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第九十四話 爆発寸前の気持ち

 かなりの時間が経って、コナツの寝息が後部座席から聞こえ始めた。それからさらに間があってから、波留はようやく僕と視線を合わせる。


「もしもオレがいなくなっても、亜樹は幸せでいてくださいね。オレに遠慮なんてしないで、次の恋人を作ってもいいですから」

「は……?」


 一緒、耳を疑ってしまった。まさか波留の口からそんな言葉が出るなんて。

 こんなに長い時間をかけて、そんなことが言いたかったのか。無意識で発した声は、自分でも驚くぐらいに冷たかった。


「あ、ち、違うんです。今すぐに死ぬとかいなくなるとか言ってるんじゃなくて。ほら、何が起きるか分からないじゃないですか。明日交通事故に遭う可能性だってあるし」

「どうしてそんな話するんだよ」


 前世の僕は、自分がいなくなった後の波留の心配ばかりしてたけど、まるであの時とそっくり立場が入れ替わったみたいだ。


 皮肉なことに、あの時の波留の苛立ちと切なさが今になって本当の意味で理解できたよ。恋人がいなくなった後の人生の話をされるのって、こんなにも嫌なものなんだな。


「どちらかが心変わりする可能性もあるしな」

「……え? それはないです」


 ほぼほぼ確定なのに、まだ認めようとしない波留に苛立ちが募る。


 さっきので、もう確信したよ。

 波留は、この先の未来を僕と過ごすつもりなんてないんだって。いつか僕の前から去るつもりだから、『もしもいなくなったら』なんて話をしたんだろ?


 ずっとそうじゃないって、僕の気のせいだって思うようにしてた。いつか番になれるって信じてた。

 波留のあやしい言動も、ずっと見て見ぬフリしてたよ。でも、もう無理だ。


「他に好きな人でもできたの?」 

「え?」

「疑いたくなんてないけど、最近の波留、さすがにあやしすぎ」

「いや、なに? え? なんでそんなことを? 他に好きな人なんているわけありませんよ」


 何言ってるのか分からないって反応をする波留。

 今さら隠したって無駄なんだよ。死刑宣告をするのなら、いつまでもダラダラ引き伸ばしてないで、思いきってバッサリやってほしい。


「好きな人ができたなら、はっきり言って。そうしたら、受け入れ……」


 受け入れるって伝えるつもりだったのに。

 想像しただけで涙が溢れて、言葉に詰まってしまう。

 受け入れるなんてできないよ。だって、こんなにも波留のことが――。


 肩を震わせて泣き始めたら、波留が息をのんだのが分かった。早く泣き止まないといけないのに、全然涙が止まらない。


「ごめっ、泣く、つもりじゃ、なかったのに……っ。受け、入れ、たく、ない、けどっ。受け入れる……っ。だから、だから……!」


 本当のことを言ってほしい。

 もう感情も声もグチャグチャで、涙混じりに言った言葉は自分でも何を伝えたいのか全く分からなかった。


「ごめん、ごめんなさい。泣かないで……。違うんです、そうじゃなくて……」


 波留は僕の右手をぎゅっと握りしめ、もう片方の手で頬に流れた涙を拭った。

 優しくされると辛いだけなのに、でもやっぱり嬉しいと思ってしまう。波留の優しさが僕だけのものだったらいいのに。


「オレだって、ずっと一緒にいたいと思ってますよ。オレが好きなのは、亜樹だけです」


 なかなか泣き止まないでいる僕に対し、波留は繰り返し繰り返しそう伝えてくれた。


 泣いている僕よりも、なんだか波留の方が苦しそうに見える。颯大と別れる前は僕も申し訳なさで死ねそうだったし、波留もそういう感じなのかな。それとも、本当に僕だけを想ってくれてる? 


「出会った時からオレの心の中にいるのは、ずっと亜樹だけですよ。もちろん今も、これからも。それだけは信じてください」


 しばらくしてようやく僕の涙が止まってから、波留は改めてそう伝えてくれた。


「信じてもいいんだよな?」


 もちろん信じたい気持ちはある。

 だけど、それ以上に信じられない気持ちもあった。


「信じてください」


 波留は僕の手を自分の口元に持っていき、きっぱりと言い切った。そこまで言うのなら、信じさせてよ。


「じゃあさ、ここで……」


 『今すぐ番って』と言いたかったのをギリギリのところでのみこむ。


 本当の望みは言えない。何度も何度も伝えたのに、その度に波留ははぐらかして、僕の心からの切望をチョーカーで封じたから。


 僕からはもう言えないから、もしその気があるのなら、波留から言ってほしい。


「キスして」


 今の僕が波留にできるお願いは、それで精一杯だった。


 ためらいがちに波留が助手席の方に身を乗り出し、顔を近づける。ゆっくりと距離を縮め、一瞬だけ唇同士が重なった。


「愛してる」


 波留は僕の頬を指先で撫で、愛を囁く。


「……うん」


 分かってるよ。波留が僕を愛してくれてることは分かってる。


 でも、だったら、どうして?

 何で番わないの?

 何で荷物も整理して、思い出巡りみたいなことをして、自分がいなくなった後の未来の話をするの?


 僕よりももっと好きな人ができて、僕から去る準備をしているとしか思えないよ。


 もしも生まれ変わってまた巡り会えたら、今度こそ番になろうって約束したよな。


 大学に入る前は前世を忘れてたけど、でももう思い出したよ。あんなにも波留を愛して、番になりたいと心から願ってたこと。今だって、そうだよ。波留を誰よりも愛してるし、すぐにでも番になりたい。


 波留はそうじゃないの?

 どれだけ優しくされても、愛を囁かれても、波留との未来が見えてこない。波留があえて未来に繋がる道を全部断ち切ってるように思えるんだよ。

 波留は、もうあの時の約束を忘れたのかな……。


 車の窓から見える空にはこんなにも星が輝いているのに、僕の心も未来も真っ暗だった。

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