一目惚れ、と言われて、美優人は頬が熱くなるのを感じていた。
「当たり前のことをしただけですのに」
「そう?
「酷いことをする方がいるのですね……お年寄りは、敬うべきだと思っておりましたのに」
「やはり、それが出来るのは、あなたの心根が、美しいからですよ。……そして、私は、ついにあなたを探し出したという訳です」
「それで、攫うと……?」
「私のような庶民が、華族のお坊ちゃまと、親しくなることは出来ませんからね」
彼は、微苦笑した。
「あの、あなたのことは、何とお呼びすればよろしいですか? 世間で騒がれているように、怪盗様と?」
「お好きなように」
怪盗は、優美に微笑んで紅茶を飲む。
それを見ながら、美優人は不思議な気持ちでいた。
攫われたが、この家で何をすべきなのか、まるで解らないからだ。
「怪盗様、僕は、このお邸で何をすればよろしいでしょう?」
「なにも? ……といっても、それでは退屈でしょうね。けれど、あなたに、私の仕事を手伝って頂くわけにはいきません。では……そうですね、私は、
「物語、ですか……?」
「ええ。あなたに、私の書斎で、私の為に本を一冊選んで頂いて、私はそれを聞きながら眠ることにします」
「お休みになっていらっしゃったら、本の内容が分からないのでは……?」
「あなたの麗しいお声を、ずっと聞いていたいのですよ」
美優人は、自分の声が麗しいかどうかは解らなかったが、とりあえず、美優人にも出来る仕事を作って貰ったと言うことで、少し、安心した。ここに、何もせずに滞在しているのは、気が引けるからだ。
働かざる者食うべからず―――は家訓として、常々言われている。
学生の身分なので、美優人の仕事は『学業』だ。なので、学業をおろそかにすると、父から大目玉が来る。
「ところで、なぜ、あなたは他家へ行かなければならないことに?」
怪人に問われて、少々戸惑いながら、美優人は口を開く。
「その……、実は、商売人の、恵比寿屋角右衛門さんという方がいらっしゃいまして」
「ああ、日本橋に大きなデパートをもっていらっしゃる、大富豪ですね。それが?」
「その、恵比寿屋さんから、貴重な仏像を借り受けたのです。……ただ、我が家が、どうしても化して欲しいと言った訳ではなくて、恵比寿屋さんから、金子を少々お借りした折、一緒に預けられたと言うことです。金子は、兄の
「仏像を、返却出来ていない?」
「その通りです。……その仏像は、恵比寿屋さんが橙大切にしていた家宝で、その家宝のお力で恵比寿屋さんが繁昌なさっているとか。
それで………もし、仏像を返却出来なかった場合は、僕が、恵比寿屋さんに貰われると言うことを借用書に書いてあったらしくて……」
「なんですって!」
怪盗が立ち上がる。
「……あ、落ち着いて下さいまし、怪盗様……」
「これが落ち着いていられますか。その恵比寿屋という男は、きっと、最初から、あなたを手に入れるつもりで、その仏像を押しつけたのですよ」
「それは、兄も、言っていました……」
けれど、借用書がある。どうしようもない。条件にはハッキリとそう書かれていて、父の署名も入っている。
「それで、あなたは、自ら、私に付いていらっしゃったのですね。そういう意味では、私にとって、恵比寿屋さんは、良い働きをして下さった事になるでしょうが……しかし、我慢がなりませんね!」
怪盗は、本気で腹が立っているらしく、苛立たしげに足を鳴らした。
しばらくすると、少し落ち着いてきたのか、ソファに座った。
「仏像に、心当たりは?」
「解りません。ただ……兄様が言うには、念持仏のようなものだったと。それと、中に何かが入っているようで、からからと音がしたとは……」
「音?」
「僕は、聞いたことがないのですけど……」
お役に立てず、申し訳ありません……とうなだれた美優人の頭を、怪盗は、ぽんぽん、と慰めるような所作で叩いてくれる。
「あの、怪盗様?」
「そんなに、落ち込まないで下さい。……さて、それでは……そろそろ、私は、
「えっ? 本を……選んでいませんが」
「それは明日よろしくお願いします。今日は、あなたのことを教えて下さい。……もし、それがお嫌なら、何か、素敵な作り話を」
怪盗の思い掛けない言葉に驚きつつ、「では、僕の事を、お話ししますね」と答える。
「ああ、それは願っても居ない幸運です」
怪盗が、やんわり微笑む。その優しい微笑みが、幻のように、きらめいて見えた。