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第九十九話 居場所はそこしかない

「波留はここを離れるつもりなんだな」

「はい、近いうちに。……ごめんなさい」


 僕に抱きしめられたまま、波留はボソボソと答える。


「うん、分かった」


 少しだけ考えてから、僕は立ち上がった。波留がここに残れないなら、僕が取るべき行動は一つだ。迷う必要なんてない。


「分かったって、え?」


 戸惑っているような波留の声が聞こえたけど、振り向かず、クローゼットに向かう。


 そして、春休み中に波留に何度も連れていかれた旅行の時に使っていたスーツケースをそこから引っ張り出す。それから、洋服タンスから今の気候でちょうど良い長袖と羽織るものを何枚か適当に選ぶ。


 どんなところか分からないけど、向こうにもきっと着るものぐらいはあるだろ。だったら、ひとまずは持っていくのは最低限でいいな。服と下着、四セットもあれば十分か。


「よし」


 衣類をスーツケースに詰め込み終わった僕はその場から離れ、洗面所に向かう。着るものさえあればなんとかなるだろうけど、一応シャンプーとかも持って行った方がいいかな……。


「何してるんですか……?」


 あちこちでスーツケースに入れて持っていくものを物色していたら、波留が不審そうな目で僕を見ていた。


「引っ越しの準備だけど?」

「え? は? どこに?」

「だから、波留と一緒のところだよ。僕も着いていく」


 告げた瞬間、普段から丸い目をさらに丸くする波留。


「いや、だって……、大学は?」

「大学はやめる。どこでだって勉強はできるだろ」

「……で、でも! ご両親や友達だって急にいなくなったら心配しますよ!」

「親には後で電話するし、颯大たちにもそうしておくよ」

「え、や、ダメですよ! そんな大事なことを事後報告なんて」

「それもそうだな。なら、親には直接会って話すよ。波留も来てくれる?」

「それはもちろん。けど、いきなり獣人界に行くなんて言っても許してもらえるはずないですし、理解してもらえないと思いますよ」

「理解してもらえなかったとしても、僕はもう成人してるし、自分の意思で行動する」


 これまで育ててもらっておいて、あまりに勝手過ぎるとは自分でも思う。そこは許してもらえるまで謝るつもりだ。なにより、僕は波留がいないと幸せになれないのに、それでも親が僕の行動を理解してくれないとは思いたくない。


「人間が獣人界で暮らすのは禁止されてるの?」

「いや、禁止ではないと思いますけど、でも、そんな人めったにいませんよ。こっちの世界で暮らしてる半獣人だって、たぶんほとんどいませんし。亜樹だって、向こうで暮らすのはきっと苦労します」

「めったにいないってことは、ゼロじゃないんだよな。だったら、いいよ。苦労してもいい」


 アレコレと理由を付けて僕がついてくるのを止めようとしてくる波留の心配を一つずつ潰していく。

 何回かやりとりしたところでもう僕を止められる材料がなくなったのか、波留は口を閉じる。


「……本気で言ってるんですか?」

「嘘なんてついてどうするんだよ。さっきからずっと本気なんだけど」


 スーツケースをひとまずその場に置いて、波留がいる方に近づいていく。


「波留の居場所がここじゃないなら、僕だってそうだよ」

「え?」

「波留がいるところが僕の居場所なんだから」


 呆然としている波留の手を取り、きゅっと握る。


「でも……。たぶんそう遠くないうちに、オレの姿が今のままじゃなくなる可能性も高いんですよ。それでもいいんですか……?」


 僕の手の中で居心地が悪そうにしながらも、波留もぎこちなく握り返してくる。


 どうにか僕を引き離そうとしてくるのに、今の波留は『いいよ』って言ってほしがるみたいにしか見えない。


 波留は波留のままだな。いくつになっても感情を隠せない波留がどうしようもなく可愛い。


「どんな姿になったとしても、波留は波留だよ」


 安心させるみたいに優しく微笑む。


 波留の金色の瞳からぶわっと涙が溢れてたと思ったら、ぎゅっと抱きついてきた。僕を抱きしめる波留の腕はわずかに震えていて、モフモフのしっぽもゆっくりゆらゆらと揺れている。




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