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第八十九話 不在は突然に

 それから数日ほど経った日の夜のことだった。

 バイトを終えて二十一時過ぎに家に戻ったら、波留がスーツケースを広げ、荷造りをしていた。


「何してるの?」


 荷物を床に置きながら、波留に声をかける。顔を上げて『おかえりなさい』って言ってから、波留は視線をわずかにそらした。


「急に出張が決まって、一週間留守にします」

「出張? 今から?」

「そ、そう。ほんと困りますよね」


 波留が『あはは』と乾いた笑いを溢す。

 一週間だったら結構長い期間なのに、いきなり知らされるなんてあるのかな? なんか変じゃないか? 気のせい?


「どこに?」

「へ!? あ、ど、どこだったかな……たしか東北……福岡だったかな……。いや違ったかも……」


 明らかに動揺し始めた波留が考える素振りを始める。

 どこに行くか知らないとかある? 


「行き先知らないの?」

「あ……。じゃ、じゃなくて、ちょっと今は忘れちゃっただけですよ!」

「そうなんだ?」

「また後で確かめておきますから」


 やっぱり変だな……。

 どことなく波留の態度に違和感があったんだけど、急いでるみたいだったし、それ以上は追求できなかった。


 それから十分もかからないうちに波留は準備を終えて、バタバタと玄関先に向かう。


「行ってらっしゃい」


 玄関で靴を履いていた波留に後ろから声をかける。波留は靴を履き終わった後でこちらを振り返り、僕の両手を握った。


「すぐ帰ってきます」

「うん。気をつけて」


 そう返事をした僕の頬にチュッと音を立ててキスをして、波留はそのまま出て行ってしまった。……あ。結局どこに行くか教えてもらってない。


 ◇


 翌朝、大学の休み時間。ちょうど学生課から出てきた玲人と颯大にばったり出くわした。挨拶だけしてそのまま通り過ぎようとしたら、玲人に呼び止められる。


「波留に用事あったんだけど、今日休み?」

「今いないんだよ」

「何で?」

「実はさ……」


 話の流れで、昨夜の波留とのやりとりを簡単に話す。颯大は普通に聞いていただけだったけど、玲人は終始首を傾げていた。


「そんな急に出張とかあるもんなの? なんか怪しくね?」

「怪しいって、何が……」


 僕も、波留が何か隠してるんじゃないかとは薄々感じていた。あえて口に出さないようにしていたことをきっぱり言われてしまい、嫌な汗が流れる。


「浮気だったりして」


 浮気……? 波留に限って、そんなのあるわけない。

 でも、最近の波留はずっと様子がおかしいし、頑なに番ってくれない理由も分からない。それに、昨日も挙動不審だったし……。


 もしかして、僕の他に番になりたい人ができた?

 波留は優しいから、僕に別れを切りだせなくて、ここまでズルズルきてるとか……?


