翌々日の新聞は、一面に、大々的に怪盗と花護男爵家の受難に付いての記事が踊った。
『嗚呼、哀れ花の美少年。
花護男爵ご令息、美優人様、怪盗Kに攫わるる!』
それを、美優人は怪盗の隠れ家という洋館で読んでいた。
「紅茶はいかがかな? 食後に、紅茶を飲む習慣があるんだ」
そう告げるのは、『怪盗K』であった。
今は、素顔を晒している。
色素の薄い淡い茶色の髪に、やはり日を受けると茶色に見える瞳をしている。すらりとした長身の痩躯。茶色の三つ揃えのスーツを身に纏っているが、それが似合っている。兄の同僚で、大蔵省の官僚と言われても、違和感はない。
「頂きます」
美優人が答えると、彼は白磁で出来たティーポットと、ティーセットを支度する。
「怪盗様は、英国のご留学経験がおありですか?」
思わず美優人が聞くと、怪人は顔を上げず、紅茶の支度をしながら「なぜ?」と問うた。
「私の長兄も、大蔵省の研修で、英国に留学しておりました。その、兄と、習慣が似ていると思ったからです」
「……そうだね。大英帝国には、少し過ごしていたよ」
砂時計をひっくり返す。美しい黄金色の砂が、少しずつ、積もっていく。
『兄』を騙る怪人と行動を共にして、まる二日。
ここがどこかは解らないし、知る必要もなかった。
洋館の中に使用人はいないが、自由に洋館の中を歩き回ることが出来るし、三食、食事も提供され、部屋も与えられた。
賓客として遇されている、と言って過言でないだろう。
誘拐の身代金を得るため……ではないような気がする。
「さあどうぞ」
イギリスから取り寄せた、高価な茶葉を使って淹れた茶は、
「美味しいです」
「それは良かった」
テーブルを挟んだ差し向かいに、怪盗は座り、優雅にティーカップを傾けている。
「……あの」
「ん?」
「そろそろ、なぜ、僕を誘拐したか、教えて頂けませんか?」
怪盗は、小さく笑った。
「気になるかい?」
「もちろん、気になります」
「そうだな。私も、少々気になる。君は、……あの夜、私が、兄君でないことに気が付いていて、一緒に来ただろう? もう二度と、実家へ帰らない覚悟で、だ」
それで君は、カバンを持ってきた、と怪盗は告げて、優雅に紅茶をひとくち、含んだ。
「僕のほうは……、お恥ずかしい話ですが、我が家では現在、少々、困難がありまして……、それで、僕が他家へ行くかも知れないという話になっていました。それで、その家へ行くくらいなら……、いっそ、あなたに攫われてしまった方か良いのではないかと、思ったのです」
実際、怪盗は、親切だし……そして、女中が言っていたとおり、とても、見目麗しい人だった。
ただ、容易に声を掛けてはならないような、うっすらとした拒絶を漂わせているような気がして、今まで、誘拐の理由を聞くことは出来なかった。
「私は、身分卑しい人物でね」
怪盗は、顔を歪めて言う。
いままで見てきた誰よりも優雅な姿だというのに、身分卑しい人物、という言葉があまりにも、ちぐはぐで、美優人は混乱する。
「そんな」
「だから、こうして、こそ泥をして居るのだよ。君を攫ってしまったのは……君に一目惚れをしてしまったからと言ったら、信じてくれるかい?」
「一目惚れ……?」
今まで、何人もの方から言われてきた言葉ではあった。だが、なんとなく、面と向かって、言われると、少し、恥ずかしい。頬が、熱くなっていた。
「春の頃合いかな。私は……侯爵邸からの仕事の帰りでね。その時は、少々、ヘマをしてしまった。仕方がなく、霊園へ逃げ込んだんだ。桜が真っ盛りでね。この世の春に迷い込んだかと思っていたら、君が、私に声を掛けてくれたんだ。その時まで、私は、怪我をしていたのも気付かなかった」
胸ポケットから、怪盗は、ハンカチを取り出す。
「……その時に、これで、傷を手当てしてくれた」
美優人にも、身に覚えがあった。
桜の満開の頃合い。それは、高祖父の命日の為に、霊園へ行ったのだった。そして、確かに、手に大けがをした壮年の男性を、手当てした記憶がある。
「けれど、大分……お顔立ちが違うように思いますが……」
「ああ、変装が得意なんだ。その都度その都度……違う顔かたち、声で仕事をするんだよ」
「では―――今の姿が、本当の、すがた、なのですか?」
「さあ、解らない。……多分、そうだと思うけど……この姿で、人前に出ることはないしね。この邸の主をやっているときは、また、別の姿だよ」
微苦笑する怪人の言葉に、美優人は驚いた。
「あの時の私の姿は、物乞い同然の、ボロをまとった、薄汚い姿だった。そんな私にでも、手当てをしてくれる心の美しい人がいるのだと……心の底から、感動したのですよ。それから、しばらくの間、あなたを探していたのです」