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第8話 悪い大人


「私の寝室は、こちら……この奥が隠し部屋になっていてね」

 居間に置かれた書棚の本を、一冊取り出す。すると、その奥の壁に、レバーのようなものが付いているようだった。


「これをこちら側に引き倒すと……」

 低い、うなり声のような音。そして軋んだ音を立てながら、ゆっくりと書棚が動く。


「これは、水車を使った細工でね……この奥に隠し部屋がある」

 隠し部屋は、狭かった。花護家の便所ほどの広さしかないので、足を伸ばして成人男性が眠ることは出来なさそうだった。それに窓もなくて、薄暗いし、寒かった。


「さあ、さらにこちらだよ」

 怪盗が、壁の一部を、押すと、そこが開いて、階段が現れる。


「ここは塔になっていて、この天辺に、屋根裏部屋があるんだ。そこが、私の寝室だよ。……あなたを、閉じ込めるつもりはないから、安心して」


 思ってもみないことを言われて「そんなことは、考えもしませんでした」と正直に告げると、怪盗は笑う。


「はは、警戒心がなさ過ぎる。……本の読み聞かせなどと言って……、私が、あなたを寝室に連れ込んで、よからぬ事をして、永遠に寝室から出さないとは、考えないの?」


「……恵比寿屋さんに言われたら、警戒すると思います。でも、あなたは……僕に、嫌なことを一つもしなかったから」


「おや、恵比寿屋さんには何かされたの?」

「……兄様の見ていないところで、お尻を触られました……」


 思い出すだに恥ずかしくなる。

 恵比寿屋角右衛門は、当然の行いのように、美優人の尻を揉みしだいてきたのだった。その、嫌な感触は、まだ、まざまざと思い出して、ぞくっと背筋に震えが走った。


「なんという卑劣漢だろう……、その恵比寿屋角右衛門という老人には、なにか天罰が下らねばならぬだろうっ!!」


「気持ちは悪かったですが……おかげで、絶対に、恵比寿屋さんの所に行きたくないと思うことが出来ましたので。それだけは、良かったです……もし、仏像の代わりに、迎え入れられていたら、僕は、男妾おとこめかけでした」


 そこまで言って、悲しくなってきた。

「たしかに、あなたは、稀見る美少年ですが……、それほど酷い男に見初められているとは」


「そういう理由があって、あなたに付いてきたんです。……僕が、消えてしまえば……」

「ふむ」


 怪盗は、少し、思案するように目を伏せた。「少し、調べましょう。大丈夫、悪いようにはしませんよ」


 その優しい言い方に、美優人は、ほっと胸をなで下ろす。

「さあ、この続きは、上でしましょう。……寝室、ですが……あなたに指一本触れませんよ。安心なさって」


 優しく笑む怪盗に、美優人は、どぎまぎした。





 長い階段を上っていくと、怪盗の言っていたように、小さな部屋へたどり着いた。屋根裏部屋という雰囲気で、天窓がついている。部屋には、机と書棚、それに寝台。大人の男が二人くらいゆうに寝られるような、広い寝台だった。


「私は、ここで、一刻ほど休むんだ。私が寝てしまったら、好きに過ごしていて構わないよ」

 怪盗は寝台に寝転がった。


 美優人は、その端に腰を下ろす。

「……では、私のことをお話ししますね」


「うん、頼んだよ」

 怪盗は目をとじた。目を閉じても、端整な顔立ちをしている。長い睫だと、美優人は思った。


「私は、花護男爵家の三男として生まれました。兄たちとは、少し年が離れていますので、よくかわいがって貰いました。成績は、中の中くらいで、良くもなく、悪くもなくという感じです。ただ、顔立ちは、どうも目を引くらしくて、幼い頃から、色々な事に遭いました……」


 女中や、使用人に納戸や布団部屋に連れ込まれたときもある。

 学校では上級生や、教師から、同じような事をされた。

 町を歩いていて、拐かされそうになったことも、一度や二度ではない。

 道を歩いていて、すれ違った人が、卒倒するということもあった。

 授業中、教本を忘れたと言って、一緒に見ていた同級生が、突然大量の鼻血を拭いて、病院へ運ばれることもあった。

 下着が盗まれたこともあるし、泳法の授業では、皆に触られたりもした。

 気は進まないが、これも、自分の容姿のせいなのだろうと、諦めていた。


「……美優人くん」

 怪盗が、小さく呟く。


「はい?」

 寝られなかったのだろうか、と美優人は焦った。つまらない話をしてしまったために、怪盗が眠れなくなってしまったのではないかと、申し訳ない気持ちになっていると、怪盗は目を閉じたまま、応じる。


「これは寝言だから、あまり、真に受けないで貰いたいが……あなたの類い稀なる容姿は、決して、悪いものではない。ただ、それに惑わされるものが多いだけだ。そして―――惑わされたものたちは、そのものの心が弱いから、あなたに危害を加えるのだ。私も、同じだ。一目惚れをしたあなたを、連れ出して、こうして、監禁している」


「……怪盗様は、僕に、本当に危害を加えるとは、思えないのです」

 怪盗が、目を開けた。


「すみません、起こしてしまいましたよね」

 怪盗が、少々、不機嫌そうに顔を歪めている。そして、美優人の手首を捕らえて、ぐい、引き寄せた。


「っ……っえっ!?」

 怪盗からは、華やかな、薔薇と菫の薫りがした。その薫りに包まれながら、美優人は、怪盗の顔を見上げようとして、胸に閉じ込められた。暖かで、衣服越しに心臓の鼓動が聞こえた。


「っ!?」

「……あなたは、人を信じすぎる。私は、あなたを、ほしいままにできるのですよ」


「……っ」

「このまま、あなたを抱くのも、殺すのも出来る。……あなたの、生命も、貞操も、私が握っているのですよ。なのに、あなたは、油断しすぎだ」


 美優人は、怪盗の言葉を、たしかにその通りだとは思った。

 だが。


「でも―――そうなさるおつもりなら、僕を攫ってすぐに、手籠めにするでしょう。自由を与えず、監禁してしまったほうが良いはずですから。……それをなさらない、あなたは……きっと、いい人なのです」


 美優人は、ぎゅっと、怪盗に抱きついた。

 逞しい、身体だった。


「美優人くん」

「……どのみち、男妾おとこめかけの道しかないなら、恵比寿屋さんよりあなたの方が良いなと思って、ここに来たんです。……怪盗様が、そのおつもりなら、僕は構いません」


 凄いことを言ってしまった、とは美優人も思った。

 けれど、それは、美優人にとって真実だったし、あの恵比寿屋に尻を触られた時に感じた嫌悪感を、怪盗には、感じなかった。居間、彼の腕の中は、心地よい。


「……あなたは、とんでもない、悪人かもしれない」

 怪盗が、小さく呟いてから、笑い出した。


「……まあ、警戒はしなさい。……私は、手を出さないけど、世の中には、悪い大人は一杯いるんだから」





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