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第二十七章 最後の挨拶

第百一話 最初で最後の挨拶

 大学二年生の春学期初日が始まる三日前。

 帰省する予定のなかった実家に急遽車で帰った僕と波留は、僕たちの仲を延々と反対し続ける両親の話を正座でずっと聞いていた。


 電話でざっくりした事情をお母さんに伝えた時は、思ったよりもあっちも冷静だったんだ。だから、案外すんなり受け入れてもらえるのかななんて期待してたけど、甘かったな。


「考え直しなさい。何度説明されても、私たちからはそうとしか言えない」


 お父さんもお母さんも口を揃えて、僕が波留についていくのに反対している。それどころか、交際さえも『認められない』の一点張りだ。


「大学の学費も払ってもらったのに、こんな形で辞めて申し訳ないと思ってるよ。でも、……」

「学費のことを言ってるんじゃなくて、よく知らない人といきなり外国に行くって何を考えてるの? 颯大くんと番になって結婚するはずだったのに、どうしてこんなことに」


 お母さんはテーブル越しに頭を抱え、大げさにため息をつく。いきなり獣人とか獣人界とか言い出しても理解してもらえないだろうし、頭がおかしくなったと思われそうだから、お母さんたちには「外国に行く」っていうことにしている。


「大体君も、親への挨拶もなしに勝手に番になるなんて、大人として恥ずかしいと思わないのか。学生じゃあるまいし」

「挨拶もなしにこんなことになってしまい、申し訳ないと思っています」


 僕のお父さんから厳しい言葉を向けられ、波留は土下座する勢いで床に頭を下げる。波留はずっと謝りっぱなしで、今日だけで何回波留に頭を下げさせたかも分からない。


「波留は悪くないから」


 その度に波留をかばうけど、お父さんたちはそんな僕の態度も気に入らないらしい。


「悪くなかったら、何なんだ」


 ……。本当に、波留は悪くないのに。

 そもそも波留は僕が友達や家族と離れることがないように、最初は一人で行くつもりだったんだ。それを僕が無理矢理ついていくって言い出したんだから、波留だけに全責任を押し付けないでほしい。


「僕の意思で波留と一緒に行くんだよ」

「こんなこと言いたくないんだけど、あんた騙されてるわよ」

「もう遅いかもしれんが、颯大くんに謝って許してもらいなさい」

「颯大には悪いと思ってるよ。だけど、そういうことじゃないんだって」

「悪いと思っているのなら、こんな行動はしないはずだ」


 ここまで頑なに拒否されているのも、たぶん僕のやり方が悪かったせいだ。


 だって、まだ颯大と付き合っていると思っていた息子が幼馴染の彼氏とはとっくに別れていたあげく。初めて家に連れてきた男と勝手に番ってて、しかも帰って来れるかも分からない遠い国に一緒に行く、とかいうトリプルパンチだ。


 こんなの、怒るなっていう方がどうかしてる。

 もし一つずつちゃんと報告していたら、たぶんここまで猛反対されることもなかったかも。


 ……うん、失敗だったな。

 どう考えても、これは僕のやり方が良くなかった。


 颯大との件は時期を見て話そうと思ってたけど、もう少し早く別れたことを打ち明けておくべきだったのかもしれない。少なくともこんなことになる前には、事前にちゃんと話をしておくべきだった。


 颯大はただの彼氏じゃなくて、親公認の婚約者みたいなものだったしな。颯大とはとっくの昔に友達に戻ったし、僕たちの間ではもう解決したことではあるから大丈夫だろう、とか勝手に思ってしまってたけど。お母さんたちにとっては、そうじゃないからな。


 後手後手に回ってしまった自分の行動を反省している間にも、僕の両親は波留を糾弾していた。波留は一言も反論せず、ただ『申し訳ございませんでした』と頭を下げ続けている。


 うーん……。どうするかな……。

 一回時間を空けて、波留ともう一度作戦を考えてから改めて出直すか。


 どうしようか考えていた時だった。


「お邪魔しまーす」


 聞き慣れた声と共に、玄関から足音がしたのは。

 少し経ってから振り向くと、そこにいたのはやっぱり颯大だった。


 そんなことだろうとは思ってたけどな。

 家族以外で勝手に実家に入ってくるのは、昔から颯大ぐらいだから。


「うちの親から持っていけって言われ……たんですけど、出直した方が良さそう?」


 颯大は僕の親と僕たちを交互に見て、困ったような目で僕を見る。僕も苦笑いを浮かべ、小さく肩をすくめた。


「颯大くんは知ってるの? 亜樹と――この人のこと」


 最初に波留も名乗ったし、僕も名前を呼ぼうとしない親に何度か波留の名前を伝え直した。それでも、お母さんもお父さんも徹底的に波留を『彼』とか『君』とか『この人』と言い続けていた。


 もちろん僕たちが悪いのは分かってる。だけど、いつまでもこの人呼ばわりを続けるのはさすがに失礼じゃないか?


