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第10話 兄の事情


 美優人が拐かされて五日。

 花護男爵家には、警視総監である下河内と、名探偵の中院が常駐していた。


「困ったことに、美優人くんのてがかりは一向に掴めないのだ」

 下河内はため息をつきながら、ふかし芋を食べている。中院のほうも、


「こちらも、あちこちに手を回してみましたが、まるで美優人くんの姿を見たというひとは現れないのです」

 と肩を落としている。


「お二人の尽力に感謝します。……なにか、手がかりがあればと思うのですが……、私のほうも方々ほうぼうを探させていますが、なんとも……これは、東北とか、もっと遠くへ行ったのかも知れませんね」


「東北か……たしかに、夜行列車にでも乗れば、東北へ行くこともできるな」

 下河内が、ポンと手を打つ。


「そちらの方の伝手に、聞いてみることにします」

 中院が立ち上がった。


「うむ。私も、一旦、戻ろう。なにかあればすぐに報せてくれ」

「はい、感謝致します」

 勝彦が恭しく礼をする。下河内と中院の二人は、そのまま去って行った。


 二人の去った部屋、ソファに座って、勝彦はため息を吐いた。

「……無事でいてくれれば良いが……」


 あちこちの死亡記事を探しているが、それは無かった。

 死んでいなければいい、と勝彦は思っている。


 下河内と中院には悪いが、二人とも、すこぶる評判が悪い。名ばかりの警視総監である下河内と、何を解決したか解らない名探偵の中院だ。


 万が一にも美優人の行方を突き止めるとは思っていなかった。


 恵比寿屋角右衛門の仏像の件で、花護男爵家は困り果てていた。本当に、美優人を差し出すことになるまであと数日というところまで迫っていた、その最中、降ってきた僥倖ぎょうこうである。利用しない手はなかった。


 怪盗か―――恵比寿屋角右衛門か。


 と思案した時、確実に美優人が手籠めになり、男妾おとこめかけとして扱われる恵比寿屋角右衛門より、今までの怪盗の活動の中で、一度も殺しも犯しもしていない、余計なモノを盗みもしない怪盗ならば、こちらの方に賭けてみたくなったのだ。


 そして、美優人も同じ気持ちだったのだろう。


 目の中にいれても痛くない、この世で一番可愛い弟が、恵比寿屋角右衛門のことで思い悩んでいたことを今更知って、現在の勝彦の気持ちとしては、恵比寿屋角右衛門を思いつく限り一番残虐な方法で惨殺してやりたい気持ちになったが、それは一旦、文明人として押さえておく。


 とにかく、大々的に、美優人が拐かされたというのは伝わった。


 恵比寿屋角右衛門とも、本人が攫われてしまいましたので……ということで、美優人が戻るまで、美優人を差し出すことは出来ないと伝えている。


 そして―――おそらく、処女おとめの破瓜の相手を務めるが如く、美優人を貪ることを望んでいるであろう恵比寿屋角右衛門にとって、他の男に拐かされたというのは―――すでに、その身体を怪盗に暴かれているかもしれないと思うだろう。それで、美優人を不要だというなら、下河内と中院から金を借りて、金子で解決出来る。


 だから、今は、できるだけ長い間、怪盗に捕まっていて欲しいというのが、勝彦の切なる願いであった。


 勝彦はため息を吐きつつ、立ち上がった。

 少なくとも、この勝彦の計画は、誰にも知られるわけにはいかない。


 勝彦は、美優人の部屋へ向かった。

 かすかな『手がかり』を探すふりをして居なければならないから、こうして、日に一度くらいは美優人の部屋に入るのだった。


 ふと、勝彦は、窓の外で、小さな物音がするのに気が付いた。

「なんだ?」


 窓を開く。何もないように思えたが、ふと、下を見やると花台があって、一羽の、まるまると太った鳩が勝彦を見上げていた。


「……なんだ? おや、脚に、何か付いている……」

 勝彦は、手紙を取って内容を確認した。


「っ!」

 弟、美優人からのものだった。


 とりあえず、身柄は無事であり、丁寧に遇されているのは理解した。


 場所は解らないという。

 とりあえず、美優人が無事であるということだけは、感謝した。


「お前、美優人の鳩なのか?」


 美優人が鳩を飼育していたとは思わなかったが……うまくすれば、美優人とやりとりが出来るかもしれない。


 勝彦は、鳩を連れて私室に向かった。

 とりあえずふかし芋のカケラをやると、美味そうに啄み始める。


 その間に、手紙を書くことにした。



便たよりをありがとう。

 無事なようで安堵しました。

 なにか困ったことがあったら連絡して寄越しなさい』



 それだけで十分だろう。

 美優人の居場所は分からない。美優人自身も知らない。だが無事だ。


「あとは……いまのうちに、仏像を探し出さねばなるまいな」



 勝彦の記憶が正しければ、一族の位牌を飾る大仏壇の所に、一緒に置いていた。


 朝夕と線香を上げて、一日の安寧の祈願と、感謝を行うのが日課であったが、それが途切れた時期があった。


 花護男爵家の国元の方で大きな法事があり、一家揃って家を留守にしたのだった。

 その時に賊に入られたのだろう。


 勝彦は、あちこちの骨董屋などに手配したが、まだ、仏像は見つかっていなかった。


 仏像さえ戻れば、美優人を恵比寿屋角右衛門に取られずにすむ。


 気は焦ったが、勝彦は鳩の脚に手紙をくくりつけ、空へ放った。



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