 浮気なんて絶対ありえないし、波留からの愛情は疑う余地もない。あんなにたくさん愛を伝えてくれて、行動でだって示してくれるじゃないか。そう、思うのに……。

 それでもまだ番ってないことがどうしても引っかかっていて、どこかで波留の心変わりを疑ってしまう自分が嫌だ。


「出張とか言って、他のやつのとこ行ってんじゃね?」


 玲人に言い返す言葉もなく、うつむいて、ただため息をつく。


「亜樹を不安にさせるなよ、玲人」


 颯大の穏やかな声が聞こえて、顔を上げる。


「一般論を言っただけだって」

「他の人はどうか知らないけど、少なくとも波留はそんなやつじゃないよ。万が一浮気だったら、俺が波留に説教しにいく」

「説教だけですむんかよ?」


 いつもの軽い調子で話していた玲人が急に黙り込む。それから、玲人は再び颯大の方に視線を向ける。


「お前さー、まだ亜樹が好きなの?」

「おい、それはさすがにデリカシーなさすぎ」


 聞いていられなくなって、思わず口を挟んでしまった。

 二人きりの時に個人的に聞くならともかくだよ? いくら何でも元彼の僕本人の前でそれを聞くのは、颯大に対して残酷すぎ。


「すぐそういう方向に持っていくなよ。幼なじみで親友を心配するのは当然だろ」


 ほら、颯大も対応に困ってるじゃん。


「で? さっきの質問に答えてないんだけど?」

「玲人! いい加減にしろって」


 まだしつこく颯大に絡んでいる玲人を少し強めに咎める。


 せめて僕がいないところで話してくれないかな。

 颯大だって気まずいだろうし、玲人も自分の首しめてるだけじゃん。三人でこんな話しても、誰も得しないだろ。


「だってさ、まだ亜樹に気があるとしか思えねーし」

「分かったから、玲人。今度じっくり話そう。今ここでする話でもないだろ?」


 ん? 玲人をなだめるように言った颯大の声が予想よりもずっと優しくて、びっくりした。


 この二人案外上手くいくかもと思ってしまったのは、颯大と別れて波留の方にいってしまった負い目があるせいかな。誰を選ぶのかは颯大の自由だし、そもそも僕にこんなこと考える資格もないけど、とにかく颯大が幸せになってくれたら嬉しい。颯大を好きになってからはフラフラしてないみたいだし、今の玲人だったら、そんなに悪くない気もするし。


「ほら、亜樹に謝って」

「はぁ……、分かったよ。テキトーなこと言ってごめん」


 颯大に促され、玲人がしぶしぶ僕に頭を下げる。

 うわ、玲人が素直だ……。勝手な印象だけど、やっぱりこの二人、相性良さそうなんだよな。


「いや、いいよ。玲人の言うことも分かるし。波留が帰ってきたら、ちゃんと話してみるよ」

「だな、そうした方がいいと思うわ。じゃ、次の授業あるから行くな」


 軽く手を上げて、玲人が去っていく。

 後に残された颯大も、玲人と反対の方向に身体を向けた。


「颯大」


 颯大が足を進める前に、彼を引き止める。


「どうした?」


 颯大はすぐに振りむき、優しく声をかけてくれた。


「なんかごめん、あんな話になって。元彼の彼氏の話なんて聞きたくないよな」


 颯大の表情が一瞬だけ固まってから、すぐにまた笑顔に変わる。


「そうやって気にされる方が気まずいし、困ったら何でも話してよ。別れても友達だって言っただろ」

「そう言ってくれると助かる」

「本当に気にしなくていいから。こうやって亜樹と普通に話せるようになって嬉しいんだ」

「別れたばっかりの時はさすがにぎこちなかったもんな」


 別れたての時期で大学で会ってしまった時は、やっぱりお互い距離があったと思う。颯大と前みたいに話せるようになったのは、別れてから二ヶ月は経ってからだったかな。


「今度、三人でメシ行こうな」

「分かった。連絡するから」

「そうやって言って、連絡しないじゃん。社交辞令じゃなくて、本気で誘ってるからな?」

「本当に連絡するって。あのさ、玲人とはどんな感じなの?」


 和やかな雰囲気になったところで、気になっていたことを切り出す。


 ものすごく曖昧な言い方だったけど、颯大には僕が何を聞きたいかが伝わったみたいだ。颯大は照れたように頬をかき、苦笑いを漏らした。


「あー……。玲人からなんか聞いてる?」

「まあ……」


 僕も颯大と同じような表情を浮かべ、視線で続きを促す。


「何回か告られたけど、とりあえず今はナイかな」


 颯大はやっぱり困ったような笑みを浮かべたまま、小さく息をつく。しばらく間があってから、颯大は言葉を付け足す。


「でも、玲人も悪いやつじゃないし、先のことはどうなるか分からないよ」

「それはそうだよな。何かあったら教えて。話聞いてくれてありがとう」

「うん、また」


 玲人と颯大がどうなるかは分からないけど、ひとまず颯大が元気そうで良かった。颯大は大丈夫そうだから、僕は自分のことをなんとかしないとな。波留が帰ってきたら、今度こそちゃんと話さないと。


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