し先のところに見つけた。
「それなら、あそこで休んでいかない?」
僕が指を指した先は、西洋の城みたいなラブホテル。
挽回したいのもあるけど、それだけじゃなくて、元々そのつもりだったんだ。颯大とは、いまだにキス以上の関係に進めていない。波留のことでずっと心配かけてたし、この旅行でセックスして、絆を深めたい。身体の関係があれば、きっと僕も颯大だけを見れるはずだから……。
「本気で言ってる?」
颯大は一瞬だけ僕を見て、ホテルに視線を向けた。
「うん」
運転中の颯大の横顔を見つめ、僕は一言だけ答える。すると、颯大は真顔のままハンドルを切り、ホテルの駐車場へ車を入れた。
◇
「ここに来るってことは、そういうことでいいの?」
ホテルの部屋に入るなり、颯大が後ろから声をかけてきた。
「そのつもりだよ」
荷物をベッドに置いてから、颯大の方を振り返る。
颯大の顔は、さっきよりもずっと固い表情だった。
「どういう心境の変化があったの? ずっと拒否してたじゃん」
「それは、……ごめん。でも、もう、大丈夫だから」
颯大と少し距離をとったまま、小声で告げる。
「そうなんだ。じゃあさ、」
言いながら、颯大はこちらに近づいてきた。
「大学卒業してからって約束だったけど、今、番ってもいい?」
表情一つ変えず、颯大が僕の腕を掴む。
僕が反応する前に、ベッドに押し倒されていた。
「セックスして、それで番になろう。いいよな? いずれ番になるつもりだったんだし、俺たち婚約してるんだから」
動揺してただ見上げることしかできない僕に覆い被さり、颯大は僕の首筋にキスを落としていく。
このままうなじを噛まれて、番になるのかな。
颯大と番になることを、家族も、地元の友達も、望んでくれている。颯大が好きな玲人は文句言いそうだけど、……まあ、あいつはどうでもいいか。
とにかく颯大と番ったら、みんなも、それから颯大も喜んでくれる。僕だって、幸せになれる。
そうだよ……。だから、僕は、颯大を受け入れて、一つになって、それから……。
よし、颯大と番になろう。心を決め、僕は目をつむる。
その瞬間。『颯大と番になる』と言った時の波留の悲しそうな顔が脳裏をよぎった。
みんなが颯大と番になることを喜んでくれても、波留だけは悲しませることになる。
でも、それは仕方ないんだ。
僕の彼氏は、颯大なんだから。
覚悟を決めたはずなのに、身体の震えが止まらない。目をいっそう固く瞑り、これから起こることに身構えた。
けれど、しばらくしても何も起こらなくて、おそるおそる目を開ける。
僕の上にのしかかっていたはずの颯大は身体を起こしていて、何かを決めたような顔でこちらを見ていた。
「……颯大?」
彼の名前を呼びながら、僕も身体を起こす。
「悪いけど、他の男を想っているやつを抱きたくない。今回は俺から拒絶するよ」
「何を……」
「亜樹さ、他に好きな人いるよな?」
僕の言葉を遮り、颯大がこちらを見据える。
「波留が好きなんだろ?」
疑問系だったけど、確信してるみたいな聞き方。
僕を見つめる颯大の目も、全て分かっているかのような目だった。
颯大を傷つけたくない。
颯大と別れたら、うちの家族も、颯大の家族も、みんなが悲しむ。
僕だって、颯大が好きだ。それは嘘じゃない。
今までずっと一緒にいたから、颯大と別れる未来なんて考えられなかった。考えたらいけないと思ってた。だから、薄々気づいていた自分の気持ちにずっと蓋をして、隠してきた。
だけど、颯大は全部気づいてたんだ。
「亜樹が波留を好きなのは気づいてたよ。でも、それでも、知らないフリしてた。付き合ってさえいたら、亜樹の気持ちがいつか俺に向いてくれるんじゃないかってバカみたいなこと考えてたんだ」
「颯大、僕は……」
「やっぱりダメだったけどな」
そうつぶやいてから、颯大は吹っ切れたように笑った。
「亜樹。俺たち、普通の幼なじみに戻ろう」
言われた瞬間、こらえていた涙が溢れた。
ベッドの上で手をついて、深く頭を下げる。
「颯大、ごめん。ごめん……っ」
泣きたいのは颯大の方なのに。
たとえ颯大を傷つけたとしても、本当は僕の方から別れを告げるべきだったのかもしれない。
颯大だけを見ることも、本当のことを言う勇気も持てなくて、颯大の口から言わせてしまい、余計に傷つけてしまった。
それが申し訳なくて、自分が情けなくて、どう謝ったらいいのかも分からない。
「波留のところに行けよ」
「え……」
予想外のことを言われ、涙でグチャグチャの顔を上げる。
「そんな顔するなって。これでさよならってわけじゃないし、ただ友達に戻るだけだから」
颯大は笑顔を浮かべ、申し訳なるくらいに優しい目で僕を見つめていた。
「俺はさ、亜樹の彼氏だったけど、ずっと一緒にいた幼なじみで、親友でもあるんだよ。だから、亜樹には幸せになってほしい」
罵倒された方がまだマシだと感じるぐらいに、颯大の優しさが辛い。幼なじみの恋人を傷つけてしまったことが苦しくて、涙が止まらない。
何も言わずに泣き続けていたら、颯大はどこかに電話をかけているみたいだった。
「波留?」
電話相手、波留?
何で波留に電話して……。
「亜樹と別れた」
様子を窺っていたら、颯大はいきなり僕と別れたことを報告していた。
『え?』
スピーカー越しに波留の戸惑った声が聞こえる。
「亜樹が好きなら、今すぐここに来い」
『は? どういうことなのか全く分からないんですけど……』
「いいから。モタモタしてたら、俺の気が変わるかもよ。ここ、ホテルだし」
『え、ちょ』
まだ何かしゃべっている波留を無視し、颯大は一方的に電話を切った。それから、すぐに僕に視線を向ける。
「駐車場で待ってたら? 現在地送っておいたから、すぐ来るだろ」
颯大は困惑をしている僕に有無を言わさずに支度をさせ、部屋から追い出そうとする。
「……ごめん、今までありがとう」
ドアの前で振り返り、僕はホテルを後にした。