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第九十八話 付き合うべきじゃなかったのに

「いや、だって」

「ここにいれなくなるって、転職でもするの? それだったら、そんなに心配しなくても。大学卒業したら僕がそっちに行くことだって出来るし」

「……。転職だったら、こんなに悩んでませんよ。もっと根本的な問題です」


 正直僕としてはもう九割ぐらいは肩の荷が下りた気分なのに、波留はそうじゃないらしい。なんだかずっと煮え切らない言い方で、言葉を濁し続けている。


「言ってくれないと何も解決しないよ。二人で考えたら、どうにかなるかも」


 波留の胸から顔を上げ、彼を見つめる。

 波留は僕から視線をそらし、どうしようか迷っているみたいだった。


「どんなことで悩んでるのか分からないけど、今まで色々なことを二人で乗り越えてきただろ。それなのに、理由も聞けないまま、終わりたくない」


 波留の手をぎゅっと握って、自分の気持ちを伝える。

 それから、一言だけ言葉を付け足した。


「波留はそうじゃないの?」


 コナツのじゃないケモ耳がピクリと動き、ようやく波留が僕の方を見てくれた。


「オレだって……同じ気持ちですよ……」


 怒られた犬みたいに耳をシュンとさせて、波留は不安げに視線をさまよわせる。けれど、しばらくして、観念したみたいに波留がゆっくりと口を開いた。


「亜樹も気づいてたとは思いますが、最近耳やしっぽが生えてくることが多かったですよね」

「うん。そうだね」


 モフモフした波留の耳に一瞬視線を向けてから、コクリと頷く。


「オレも最初はなんでだかピンときてなかったんです。でも、身体の寿命が減ってくると、だんだん元の……獣人に近づいていくって以前聞いたことを思い出して……」


 波留は声を震わせ、視線を下げる。


 ……え。ん? 情報量が多すぎて、ちょっと理解出来ない。どういうこと?


「寿命が近づいてるって、波留の見た目は若いままなのに? それに、獣人に近づいていくっていうのは、誰から聞いたの?」


 こんな風に一気に質問されても困るだろうけど、気が急いてしまって、つい早口で波留に詰め寄ってしまった。


 波留は全然老けないし、なんとなく今回も僕の方が先に逝くと思い込んでた。でも、そうか。前世を合わせると、波留もだいぶ長く生きてるはずだ。不死身じゃないのなら、波留だって当然寿命はあるよな……。


「あ……。近づいてるって言っても、あと五十年ぐらいはあるみたいなので」


 僕に詰められ、波留は気まずそうな顔で言葉を返した。


「なんだ。てっきりあと数ヶ月で死んじゃうのかと思ったよ」


 『なんだ』って言い方は良くなかったかもしれない。

 だけど、五十年もあるって聞かされて、正直拍子抜けしてしまった。


 僕があと何年生きるのかは分からない。

 もし特に大きな病気や事故に遭わなくて、老人まで生きるとしたら。僕の寿命は、あと四十年〜六十年ぐらい? それだったら、波留と大して変わらない気がする。


「五十年だったら、僕と同じぐらいじゃない?」


 余命残りわずかって訳でもないのにもったいつけて言ってきた波留の意図は謎にしても、とにかくホッとした。


「そっちは大した問題じゃないんです。ただ寿命が少なくなると、獣人化が進むみたいで……。今は耳としっぽが時々生えるぐらいですが、そのうち生えてる状態が普通になって、場合によってはもっと獣に近くなるかもしれません」


 波留は拳を握り、神妙な面持ちでそう言った。


「……そう、なんだね」


 時々耳としっぽが生えるだけなら無理矢理隠せても、それ以上に獣人化が進んだら、隠しきれない。仕事もあるし、ずっと家に引きこもってるわけにもいかないだろうし。


 僕も一緒になってため息をつきたいところだけど、一つ気になることがあった。


「でも、なんで分かるの? 獣人のことはあんまりよく知らないって言ってなかった?」

「亡くなった母がそうでした」


 僕が生まれ変わるまでの間に亡くなった、波留のお母さん。僕が覚えている彼女は、ごく普通の人間だったはず。

 前世の僕が死んでから、お義母さんの獣人化が進んでったってことなのかな。


「だんだん人間の姿を保つのが難しくなってきて、獣人界で暮らすって話も出てたんですが、その前に病気で亡くなったんです」


 それから、波留は僕の疑問に一つ一つ答えてくれた。


 以前出張と言って、本当は情報を集めるために獣人界に行っていたこと。波留のお父さんはすでに亡くなっていたこと。

 そもそも住む世界が違う人間と獣人が出会うことは、めったにない。それでもわずかに波留や波留のお母さんみたいな半獣人はたしかにいて、みんな最期には人の形を保てなくなり、獣人界に身を寄せること。


 波留の話を聞いて、今まで波留の様子がおかしかった理由がようやく腑に落ちた。波留は、自分の身体が変化していくのを僕に隠したかったんだ。


 僕は会ったことないけど、もしかしたら波留みたいな半獣人がひっそりとこの世界に紛れ込んでいることはありえるかもしれない。でも、獣人みたいな明らかにモフモフした人がその辺を歩いてるのなんて見たことないし、そんな人が生活してたら、大騒ぎになるどころの話じゃないよな。


 どう前向きに考えても、そうなった波留がこの世界で暮らしていくのは難しいだろう。でも、そうなると……。


「もしかして、それでずっと番にならなかったの?」


 顔を上げ、波留の目を覗き込む。


 他にも聞かなければいけないことはたくさんあった。

 これからどうしていくか、考えなければいけないことはたくさんある。


 だけど、今一番に知りたいことは波留の気持ちだった。


「僕を残して、いつかは一人で獣人界に行くかもしれないと思ってたから?」

「波留はさ、僕と番になりたくないわけじゃなかった?」


 何も答えてくれない波留に対し、続け様に質問をぶつける。波留は固く口を結んでいたけど、やがて茶色から金色に瞳の色が変わって、その瞳が潤んでいく。


「亜樹と付き合う少し前に身体がおかしくなってきているのに気がついて、どうしても番にはなれなかった。番をなくしたΩがどうなるのか、よく知ってたので……」


 語りかけるみたいに目を見られ、僕も『うん』と頷く。

 今は昔ほどは番にこだわる時代じゃないけど、前世の僕たちはそのことで色々あったからな……。


「そもそも付き合うべきじゃなかったかもしれないけど、でも、もしかしたら獣人化を止める方法があるんじゃないかと思って……」


 波留はやっぱり声を震わせて、わずかに息をつく。

 なんなんだよ、もう……。


 そんな風に一人でずっと抱え込まずに先に言ってほしかったって怒りも湧いてくるし、呆れる気持ちもある。それとは別に、波留だけ悩ませて可哀想なことした、もっと早く気づいてあげられれば良かったなという罪悪感も。


 色々な気持ちが湧いてきて、もう怒っていいのか安心していいのかも分からない。


 それでも、波留を好きだと思う気持ちだけは変わらなくて、目の前で涙目になっている波留を抱きしめた。




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