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第八十一話 愛しい時間

 あの後、波留が一人暮らしをしている部屋に来るか聞かれて、すぐに向かった。コナツをリビングに放してから、波留と視線を合わせる。


「何もないね」


 初めて入った波留の部屋は、ずいぶんスッキリしていた。大きな家具はベッドとタンスしかなくて、あとはコナツのトイレやゴハンがあるぐらい。


「引っ越しが多いので、溜め込まないようにしてます」

「引っ越すつもりだった?」


 周りを見回しながら聞いたら、ふいに腕を引っ張られた。


「亜樹が来てくれなければ」


 胸の中に閉じ込められて、ぎゅっと抱きしめられる。

 こうしているとドキドキするのに、すごく懐かしい。


「ずっとこうしたかった」


 まさに今言おうとしていたことを先に言われてしまい、顔を上げる。そうしたら、波留も僕の顔をじっと見つめていた。その瞳はやっぱり優しくて、波留への愛しさが溢れ出しそうになる。


「好きだよ」


 黙っていられなくなり、思ったままを口にする。

 波留の顔がゆっくりと近づいてきて、そっと目を閉じた。すると、すぐに温かくて優しい感触が唇に触れる。


 今世では、初めてのはずの波留とのキス。

 それなのに、僕はたしかに波留のキスを知っていた。

 優しくて、胸が温かくなる。それから、波留をどんどん好きになる。大好きな波留とのキス。


「波留……、波留……っ」


 波留が好きだ。

 どうして今まで離れていられたんだろう。こんなに好きなのに、どうして波留を忘れられたんだろう。

 前世の僕の想いなのか、今世の僕の想いなのかも分からないまま、舌を絡ませる。前世とか、今世とか、もうどっちでもいい。ただ今の僕にあるのは、ここにいる波留が好きだって気持ちだけ。


 波留に縋りついて、キスの合間に夢中で名前を呼んでいたら、部屋で一つしかないベッドに押し倒される。


「波留、好き」


 こんな言葉じゃ足りないし、もっと上手く言いたかった。だけど、胸がいっぱいになってしまって、結局出てくるのはそんな言葉ばかり。僕の上に覆い被さった波留を見上げ、何度も同じことを伝える。


「オレも好きです。好き……っ」


 波留の口からも、同じような言葉しか出てこない。

 だけど、それがどうしようもなく嬉しくて、たまらなく幸せだ。


 深いキスをかわしながら、波留はほとんど剥ぎ取るように僕の服を脱がしていく。


 キスと同じように、全て初めてのはずだった。

 だけど、やっぱり僕は全部知っていた。

 波留が僕をどんな風に抱くのかも、それがどれだけ僕を昂らせるのかも。


 恥ずかしさよりも待ちきれない気持ちの方が上回り、早く一つになりたかった。自分から波留の背中に手を回し、彼を求める。


 波留が僕の中に入ってきた瞬間。ずっと足りなかったものが埋まった気がして、涙が溢れた。


 はっきりとした記憶は二十年にも満たないし、前世を思い出したのもつい最近なのに。だけど、もっと長い間波留を探していたような――。


 ◇


「じゃあ、波留も東京に戻ってきたのは一年前なんだ?」


 狭いシングルベッドで横になったまま、隣にいる波留の顔を見つめる。行為が終わったあとも離れがたくて、ずっと手を繋いで、僕たちが離れていた間のことを話していた。


 といっても、僕の方は今世はまだ二十年ぐらいしか生きていない。だから、もっと長く生きていた波留に比べたら、話すこともそんなになかったけれど。


「そうですね。東京から離れたり、海外に行ったりもしてました。ずっと見た目が変わらないので、一つのところに留まっていると周りから怪しまれますし」


 言いながら、波留は苦笑いをこぼした。


「若く見えるっていっても、限度があるもんな」


 たまに実年齢よりもかなり若く見える芸能人もいるけど、波留の場合はそういう次元じゃないからな。そう言えば、前世でも波留は何回か転職してたっけ。


 時々コナツと遊んだりしながら、波留が今までにしていた仕事の話とか、住んでいたところの話とかしていたら、いつのまにか外が暗くなっていた。


「夜ごはん、どうしますか?」

「もうそんな時間か……」


 外に視線を向けてから、腕につけていた電子端末でカレンダーを確認する。今日で夏休み最終日、明日は秋学期が始まる一日目だ。


「明日から学校だし、そろそろ帰ろうかな」


 何もなかったらこのまま泊まりたいところだけど、秋学期初日から休むのもまずいよな。教科書も着替えも、全部自分の家だし……。


「どこに?」


 けれど、ベッドから立ちあがろうとした僕を波留が止めた。


「どこって、自分の家だけど……」

「帰らないでください」


 波留が僕の腕を掴み、切実そうな表情でこちらを見る。

 そんな顔をされたら、さすがに帰りにくい。


「自分の恋人が元彼と一緒に住んでるのって、めちゃくちゃ嫌です」

「あー……。やっぱり、嫌だよな」


 曖昧な笑みを浮かべつつ、言葉を探す。


「そのうち新しい場所は探すつもりだよ。でも、すぐには無理だろうし、しばらくは今のところに住まないと」


 波留もそうだけど、別れた元彼と一緒に住むなんて、颯大はもっと嫌だと思う。でも、今すぐに出ていけって言われたら、ホームレス確定だ。


 波留と颯大には申し訳ないけど、新しいところが見つかるまでは、いったん今のところに住むしかない。


 そう説明しても、波留は納得できていないような顔をしている。


「だったら、今日からオレの部屋に住んだらいいじゃないですか」

「波留の部屋に?」


 聞いたのとほぼ同時に、波留が即座に頷く。


「そんなに嫌?」


 自分で聞いておいてなんだけど、聞いた後で、当たり前かと思い直す。もし逆の立場だったら、僕だって嫌だもんな。


「嫌です。というよりも、今までもめちゃくちゃ嫉妬してました。考えたくもないのに、今頃亜樹は颯大さんに抱かれてるんだろうなとか考えちゃって、頭がおかしくなりそうでしたよ」


