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第9話 鳩と少年


 怪盗の腕の中は居心地が良くて、気が付いたら眠っていたらしい。


 起きたときには、すでにあたりは真っ暗だった。

 天窓から、月が見える。

 月明かりに照らされて、怪盗の顔が闇に浮かんでいた。


「……良くお休みだったようだから」

 怪盗が淡く微笑んで、美優人の髪を撫でる。慈しむような仕草が、くすぐったい。


「すみません、僕のことをお話しすると言ったのに」

「いえ。一気にすべて聞いてしまうのも、もったいないと思いますので。また、お話しを聞かせてください」


 怪盗が身を起こす。

 美優人も一緒に起こされた。


「お腹が空いたでしょう? さあ、食事の支度が調っている頃ですから、食堂へ行きましょう。そういえば、あなたは、何がお好き?」

「好きな、食べ物と言うことですか?」


「ええ。好物を知りたいです」

 素直に答えようと思った美優人だったが、少し、気が変わった。


「あの」

「はい?」


「もし、良かったら、僕の好きな食べ物をお教えする代わりに、怪盗様の好きな食べ物も教えてください……その、僕は、ご用意は出来ないと思いますが」

 怪盗は、面食らったようで目を丸くしている。


「……これは……」

「ご無理なら、良いんですけど……出来れば、知りたいです」


「そうですね。私は……それほど食べるものにこだわりはありません。けれど、もしも、また食べることが出来るならば、食べたいものはありますよ。父が、山で岩魚を釣ってきてくれたのを母が焼いてほぐして、なにかでえたものを、父が酒のさかなにしていたのですけれど、そのおこぼれを貰っていたのです。子供のころの話です」

「山のほうでお過ごしだったのですか?」


「ええ。帝都とは比べるのも出来ないほど、田舎の山奥ですよ。……私の家は、神主の家系で、村のやしろを守ってきたのです」

 そういう方が、怪盗をしているのならば、おそらく、相当な理由があるのだろう、と美優人は思ったが、口にはしなかった。


「岩魚というお魚は、美味しそうですね」

「さ、次はあなたの番ですよ」


「僕ですね。僕は……ばあやが作ってくれる、蒸しパンが好きです。お客様がいらっしゃったときだけ、作ってくれるので、その残りを貰えるのです」


「蒸しパン。さすがに、ハイカラなものを召し上がっているのですね」

「あ、蒸しパンは、古くから我が国にあると、ばあやは言ってました。なんでも、弘法大師様が、しんから持ち帰ったと言ってました」


「あなたの家のばあやさんは、物知りなんですね」

「はい。算術や読み書きも、ばあやに教えて貰いました」


「それは凄い!」

 怪盗が賞賛するのを聞いて、美優人はいくらか誇らしい気持ちになった。ばあやとは血のつながりはないが、家族同然に暮らしてきたので、身内を誉められれば嬉しいものだ。


 そのまま会話をしながら、食卓へ向かった。

 家族のこと、学校のこと、恵比寿屋のこと。

 怪盗からしたら、面白くもない話しだろうに、怪盗は、笑顔で聞いてくれた。


(怪盗様は、聞き上手なんだ……)

 そう思った美優人だったが、こうして会話している間、とても楽しくて、時間があっという間に過ぎ去っていくのを感じていた。






 あてがわれた部屋に戻って、身支度を調えたあとで、美優人はあることに気が付いた。

(豆之介……)


 カバンの中に、鳩の豆之介を入れたままにして居たのだった。


 鳩は、こうした狭いところに閉じ込めて置いても問題は無いという事を、軍人の兄から聞いていた。兄は海軍に所属しているが、海軍航空隊では軍鳩ぐんきゅうとして伝書鳩を研究している人もいると言うことで、詳しいようだった。


 鳩は帰巣本能が強く、家を覚えているため、何十キロと離れていても、家へたどり着くという。


 花護男爵家の美優人の部屋の花台を、自身の家としている豆之介ならば、そこへたどり着くことが出来るだろう。


 美優人の部屋には、夜食のつもりなのか、少々の菓子が用意されていた。


 洋菓子はサブレー、和菓子は切り分けた羊羹だった。じゃりじゃりと、砂糖が固まっている。


 サブレーを砕いて、豆之介にやっている間に、ノートを切り取って手紙を書いた。



『ご心配をおかけしております。美優人です。

 今は、怪盗様と一緒にすごしております。大変良くしていただいており、万事心配ございません。

 ただ、ここがどこであるのか見当もつきませんので、場所は解りません。


 勝手に家を出奔しましたことを心からお詫び致します。

 お父様、お母様、お兄様方、ばあや、家の者、皆の幸福を心からお祈り致します。』



 それを豆之介の脚にくくりつけ、美優人は窓から放った。

 サブレーをたらふく食べて重たそうによろけながら、豆之介は飛び去っていく。


(ここがどこだか解らないのに、どうして、鳩は家が分かるのかしら)

 不思議に思った美優人だったが、届かなくても良いとは思っていた。


 もう、家族に会うことは出来ないのだろう。出来たとしたら、それは恵比寿屋角右衛門の所に行くと言うことだ。だから、このまま、怪盗の世話になりながら、生きていくしかない。


 羊羹をかじりながら、美優人は、怪盗の腕の暖かな感触を思い出していた。


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