「あのさ、さっきから」

「なんとなくは聞いてます」


 文句を言おうと思っていた僕の言葉に被せるようにして、颯大は言った。颯大は何かが入ったタッパーをテーブルの上に置いてから、僕の後ろに下がる。


「それなら、颯大くんからも亜樹を止めてくれない? この子、私たちが何を言っても聞かなくて」


 お母さんは頬に手を当て、ふうと息をつく。


「いや、こうなった亜樹に何言っても無駄だって、おばさんたちも本当は分かってますよね。昔からそうじゃないですか」


 颯大は軽く笑いながらも、お母さんをなだめるように言う。


「亜樹がずっと尽くしてくれていた颯大くんを裏切ったことにはガッカリよ。それに、大学の職員が学生の恋人を奪うなんて」

「……」


 波留のことは、悪く言わないでほしかった。でも、僕が颯大を裏切ったことは実際その通りだし、側から見たらお母さんの発言は何も間違ってない。返す言葉もなく、一度開きかけた口を閉じる。


 僕も、波留も、何も言えなかった。


「違いますよ」


 気まずい雰囲気のなか、サラリと否定したのは颯大だった。後ろに立っている颯大を思わず振り返る。


「波留が奪ったんじゃなくて、俺と亜樹が別れたのは俺たち二人の問題です。波留がいてもいなくても、どのみち俺たちが復縁することはありません」


 颯大は一瞬だけ僕と視線を合わせてから、お父さんたちに対してきっぱりと言い切る。お父さんもお母さんもあんぐりと口を開き、唖然としていた。


「心配しなくても、波留なら大丈夫ですよ。おじさんたちが思っているような悪い人間じゃない。どこにいても、亜樹は幸せになれます」


 まだ呆然としているお父さんたちに一方的に言葉をかけて、『な?』と波留に目線を向ける。


 波留は颯大に一瞬だけ頷いてから、すぐに姿勢を正す。


「突然の報告になってしまい、心から申し訳ないと思っています。でも、必ず亜樹さんと幸せになります」

「……信じていいんだね?」

「はい」


 お父さんから圧をかけられても、波留は躊躇せずに返事をした。お父さんはため息をついてから、僕に目を向ける。


「亜樹も、本当に後悔しないんだな」


 お父さんが僕を見る目は、厳しかった。


「うん」


 僕も引かず、力強く頷く。


 それから、誰も何も言わず、かなり長い沈黙が流れた。

 最初に口を切ったのは、お父さんだった。


「分かった。それなら、もう勝手にしなさい」


 それだけ言い残し、お父さんは立ち上がって廊下に出ていってしまった。


 ピシリとしまったドアを目で追ってから、床を見る。


 見捨てるような言葉だったけど、たぶん認めてくれたんだよな。手放しで祝福は絶対無理にしても、アレがお父さんの精一杯のエールだと思ってもいいのかな。お父さん。


「僕たちも帰るね、お母さん」


 ぼんやりしているお母さんに声をかけてから、波留にも目配せする。波留も帰り支度を始め、立ち上がった。


「じゃあ、俺もそろそろ」


 僕たちが帰ろうとしているのを見た颯大も軽く挨拶をして、背を向ける。


「またいつでも来てね、颯大くん」


 僕たちは無視だったのに、お母さんは颯大には声をかけていた。まあ……、仕方ないか。


 こんな形で別れるのも辛いけど、どう考えても不義理で勝手なことをしているのは僕だもんな。それなのに、笑顔で送り出してもらおうなんて贅沢だよ。


 最後に『元気でいてね』とお母さんに声をかけてから、玄関に向かう。


 そんな僕たちを呼び止めたのは、お母さんの優しい声。


「亜樹も元気でね」


 足を止め、後ろを振り返る。

 座ったままのお母さんは、笑顔ではなかった。


「身体に気をつけて」


 けれど、その声はやっぱり優しくて、胸にジワリと温かいものが広がっていく。お母さんもお父さんも祝福も応援もしてくれなかったけど、それでも二人とも愛を込めて送り出してくれてるんだ。


「亜樹をよろしくね」


 お母さんは、波留にも声をかけていた。

 波留も嬉しそうに頷き、お母さんに『はい!』と返事をした。

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