 波留はベッドの上で座り直し、僕にも隣に座るように目線で促す。体勢を変え、波留の横に座る。


「もちろん仕方ないことだって分かってました。亜樹はオレを忘れてましたし、亜樹の彼氏は颯大さんだったので……」

「してない」


 話し続ける波留を遮り、事実を伝える。


「颯大とはしてないよ。キスはしてたけど、それ以上はしなかった」

「一緒に住んでるのに?」


 波留が訝しげな目でこちらを見てきた。

 まあ……、一緒に住んでたら当然セックスもしてると思うよなぁ。実際一線越えそうになった時は何度かあったし。でも、結局最後まではしなかった。


「……うん。今世では波留が初めてだ」


 波留の髪を撫でながら、もう一度さっきと同じようなことを言う。そうしたら、波留は目を丸くしたかと思えば、僕の両肩を軽くゆさぶった。


「それなら、言ってくださいよ。初めてだったら、もっとこう……」

「ごめん」


 笑いながら謝罪してから、もう一言付け加える。


「前世では波留と数えきれないくらいしたからかな。初めてって気がしなかったよ」

「そうなんですか?」


 波留は顔を上げ、ジト目で僕を見てくる。


「オレはさっき亜樹とした時、初めてみたいな気分でした」


 ちょっとすねたような顔で言ってくる波留が可愛い。

 波留の方が長く生きていて、今は波留の方が実質年上になったのに、やっぱり年下みたいだ。


「久しぶりだったから? 僕が年取ってからはキスだけだったもんな」


 そこまで言って、前世のことをふと考える。


「僕の世話するの大変だったんじゃない? 死ぬ前は身体もだいぶ弱ってたし、意識もはっきりしてなくて」


 波留がずっとそばにいてくれたことだけは覚えてるけど、死ぬ間際はいつ寝て起きてるのもよく分かってないような状態だった気がする。だいぶ波留に迷惑かけたんだろうなぁ。


「亜樹と一緒にいられたので、それは全然。むしろ亜樹が亡くなってからの方が……」


 途中まで言いかけて、波留はハタと口を閉じる。それから、すぐにもう一度口を開いた。


「亡くなってからの方が辛かったと言おうとしましたが、その時は案外大丈夫でした。いつかまた絶対に亜樹に会えるって信じてましたし、希望がありましたから。ただ……」


 そこまで言って、波留は軽く息をつく。


「亜樹と再会して、他に相手がいると知った時の方が辛かったかもしれません。しかも、付き合ってるだけじゃなくて、結婚まで考えてるって言われた時はもう……。亜樹とは別々の人生を生きていかなければいけないんだなって思ったら、もうどうやって生きていったらいいのか分からなくて」


 波留はうつむき、僕の胸にもたれかかってきた。


「ごめんな、波留。辛かったよな」


 波留の手の上から、自分の手を重ねる。


「いいんです。こうして、オレのところに戻ってきてくれた」


 視線を上げた波留は、穏やかな笑みを浮かべていた。


「颯大さんには申し訳ないですが、今どうしようもなく幸せです。もう亜樹とは一緒にいられないって諦めてましたから、こんな奇跡が起きるなんて思ってなかった」

「奇跡じゃなくて、僕と波留が出会ったら、いつかは絶対にこうなってたんだよ。他に相手がいたとしても、二人で過ごした日々を全部忘れてしまったとしても、また波留を好きになるんだ」


 最悪の出会いだったのに、結局また波留に恋をした。

 上から重ねていた波留の手を握り、力を入れる。


「愛してる」


 颯大には言えなかった言葉がスッと出てきた。

 ずっと言いたくても言えなかった言葉。


「オレも愛してます」


 波留は僕を抱き寄せ、優しく唇を重ねた。


 ◇


 その日から、僕は波留の家で一緒に暮らし始めた。大事なものも大学のものも全部向こうに置いてあったから、結局何度か行くことにはなりそうだけど。


 颯大に対する罪悪感は消えないものの、今の僕はすごく幸せで、満たされていた。


 ただ、一つだけ気になることがある。

 てっきりすぐに番うのかと思ってたし、僕はそのつもりでここに来たのに、番わなかったこと。


 もちろん前世とは時代が違って、今はΩとかαとか番とかがそこまで重要視されないってのはある。

 でも、それでも前世のことがあったから、今世こそはと思ってたんだ。前世では波留も番いたがってたし、同じ気持ちだと思ってたんだけどなあ。


 今世ではまだ付き合って二日目だし、焦る必要もないか。


 一つだけ気になることがありつつも、僕と波留の同棲生活は大学一年生の春学期と共にスタートした。

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